あの2人の馴れ初め⑤(サイドストーリー)
結局その後、ミオリは言葉少なにユキの家を出た。
ユキにかける言葉が、見つからなかったのだ。
帰り道、ミオリは電車の中でも、さめざめと泣き続けた。
ああ、私はなんて弱虫なんだろう。
ユキは、泣かずに頑張ってるのに。どうして私は…
それでも、ミオリは涙を止める事ができない。
ふと、サトルの顔が思い浮かぶ。
『だからさ、ユキちゃんの前では、笑顔でいてあげてよ。…辛い時や悲しい時は、いつでもこうやって俺にぶつけてくれていいから。』
(ああ……サトルさんに会いたい。)
ミオリの足は、無意識のうちにサトルの家に向かっていた。
サトルは不在だった。
ミオリは、マンションのエントランスの外で、暮れていく夕空を眺めながら、ぼんやりとサトルを待つ。
しばらくすると雷鳴を伴う夕立が降り始めた。エントランスの軒下にも、激しく雨が降り込む。ミオリはびしょ濡れになりながらも、待ち続けた。
「……ミオリ?」
20時過ぎに、やっとサトルが帰ってきた。エントランス前のミオリに気づいて、驚いて駆け寄る。
「ちょっ、びしょ濡れじゃんか!何で連絡くれないの!?いつから待ってたの?」
ミオリはぼんやりとサトルを見る。ミオリの目が真っ赤になっているのに気づいて、サトルは異変を察知した。
「……何かあった?とりあえず、部屋に、」
「抱いて」
サトルの言葉を遮るように、ミオリが呟いた。
「……え?」
ミオリはサトルの背中に手を回して、胸に顔を埋める。
部屋に入るなり、ミオリは背伸びをしてサトルに口づけした。ミオリからキスをねだる事など、今まで1度もなかった。サトルは驚きながらも、何とか理性の手綱を握る。
「ミオリ…体が冷たくなってる。先にシャワー、浴びておいで?」
ミオリは首を振って、潤んだ瞳でサトルを見上げる。
「…サトルさんが、あっためて。いま、すぐに。」
これまで見た事のない蠱惑的なミオリの表情に、サトルは唾を飲み込んだ。そのまま、欲望に流されるままに、ミオリの唇を奪う。
ベッドの上で、避妊具に手を伸ばすサトルを、ミオリが制した。
「着けないで」
ピル、飲んでるから、大丈夫。そう囁くミオリを、サトルは信じられない物を見るような目で見た。
「ミオリ、でも」
「お願い…サトルさん」
懇願するような響きに、サトルは訝しげな表情を浮かべながらも、伸ばした手を引っ込めた。そのままその手で、ミオリの頭を撫でる。
ミオリの頭の中で、ぼんやりと、1つの企みが像を結び始めていた。
ミオリはまるで蜘蛛が獲物を巣に誘い込むように、サトルを罠に嵌めた。
*****
ミオリは、手元のスティックを見つめる。
小窓にくっきりと浮かび上がる線は、「陽性」を意味していた。
ああ、いるんだ。お腹の中に、サトルとの子供が。
時間差で、心臓が早鐘を打ち始める。
やってしまった。という思いが、胸を占拠していく。
ピルなんて、もちろん飲んでいなかった。サトルを騙したのだ。
『ミオリとも、こんなに気軽に会えなくなっちゃうのは、寂しいな。…』
あの日のユキの言葉を思い出す。
ユキはこれから、アザイ家に閉じ込められる。
祝言の日の、おっかない顔つきのアザイ家の面々を、今でも覚えている。
あんな所に、ユキを、
…たった一人で、行かせはしない。
サトルの子供を妊娠して、サトルに結婚を迫る。
アザイ家の嫁になれば、ユキにも会いに行きやすくなる。
もしサトルが結婚を拒んだとしても、アザイ家の血を継ぐ子供を産みさえすれば、あの家に出入りする事ができる。
これが、ミオリの企みだった。
ミオリは顔面蒼白になりながら、のろのろとトイレを出た。
騙していた事を知ったら、サトルは何と言うだろうか。…サトルを、利用していた事を知ったら。
もしかしたら、堕胎を迫られるかもしれない。そしたら、ミオリの計画は頓挫してしまう。
ミオリはかぶりを振った。
違う。ユキの事だけじゃない。
ミオリはサトルの心も、繋ぎ止めておきたかったのだ。それで、こんな手段を選んでしまった。
最も卑怯なやり方で、愛する人を縛りつけようとしている自分が、ミオリは恐ろしくなった。裏目に出るリスクの方が、高いのに。そうすればミオリは、全てを失ってしまう可能性もあるのに。
考えに考え抜いた結果、ミオリは堕胎できない週数になるまで、サトルから距離を置く事に決めた。
「…いま、何て言った?」
電話越しに、サトルの声が強ばる。
「だから、…少し、距離を置きたいの。」
「何で?」
「…ちょっと、疲れちゃったの。ごめんなさい。」
「そんな理由じゃ、納得できない。」
「サトルさんが納得できなくても、私はもう、無理なんです。…本当に、ごめんなさい。」
「ミオリ、俺は、」
サトルの声を遮るように、プツッと通話を切る。
「…ごめんなさい…」
自分の部屋で膝を抱えながら、声を押し殺して泣く。
私は、何てばかなんだろう。
お腹の赤ちゃんまで巻き込んで。
お父さんもお母さんも、怒るに違いない。もしかしたら、見放されるかも。
こんな事しないで、真っ正面から、サトルさんに結婚したいって言えば良かったのに。
それで断られたら、他の方法を考えれば良かった。
でももう、遅い。
私はこの子に、一生をかけて償いをするしかない。
「ごめんなさい……」
ミオリは、もう一度、蚊の鳴くようなで呟いた。




