第17話 約束
「実はね、タケルくんと、ずっとやり取りしていたんだよ。」
ハルオミが、ユキに白状した。
少し離れた所で、タケルがサチを肩車して遊んでくれている。先程までタケルが座っていたベンチに、今はハルオミが腰を下ろしていた。
ユキは、黙って隣のハルオミを見上げる。
「サチちゃんが産まれて、数ヶ月した頃かな…。ちょうど1年位前だったかもしれない。」
突然、タケルから、ハルオミに連絡があった。
会って、話がしたい、と。
久しぶりに顔を合わせたタケルの、あまりに憔悴しきった様子に、ハルオミは息を呑んだ。
タケルはハルオミに、ユキへの想いを語り始めた。
いなくなってからも、ずっと忘れられないこと。
ユキが元気に過ごしているのか、心配で堪らないこと。
ユキを守れなかったことへの、深い後悔。
『今はただ、ユキが安心して過ごせるように、【ゼロ】を壊滅させることだけを考えるようにしています。』
タケルは、自身の決意をハルオミに表明した。
『そして、…因縁を果たせたら、その時には…
ユキを、迎えに行きたい。』
タケルは、ハルオミの目をまっすぐ見て、言った。
『ユキは、元気にしていますか。』
確信は、なかったのかもしれない。
それでも、何かの勘が働いたのだろう。
ユキが、ハルオミの所にいる、と。
「ユキさん。黙っていて、悪かった。
ただ、言い訳をするようだけど…
私はね、同じ立場として、タケルくんの気持ちが、痛い程よく分かるんだよ。
もちろん、私は全面的にユキさんの味方だけど…彼のことも、応援したいと思ってしまったんだ。
だから、彼と約束をした。
区切りがつくまでは、ユキさんには絶対に会いに来ないでくれ。
その代わり、私から時々、ユキさんの様子をタケルくんに伝えるから、と。」
「そう、だったんですか…」
全然、気づかなかった。そんなことが、あったなんて。
「…あれ?でも、じゃあ、今日会いに来たのって、…」
ハルオミは、ユキを見た。
「ユキさん。今日はサチちゃんを僕が預かるから、タケルくんと2人でゆっくり、話をしてあげて。」
「………」
2人は、タケルとサチに視線を移す。
サチが、たくさん集めた落ち葉をタケルに差し出すと、タケルは優しい表情でそれを受けとっている。
「タケルくんは、なかなかいいパパになりそうだね。」
ユキはまた、ハルオミを見た。
「彼は、サチちゃんのことも、ずっと気にかけていたんだよ。この村の皆に可愛がられてると伝えると、心からホッとしているようだった。きっと、ずっとサチちゃんにも、会いたかったんだろうね。」
タケルはもう、気づいているだろう。
サチに微かに宿る、リヒトの面影に。
それでも…あんなに優しい表情で、サチを見つめている。
ユキは、心を決めた。
もう逃げない。
私はタケルと、生きていきたい。
あなたと、生きていくために、私は。
「ハルオミさん…タケルと2人で、話をさせて下さい。」
ハルオミは目を細めて、深く頷いた。
*****
自宅の平屋のリビングのソファにタケルを座らせて、ユキはコーヒーを淹れた。
2人分のマグカップをローテーブルに置いて、黙ってタケルの隣に座る。
「…ハルオミさんから、話を聞いた。」
ユキが切り出した。
「うん。…ユキに黙って、勝手なことして、悪かった。」
ユキは首を振る。
ひと呼吸おいて、尋ねる。
「どうして…今日、会いに来てくれたの?」
タケルは、言葉を慎重に選んでいるようだった。
「…あれから、俺、結構頑張ったんだ。」
「うん。…新聞で、読んでた。」
「【ゼロ】と、…リヒトと、決着をつけたら、
ユキを迎えにいく、つもりだった。」
少し間を置いて、タケルは続けた。
「いま、【ゼロ】は事実上、ほとんど瓦解してる。」
タケルはこれまで、【ゼロ】の組織員捕縛のほかにも、裏で組織自体を分裂させる工作を続けていた。この裏工作には、ゲンドウの力が大いに役立った。
内外からあらゆる揺さぶりをかけて、【ゼロ】内部での対立構造を誘導し、組織の結束を弱める。
タケルは、物理的にも精神的にも、じわじわと確実にリヒトを追い詰めていた。
「あとは、リヒトだけが、残ってる。」
ユキは顔を上げた。
「居場所も、突き止めてる。…数日以内に、決着をつけにいく、つもりだ。」
タケルは、息を吐いた。
「本当は、全部終わってから、会いに行こうと思ってたんだ。
…でも、あいつに会いに行く前に…
どうしても、ユキに会いたくなった。
それで、ハルオミさんに相談したんだ。」
最後にリヒトに直接対峙したのは、あの官庁街の無差別テロ事件のとき。以降リヒトは、雲隠れを続けていた。
もちろんユキも、あれ以来リヒトには会っていない。
リヒトは、サチが産まれたことを、知っているんだろうか。
色々な想いが、ユキの胸に渦巻く。
と、その時。
タケルが、ユキの頬に優しく触れた。
「リヒトと、決着をつけたら…今度こそ、迎えに来るから。
一緒に、帰ろう。」
ユキは、もう逃げない。
タケルの想いに、まっすぐ向き合う。
「うん。…待ってるね。」
それからしばらく、お互いの近況や、とりとめのない雑談を交わす。
久しぶりに会ったのが信じられない程、2人は話がはずみ、時間が経つのを忘れておしゃべりをした。かつて、週末のデート中にカフェで語り合っていた時のように。そして、たくさん笑い合った。
外が少しずつ暗くなり始めたのに気づいて、ユキが立ち上がってカーテンを閉める。
「もう、こんな時間…。タケル、最終バス、もうすぐ出ちゃうよ。」
振り向こうとした瞬間に、後ろからタケルがユキを抱きしめた。
「あのさ、俺実は、今ちょっと偉くなったんだよね。」
「へ?」
「今日はバスじゃなくて、俺専属のドライバーの運転で、車で来てんの。」
「え??」
「いま、村の外で待ってくれてる。…ユキとの話が終わるまで。」
「そ、…そう、なんだ。」
タケルは、ユキを抱きしめる腕に力を込めた。
「俺は、話だけで、終わりたくないんだけど。」
耳元で、甘く囁く。
ドキン、とユキの心臓が跳ね上がる。
「ユキを、抱きたい。…だめ?」
ああもう、ほんとにこういうところ、タケルはずるい。
普段は冷静沈着なのに、ふとした時にユキにだけ見せる、甘えた表情。
ユキが、断れる訳がないことを、分かってやってるのだ。
ユキはタケルの方に向き直り、肩に額を押し当てて、耳まで真っ赤になりながら言った。
「うちのベッド、…狭いけど、いい?」
*****
ユキにとっては、監禁されていた時以来の行為だった。
あの時の記憶が蘇らないか不安はあったが、
タケルはその不安を察知してなのか、信じられない程優しく、どこまでも甘やかすようにユキを抱いた。
まるで、ドロドロに体が溶けていくようだった。
2人が再び服を着始めた時、すでに外はすっかり日が暮れていた。
もう行かなきゃ、とタケルは呟く。
こくん、とユキは頷く。
玄関まで、タケルを見送る。
タケルは、ユキの瞳が不安そうに揺れるのを見て、宥めるように頭を撫でた。
「大丈夫。約束するから。絶対に、迎えに来る。」
右手の小指を差し出す。
ユキもおずおずと右手を上げて、自分の小指を絡める。
指切りげんまん。
「待ってて。」
そう言い残して、タケルは去って行った。




