第22話 既成事実
車の後部座席に座りながら、アザイ家の邸宅に近づくにつれて、ユキの緊張は増していった。
ユキがここを訪れるのは、サチの妊娠が分かって、タケルと一緒に逃げ出した夜以来だった。
あの時かけられたゲンドウとタマキの言葉は、今でもユキの胸に、ガラスの破片のように突き刺さっている。
顔色が悪くなっていくユキを見て、タケルは強引に連れ出した事を少し後悔した。…ユキにとっては、いい思い出のない場所だ。
だけど、ユキと結婚して幸せになるためには、ゲンドウとの話し合いは避けて通る事ができない。タケルは正直アザイ家を捨てて駆け落ちしたって全然構わないが、そうしてしまうとユキが負い目を感じるだろう事は、容易に想像がついた。
「だーだ?」
チャイルドシートに座ったサチが、声を上げる。
ユキがサチの頭を撫でる。
『その子は、我々に不幸しかもたらさない。』
ゲンドウの言葉がこだまする。
大丈夫。…大丈夫。タケルもついててくれてる。
ユキは、自分に言い聞かせた。
襖を開けると、ゲンドウとタマキが既に座して待っていた。
タケルが2人の向かいに座る。ユキは少し離れたところで、サチを連れて正座する。
と。
「まんま!あっち、あっち!」
サチが庭を指さしながら、ユキの服を引っ張る。
「しーっ、サチ、静かにして…」
ユキは慌ててサチを宥める。
「ユキ。良かったら、サチと庭で遊んであげて。
俺が先に、話をしておくから。」
タケルが提案する。
「え…でも……」
「私達も、それで構わないよ。そこの縁側から庭に出れるから。行っておいで。」
ゲンドウも承諾した。
ユキとサチが庭に降りて行くのを見届けて、タケルが切り出した。
「単刀直入に言います。…ユキとの結婚を、認めて下さい。」
畳に手をついて、頭を下げる。
ゲンドウとタマキは、しばらく一言も発しなかった。
キャッキャッ、と、庭でサチがはしゃぐ声が響く。
「…お前が、ユキさんのために、この2年間必死に動いてきたことは、よく分かっている。」
ゲンドウが口を開いた。
「タケル。【ゼロ】壊滅に関して、お前は本当によくやってくれた。…最後の最後で油断したな。」
「…ご心配を、おかけしました。」
「本当ですよ…!タケルさんが死にそうだったと聞いて、私がどれだけ心配したか…!
無事で、本当に良かった。」
タマキが涙ぐんでいる。
「…ユキが、助けてくれたんだ。」
「ああ。経緯は聞いてるよ。」
ゲンドウが頷く。
「タケル。ユキさんは、あと数年で"抜け殻"になる。そうだな?」
直球の言葉が、タケルの胸を深く抉る。
「……それは……」
「その後、あの子はどうするんだ?…お前が父親として、育てる覚悟はあるのか?」
「ある。俺が責任を持って、サチを育て上げる。」
タケルが間髪を入れず、きっぱりと言った。
タマキが首を振る。
「タケルさん。子供を育てるのは、そんなに簡単な事じゃないのよ。…ユキさんがいなくなった後、あなたは新しい伴侶を見つけないといけないし。」
「…っ、今、そんな話するな…っ!」
タケルは母親に反発した。
「ユキは…ユキは俺を助けるために、身を削ってくれたんだ!!…ユキが生きてる限り、俺は絶対に、他の人と一緒になんてならない!」
「タケル。落ち着きなさい。例えばの話だ。」
ゲンドウがタケルを宥める。
そうだ、落ち着かないと。
ここで相手の挑発に乗って取り乱したら、俺の負けになってしまう。
タケルは深呼吸をした。
「…母さん、ごめん。正直今は、そんなに先のことは考えられない。ただ、サチは俺の子供として、一生責任を持つ覚悟がある。」
「…………」
再び、重い沈黙が場を支配する。
「お前が、あの子を自分の子供として育てる覚悟があるのは分かった。…だが、正直に言って、私達や他の親族にもその理解を求めるのは、無理だと思え。」
『君の一族は、何よりも血の繋がりを大切にしてきた』
タケルは、リヒトの言葉を思い出す。
「アザイ家で血の繋がらないあの子を育てて行く事は、あの子にとっても、辛い事が多いだろう。…言っている意味は分かるな?」
「…分かってる。父さん達は、そのままでいい。俺が、何があっても、サチを守るから。」
ふぅ、とゲンドウが息を吐く。
そこへ、ユキとサチが庭から戻ってきた。外の寒さで、頬が赤くなっている。
「お帰り、サチ。お庭はどうだった?」
「だーだ!」
サチはニコニコしながら、タケルに庭で拾ってきたつるつるの丸い石を、宝物のように差し出す。
「おー、いいの拾ってきたなぁ。外寒かっただろ。手、冷たくなってるな…」
サチとタケルのやり取りを、ゲンドウはしばらく黙って見守っていたが、
やがてユキの方に向き直る。
「ユキさん。」
「!!はっ、はいっ!!」
ユキは背筋を伸ばす。
「…まず、改めてお礼を言わせてくれ。
タケルの命を助けてくれて、本当にありがとう。」
ゲンドウが頭を下げる。隣で、タマキも一緒に頭を下げている。
「いえっ、そんな…。頭を上げて下さい。」
ゲンドウはなおも頭を下げ続ける。
「それだけじゃない。…2年前、私達が君に対して行った非道の数々も、どうか許してほしい。
本当に、申し訳なかった。」
「……校長、先生……」
「お義父さん、でいいよ。」
ユキとタケルが、同時にパッと顔を上げる。
「ユキさん。不肖の息子ですが、タケルを宜しく頼みます。」
「………っ!!」
ユキは、タケルと顔を見合わせた。
「親父…ありがとう…!!!」
ゲンドウは、観念した、という様子で肩をすくめた。
「さて。そうと決まれば、祝言は早く挙げた方がいいな。」
ゲンドウがスマホを取り出して、スケジュールを確認する。
「お、ちょうど来週の日曜日、日取りがいいな。」
「!!?えっ、え、来週の、日曜日ですか…!?」
「タマキ。大至急準備すれば、いけるな?」
タマキは、苦虫を噛み潰したような表情で、はぁーと1つため息をついた。
「そりゃ、できない事はありませんけど…。衣装も料理も、最低限の設えしか用意できませんよ?」
「タケル、ユキさん、それで構わないね?」
「ああ、構わない。その日にしよう。」
「ちょ、ちょっと、タケル…!」
ユキは、急展開に面食らう。
「ユキさん。これは当主としての助言だけどね。
恐らく君たちの結婚は、正直良く思わない親族もいると思う。あまり先延ばしにすると、そういう輩が横槍を入れてきて、いらん邪魔が入るかもしれん。
だから、有無を言わさずパパッと既成事実を作ってしまって、煙に巻くのが1番だと思うよ。」
「………」
「ユキ。俺も親父に賛成だ。急で悪いけど…どうかな?」
「……わ、分かった。」
外堀を埋められて、逃げられないようにされた?
ユキは狐につままれたような気持ちで、頷いた。
「ユキさん。退院してきたばかりで申し訳ないけど、これから準備で大忙しですから。
今日から祝言の日まで、ここに泊まりなさい。」
「えっ、」
「ナガイ!来なさい。今すぐ、分家へ通達を。それと、ただちに出入りの呉服屋を呼びなさい。」
…なんだか、タマキまで生き生きしているように見える。
「まんま?」
サチの頭を撫でながら、ユキはなんだか自分だけ周囲から取り残されたような気持ちになった。




