あの2人の馴れ初め②(サイドストーリー)
ユキが目を覚ました。しかし、後遺症が残った。
おそらくあと数年かけて、ユキの心は死に向かっていく。
その事をタケルから聞いたミオリは、目の前が真っ暗になった。
(やっとこれから、タケルと幸せに暮らせるのに…)
アカデミー時代からユキの親友として2人の仲を応援し続けてきたミオリにとって、それは受け入れ難い事実だった。
ユキが、そう遠くない将来、抜け殻になる。
想像するだけで、ミオリは胸が押し潰される思いがした。
家に帰ると、サチが出迎えてくれた。
「おーちゃ、あーしょーぼー」
サチはミオリの事を『おーちゃ』と呼ぶ。いつもなら可愛くて仕方がないが、ユキの今後の見込みを聞いたばかりの今、サチのあどけない笑顔はさらにミオリを苦しくさせた。
なんとか笑顔を貼り付けて、「後で遊ぼうね」と答え2階の自室に上がる。
部屋に入り、ドアを閉じた途端に、これまで耐えていた涙がとめどなく溢れてくる。
1番辛いのは、ユキ自身と、タケルだ。そのタケルが泣いていないのに、自分が泣く訳にはいかない、と、ミオリは泣くのを必死に我慢していた。しかし今1人になって、ミオリは自分の気持ちを抑え込む事ができなくなった。
「……っ、うっ、…うっ、」
ベッドに仰向けに倒れ込んで、1階にいる両親に聞こえないよう、声を殺して嗚咽を漏らす。
どうして、ユキばかりがこんなに辛い思いをするの。
あんなに優しい、頑張り屋なのに。
神様は、どこまで意地悪なのだろう。……
ミオリは1人で受け止めるのが苦し過ぎて、階下の両親に相談しようかと一瞬迷ったが、サチの前でこんな顔は見せられない、と思いとどまった。ましてや、母親が数年で心が死んでしまうなんて…とても話せない。
その時。
ポケットの中でスマホがブルっと小さく振動した。メッセージの通知のようだった。
取り出して画面を見ると、サトルからだった。
<ミオリちゃん元気?今度、飯でもどう?>
見るなり、ミオリは縋るような思いで、ほとんど衝動的に受話器ボタンをタップしていた。
サトルはワンコールで電話に出た。
「もしもーし、ミオリちゃん?」
サトルの声を聞くと、また涙が溢れてきて、声が出ない。
「……っ、……」
「おーい?ミオリちゃん?どしたの?」
「さ…とる、せんせ……」
絞り出すようなミオリの声を聞いて、サトルはすぐに異変に気づく。
「…ミオリちゃん。どうした?今どこ?」
ミオリはしゃくり上げるばかりで、答えられない。
「今、実家にいる?…ちょっと待ってて、今すぐそっちに向かうから。着いたらまた、連絡する。」
「……っ?」
プツン、と通話が切れる。
(…こっちに、向かう、って言ってた?今…)
ミオリは戸惑いつつ、頬を流れる涙を手の甲で拭った。
深呼吸を2つして、ドアを開けて階段を降りる。
「あら?ミオリ、また外出かけるの?夕飯は?」
リビングから、母親のカオルが声をかけてくる。
「うん、ちょっと買い物、行ってくる。夕飯は適当に済ますから、大丈夫だよ。」
なるべくいつもと同じような明るい調子で返事を返して、玄関のドアを開けた。
駅まで、夜道を歩いていく。もうすっかり冬の気配で、夜はかなり冷え込む。コートを引っ掛けては来たが、もう少し厚着してくれば良かった、とミオリは少し後悔した。
(こっちに向かう、って、サトル先生どうやって来るんだろ…てか、本当に来るのかな…)
駅のロータリーのベンチに、腰を下ろす。はぁ、とかじかんだ両手に息を吹きかける。
外の冷気にあたって、ミオリは少し冷静さを取り戻した。
(いきなり電話してきて、ろくに話もせず泣いていたら、そりゃサトル先生もびっくりするよな…。
ああー、考えなしに電話なんて、するんじゃなかった…。)
タケルとユキの事をずっと近くで見守り続けて、2人をよく知っている人物。ミオリの苦しい気持ちを打ち明けるのに、サトルはうってつけのように思えたのだ。…その時は。
だけどよく考えると、ミオリはサトルと先日お茶しながら話したのがほとんど初めての接点で、もともとそんなに親しく親交があった訳でもない。
ぐるぐると考え込んでいると、近くから車のクラクションが短く鳴った。ふと顔を上げると、シルバーのミニクーパーの運転席に座ったサトルが見えた。
(ほんとに、きてくれたんだ…)
走り寄っていくと、サトルが車窓を半分開けて声をかけた。
「お待たせ。ミオリちゃん、もしかしてずっと外で待ってたの?寒かったでしょ、ほら隣乗って。」
少し躊躇ったが、失礼しますと断って、ミオリは助手席に乗り込んだ。
「少し、ドライブでもしようか。どっか行きたいとこ、ある?」
ミオリは無言で首を振る。
じゃ、てきとーに走らせるね、と呟いて、サトルは車を発進させた。
ドライブ中、ミオリは気まずさから、終始無言を貫いた。そんなミオリを急かす事もなく、サトルも沈黙を守った。30分ほど走らせた後に大型ショッピングモールを見つけて、サトルは駐車場に車を停める。
「ミオリちゃん、ちょっと待ってて。」
サトルはミオリを助手席に残してモール内に入って行ったかと思うと、両手にコーヒーチェーン店のロゴが入ったテイクアウト用のカップを持って戻ってきた。
「こないだココア飲んでたから、またホットココアにしちゃったけど、大丈夫?しかも、ホイップクリーム増し増しに追加してもらっちゃった。」
運転席に乗り込み、ミオリにココアを手渡す。
「ありがとう、ございます…」
「ミオリちゃん、寒くない?暖房上げようか?」
ミオリは首を振る。
再び、沈黙。
ミオリがさっきの電話についてどう釈明しようかと考えあぐねていたところに、ふいにサトルが切り出した。
「ミオリちゃん、…もしかして、ユキちゃんの事、聞いた?」
ミオリが、はっと顔を上げる、
「やっぱり、そうか。」
「…先生も、知ってたんですか?」
「うん。昨日お見舞いに行った時に、ユキちゃんのいない所で、タケルから聞いた。」
「………」
ミオリは、ココアを両手の平で包み込んだ。
「…わたし、情けないですよね。先生やタケルは、ぜんぜん泣いたりしてないのに。あんなに、動揺して…」
サトルは、ミオリの顔をじっと見つめた。
目は赤く、頬にはまだ涙の跡が見える。
「情けなくなんか、ない。」
ミオリは俯いて、また首を横に振った。
「わたし、だめなんです。…いっつも、感情が先走ってしまって…。ユキも、あんまり感情を外に出さない子だから、わたしばっかり大騒ぎしちゃって…」
ミオリは少し黙り込んだ。サトルも静かに、ミオリが話し始めるのを待つ。
「…ずっと、2人に幸せになってほしいと、思ってたんです。アカデミーの時、から。
ユキもタケルも、私の大切な友達だから。…」
「…うん。」
サトルが相槌を打つ。
「先生…どうして、ユキはいつも、あんなに辛い目に合わないといけないんですか。…ユキはもう、十分頑張ってきた。これからやっと、タケルと幸せになれるところ、だったのに…っ」
話しているうちに、また感情が迸ってしまい、涙がとめどなく溢れてくる。
「ユキが…ユキの、心が、っ、死んじゃうなんて、いやです…っ!!わたしそんなの、いや…っ!!!」
「ミオリちゃん…」
「ずっと、…っ、友達で、いるって…、約束、したのに…っ!助けて、あげられない、なんて…っ」
ミオリが過呼吸を起こしかけているを見て、サトルは助手席のミオリを抱きしめた。
「ミオリ。」
耳元で、サトルが低い声で囁く。
「……っ、」
ミオリは目を見開く。
「大丈夫だから。…ゆっくり、息を吐いてごらん。」
言われるがままに、ミオリは息を吐く。
「そう、上手だ。そのままゆっくり、深呼吸して。」
優しいサトルの声が、ミオリの昂った感情を鎮めていく。ミオリは大きく息を吸って、吐く、を何回か繰り返した。
「…ごめん、なさい。こんなに、取り乱して…」
少し落ち着きを取り戻したミオリが、サトルに謝る。
サトルはミオリを抱きしめたまま、頭を優しく撫でた。
「ミオリちゃんの気持ちは、よく分かる。…いいんだ、今は思い切り泣いて。だって、悲しいんだから。無理に我慢なんて、しなくていい。」
サトルの首筋から、かすかにムスクの香水の匂いがする。ミオリはその匂いを、胸いっぱいに吸い込んだ。
「…タケルは、昨日話した時、もう覚悟ガン決まってる感じだった。恐らくあいつも、人知れず心では泣いたはずだ。だけどユキちゃんの残された時間、全力で幸せにするんだって、そう言ってた。」
「……っ…」
「ユキちゃんは、大丈夫。俺が手塩にかけて育てた愛弟子が、ここから先ユキちゃんを、世界一幸せにするから。」
こくん、とミオリは黙って頷いた。
「でもさ、できたらミオリちゃんも、ユキちゃんを幸せにする作戦に参加してあげてほしい。タケルにはできない、ミオリちゃんにしかできない事、あるはずだから。」
ずずっ、とミオリが鼻を啜る。サトルは続ける。
「だからさ、ユキちゃんの前では、笑顔でいてあげてよ。…辛い時や悲しい時は、いつでもこうやって俺にぶつけてくれていいから。」
ミオリはサトルの顔を見た。穏やかな優しい目で、包み込むようにミオリを見つめている。
しばらく見つめ合った後、急に気恥ずかしくなったミオリは、慌てて俯いて目を逸らす。
「あの……ありがとう、ございます。」
サトルは、黙って微笑んだ。




