あの2人の馴れ初め③(サイドストーリー)
はぁ…。
ミオリは、今日何度目になるか分からないため息をついた。
目を閉じると、昨夜車の中でサトルに抱きしめられた時の感触が、ありありと思い出せる。
温かい体温、柔らかい香水の匂い。
甘く響く、低い声。
頭を撫でる、大きな逞しい手。
(こんな気持ち…初めて。さっきからずっと、サトル先生の事ばかり考えちゃう。私、どうしちゃったんだろう…。)
ミオリはこれまで他人の恋路を応援するばかりで、自身はほとんど恋愛経験がなかった。サトルに対してどんどん膨らんでいく気持ちが恋慕の情だと気づくのに、しばらく時間がかかった。
ふと、スマホが鳴る。サトルからの電話だった。
ミオリは、心臓が口から飛び出る勢いで飛び上がった。
(ど、どーしよう…!?)
高鳴る心臓を宥めながら、震える手で通話ボタンをタップする。
「ミオリちゃん、こんばんは。いま、電話してて大丈夫?」
ああ、サトルの声を聞くと、なぜかすぅっと心が凪いでいく。
「はい。…あの、昨日は、すみませんでした。」
「何にも謝る事なんてないでしょ。むしろ俺は、ミオリちゃんとドライブデートできて、超嬉しかったけど。」
「……っ!!?で、でーと…っ!?」
ミオリは目を白黒させた。サトルはふっと笑う。
「ごめん、調子乗った。…でも、良かったらまたデートして欲しいな。嫌じゃなかったら。」
「いっ、嫌じゃないですっ!!ぜひ、お願いします…!」
「うん。どこか行きたい所があったら教えて。どこでも、連れて行ってあげる。」
「………」
「…ミオリちゃん?」
「あの…どうしてそんなに、優しくしてくれるん、ですか?」
ミオリは、ずっと感じていた疑問を口にした。これまでそんなに接点もなかったのに、どうして急に?
「どうしてって、そりゃ、ミオリちゃんの事が好きだからだよ。」
サトルがあまりにもさらっと告白するので、ミオリは呆気に取られた。
「へ……?す、…それ、って、」
「13歳も年上のおじさんからそーゆー事言われるの無理!って感じだったら、なるべく早く教えて。…俺の傷が浅いうちに。」
「あの…無理なんて、思ってません。」
「そう?じゃあ俺、アプローチ続けていいのかな。どこに行きたいか、考えておいてね。……」
サトルが突然黙り込んだので、ミオリは訝しんだ。
「……サトル先生?」
「うん。昨日より元気になったみたいで、良かった。声聞いて、ほっとした。」
サトルの優しさに、ミオリは胸がじんわりと熱くなった。
次の休みの日にまた会う約束をして、電話を切る。
ミオリは、あまりの急展開に頭がぼーっとした。
翌日、ミオリがユキのお見舞いに行くと、今度退院が決まったの、と嬉しそうにユキが告げた。
「本当!?よかった!!おめでとう、ユキ!!」
ミオリは満面の笑みを浮かべて、ユキの手を握った。
『だからさ、ユキちゃんの前では、笑顔でいてあげてよ。…辛い時や悲しい時は、いつでもこうやって俺にぶつけてくれていいから。』
ミオリは、サトルの言葉を思い出す。
そうだ、ユキの前では、最後までずっと明るい親友で居続けてみせる。
ミオリも、覚悟を決めた。
退院の日はサトルと出かける約束をしていた日だったが、サトルに事情を話して、会うのは午後からにしてもらった。朝、サチを連れて病院に向かい、サチをユキに引き渡す。ユキは涙ぐみながら、しばらくサチを抱きしめ続けた。
この後、病院から直接アザイ家に結婚の挨拶に行くと聞いてミオリは驚いたが、タケルがユキを幸せにするために、本気で全力を出しているんだ、と実感した。
「へぇ。じゃータケル、今ユキちゃん連れてアザイ家行ってるんだ。」
パスタ屋で少し遅めのお昼ご飯を一緒に食べながら、サトルが言った。
「あの…大丈夫でしょうか。ユキ、アザイ家で…」
ミオリが言葉に詰まる。
「そうだよなぁ。ゲンドウさん、2年前ユキちゃんにひどいことしたもんな。心配になるよな、そりゃ。」
サトルは肩をすくめた。
「でも、今回は多分大丈夫だと思うよ。」
「え…?どうして…」
「根回ししといたから、ゲンドウさんに。ユキちゃんがいなかったら、タケルは文字通り死んでましたよ、って。一部始終話しておいた。ま、あの人にどこまで泣き落としが通じるか、分からんけど。流石に息子の命の恩人を、邪険にはしないでしょ。」
「サトルさん…」
「俺もさ、ミオリちゃんと一緒。あの2人には、上手くいってほしいから。ユキちゃんもそうだけど、タケルもこれまで、だいぶ散々な目に遭ってきたからね。もういい加減、幸せになってもらわなきゃ。」
サトルはいたずらっぽく笑う。
「最近、どう?やっぱり、まだ辛くなる?」
サトルの問いかけに、ミオリは首を振った。
「私も、覚悟を決めました。…一生、ユキの1番の親友で居続ける、って。」
「そう、偉いね。でも、俺の前では無理しなくていいから。いつでも、話聞くからね。」
優しい目で見つめられて、ミオリはドキドキが止まらない。顔を赤くして、俯く。
さすがにもう、ミオリも気づいていた。自分のこの気持ちは、恋なのだと。
と、その時。
テーブルの上のミオリのスマホが、小さく振動した。
画面に、ユキからのメッセージが届いたと通知が表示される。
顔を上げてサトルを見ると、どうぞ見て、とジェスチャーで示されて、ミオリはメッセージを開いた。
ユキのメッセージを読んで、ミオリは感極まった。
「ミオリちゃん?」
サトルが尋ねると、ミオリはスマホをサトルにも見せた。そこには、タケルとの結婚を認めてもらえた事、そして来週祝言を挙げることになった事、が綴られていた。
*****
「はぁー、これがアザイ家のお屋敷…。お母さんも、初めて来たわ…」
祝言に招待されたミオリと両親は、アザイ家の敷地内に足を踏み入れて、言葉を失った。
代々優秀な能力者を輩出する、エリート一門。その力は強大で、政界にも大きな影響力を持つ。しかしその実態は、あまり知られてはいなかった。
広大な敷地にいくつも並ぶ屋敷の数々。そして中央に聳え立つひときわ大きな日本邸宅が、タケルの実家である本家だ。
(やっぱり、私とは住む世界が違うんだな…。…サトル先生も。)
ここのところ毎晩のように、ミオリはサトルと電話で話をしていた。他愛もない話がほとんどだったが、言葉の端々に、ミオリを気遣う気持ちが窺えた。それが嬉しくて、ミオリはつい舞い上がってしまっていた。
しかしサトルは、分家とはいえアザイ家の人間だ。ミオリは改めて、自分との身分の格差を思い知らされた。はぁ、と思わずため息をつく。
その思いは、宴会場の対側に並ぶアザイ家の面々を見て、さらに強まった。皆揃いも揃って、眉間に皺を寄せて、おっかない顔をしているように見える。その中にサトルの姿を見つけてミオリはほっとするが、サトルはそんなおっかない面々に囲まれていても気圧される事もなく、飄々と涼しい顔をしていた。何だか急に、サトルが遠くなった気がした。
しかしその後、祝宴の最中にサチの悪口を言った親族を撃退したサトルを見て、サトルはやっぱりサトルなんだとミオリは思った。タケルとユキと話し終えて、くるりと振り返ったサトルと、ふと目が合った。
何だか気恥ずかしくなり、咄嗟に目を伏せようとしたが、サトルはお構いなく「ミオリちゃん!」と声をかけて、笑顔で近づいてきた。
「振袖、よく似合ってる。めちゃくちゃ綺麗。」
「あ、…ありがとう、ございます。」
顔を真っ赤にして、何とか答える。今日はサトルも和服姿で、格好良すぎて直視できなかった。
「あそこにいるの、ミオリちゃんのご両親だよね。俺、ちょっと挨拶行ってくるわ。」
「!!??ちょ、、ちょっと待って、っ」
ミオリの制止もきかず、サトルはミオリの両親の前に進み出た。
「今日はようこそお越し下さいました。アカデミーの時にタケルの指導教官を務めていた、サトル・アザイと申します。」
「これは、わざわざご挨拶ありがとうございます。あなたのご活躍は、私共にも聞こえてきていますよ。…タケルくんと一緒に、【ゼロ】殲滅に大きく貢献された、と。」
ミオリの父親のワタリが、如才なく挨拶を返す。
そのまましばらくにこやかに会話を交わす両親とサトルを、ミオリは落ち着かない気持ちで眺めていた。
ようやく話がひと段落した頃、ミオリの両親は今度はゲンドウに声をかけられて、話し始めた。それを皮切りに、サトルは後ろのミオリを振り返り、耳元でそっと囁いた。
「ちょっとだけ、ここ、抜け出さない?」
2人で、よく整備された美しい日本庭園を歩く。
「ミオリちゃん、大丈夫?疲れた?」
ミオリが黙り込んでいるのを見て、サトルが尋ねた。
「あ…いえ……」
「あそこにベンチがあるからさ。ちょっと一休みするか。」
サトルが先導して腰を下ろし、ミオリもそれに続く。
またしばし、沈黙が続く。
「……アザイ家って、やっぱりすごいですね。」
ぽつり、とミオリが言った。サトルがミオリを見る。
「敷地も信じられないくらい広いし、お屋敷もすごく立派だし…」
「うーん…まぁ確かに、一見威圧感あるよな。俺はもう見慣れちゃってるから、普段はあんまり感じないけど。」
サトルは頭を掻いた。
「あのさ…俺って、ゲンドウさんのお父さんの愛人の子どもなんだ。」
「……え?」
「分家って言うけどさ。実際は、母は前当主に囲われてる、お妾さんだったってわけ。
そんな産まれだから、小さい頃から俺と母は、身を潜めるように暮らしてきた。あいつら容赦ないからさ、あからさまに嫌がらせしてくる奴もいたし。」
「…そう、だったんですか。あの、お母さんは今…」
「母は、自殺したんだ。俺が15歳の時に。」
ミオリは、息を呑んだ。
「母はもともと、気持ちの弱いひとだったから。その時俺はアカデミーに入ってたから、母はたった1人で死を選んだんだ。俺には、何も言ってくれなかった。」
ふー、とサトルが息を吐く。
「ま、もう20年も前の話だからさ。とっくに時効なんだけど。でもその頃から、俺は誰かと深く関わる事が、億劫になっていったんだ。女の子と付き合ったりもしてみたけど、長続きした事なくて。」
「………」
「だからタケルはさ、例外的に、しっかり関わり続けてきた弟子なの。最初は次期当主のタケルに対抗心燃やしてた事もあったけど、あいつユキちゃんに出会ってからほんとに変わってさ。どんどん成長していくあいつを見るのは、楽しかった。」
ミオリは頷く。サトルは少し間をおいた後、言葉を継いだ。
「それでさ……俺いま、ミオリの事をもっとよく知りたいって思ってるんだ。」
ミオリは、ぱっと顔を上げた。
「いい歳したおっさんがキモいんだけどさ…女の子に対してこういう風に思うの、俺初めてなんだわ。」
サトルは、手の平でそっとミオリの頬に触れた。真っ直ぐ、じっと、瞳を見つめる。
「ミオリ。俺の恋人に、なって欲しい。」
ああ。
このひとが、私の運命の人なのだ。
ミオリは悟った。
頬に触れるサトルの手に、自分の右手を重ねる。
「……はい。よろしく、お願いします。」
サトルは微笑んで、ミオリにそっと触れるだけの口づけした。




