第15話 産声
ユキは、あっという間に集落に馴染んだ。
集落に住む住人のうち、これまでは40代の施設職員の男性が最も若かったが、今や記録が大幅に更新して、ユキが最若年となった。赤ちゃんが産まれれば、記録はさらに更新する。
「この集落で赤ちゃんが産まれるのは、いったい何十年ぶりだろうねぇ。」
村長は目を細める。他の住人も皆、ユキを必要以上に詮索することなく、身重の体を気遣ってくれた。
ユキは、施設の仕事にもすぐに慣れた。もともと真面目で気配りもできるユキは、与えられた仕事を期待以上にきちんとこなした。当初は妊婦だからと力仕事は免除されることになっていたが、妊娠経過が良いのかユキは元気そのもので、女性入所者の入浴介助や排泄処理などもすすんで引き受けたため、施設中のスタッフがユキを大絶賛した。
ハルオミは、サクラのお見舞いがてら、頻繁にユキの様子を見に来てくれていた。
「ユキさん、ちょっと無理し過ぎでは…。お腹も大きくなってきたし、そろそろ休ませてもらった方がいいのでは?」
しかし、ユキは笑って首を振る。
ユキにとっては、自分が能力以外のことで役に立っている今の状況が、とても嬉しかったのだ。かつて、自分を優しく見守ってくれた孤児院のスタッフの面々が頭に浮かぶ。
ああ、そうか、とユキは気づいた。
ここはあの孤児院の空気に似ているんだ。だから、こんなに落ち着くんだ。
お腹の中から、胎児がポコポコと蹴ってくるのを感じ、ユキはお腹をさする。
ミオリの家を出てきた時には、こんなに心穏やかに過ごせる日が来るなど、予想もしていなかった。
*****
いつの間にか、季節は春を過ぎて、夏にさしかかっていた。
ユキは臨月を迎え、お腹ははち切れそうな程大きくなっていた。
本来ならとっくに産休に入る時期ではあったが、ユキは家でじっとしていると不安が募るからと、村の仕事や施設の雑用などをちょこちょこと引き受けて、外に出る用事を作った。
「ユキちゃん。体調大丈夫?そろそろ産まれるんじゃない?」
「男の子かねぇ、女の子かねぇ。楽しみだなぁ。」
「陣痛が来たら、すぐに言ってよ。俺が麓の町まで車飛ばして、産婆連れてくるから。」
村や施設で、みんながユキを気遣って声をかけてくれる。ユキの出産は、今や村を上げての一大イベントとなっていた。
夜。
ユキは少し疲れを感じて、早めに寝ようとベッドに向かう。
ユキの家は、村はずれの空き家を融通してもらっていた。こじんまりとした平屋の一戸建てで、一見古く見えるがよく手入れされているのか、住むのには全く困らない。
ベッドに横になり、目をつむるが、一向に眠気が来ない。お腹が大きくなってからは仰向けになるのが辛く、横向きの姿勢のまま、とりとめもなく思いを巡らせる。
去年、妊娠が判明した時は、絶望だった。
だけど今、この集落でユキは受け入れられて、皆が一緒に赤ちゃんを心待ちにしてくれている。
運命とは不思議なものだ。ミオリの家を出た後、行く当てもなかったユキだったのに。もしかしたら、サクラがユキを導いてくれたのかもしれない。
ふと、なんの前触れもなく、タケルの姿が思い浮かぶ。
最後に会ったのは、もう半年以上前だ。
手紙で一方的に別れを告げられたタケルは、どう思っただろうか。…恐らく、怒っただろうな。あんなに、良くしてもらったのに。
ユキは、そっと目を閉じる。
一度思い出し始めると、次から次へと、タケルとの楽しかった思い出が頭をよぎる。
アカデミー時代の、2人の合同訓練。
目覚めるまで待っていてくれた、医務室の風景。
毎週末のように出かけたデート。
働き始めてから、同棲を始めるまで。
2人で暮らし始めてから。
タケルのプロポーズ。
タケルと出会って、本当に、幸せだった。
だから、大丈夫。この子も、きっと幸せになれる。
意図せず、涙が溢れる。
タケルは、今頃新しい恋人を見つけただろうか。
あれだけ好条件でモテるんだから、相手はすぐに見つかるだろう。…逆に、よくユキを好きになってくれたなぁと不思議に思う程だ。
タケルは、ユキに向けてくれていた優しい眼差しを、今はほかのひとに向けているのだろう。
それでいい。
そのために、彼の元を去ったのだから。
だけど、
…だけど、本当は、
「……っ、?」
違和感を感じて、お腹に手を当てる。カチカチに固くなっていて、締め付けられるような痛みがある。
しばらくさすっていると、1分程で自然とお腹はゆるみ、痛みは去っていった。何だったんだろうと思っていると、10分おきに、また同じ痛みが来る。
「……もしか、して、」
ユキは、枕元に置いてあるスマホを手に取った。
ユキがもともと持っていたスマホは、ミオリの家に置いてきた。このスマホは、緊急事態用にとハルオミが持たせてくれたものだった。
時刻は21時を過ぎている。
ユキはやや躊躇った後、ハルオミにメッセージを送った。
『陣痛が、来たかもしれません。少し、様子を見てみます。』
メッセージを送り終わった後、スマホを枕元に戻して、また横になる。
痛みが来るたびに時計を見る。…やはり、規則的に来ている。
ユキは、急に言いようのない不安に襲われた。
これから、陣痛はますます強くなっていくだろう。
たった1人で、乗り越えられるだろうか。
心細さに、胸が押し潰されそうになる。
こわい。
いやだ…こわい。
だれか…
その時、ガチャッとドアが開く音がした。
ハルオミがメッセージを見るや否や、合鍵を持って駆けつけてきたのだった。
「ユキさんっ!!大丈夫か!?」
ハルオミがベッドサイドに駆け寄る。
先程より痛みが強くなり、額に冷や汗をかきながら、ユキがハルオミを見る。
「ハルオミ、さん、……うっ、」
ハルオミが、痛みに呻くユキの手を握る。
「ユキさん、大丈夫だ。…私がついてるから。」
ユキは涙を流しながら、黙って頷いた。
*****
タケルはサトルと協力しながら、1人また1人と【ゼロ】の幹部を捕獲していた。
その幹部達を尋問し、徐々に組織の深部に迫っていく。しかし知れば知る程、組織の複雑な事情が明るみになり、タケルは深淵の底を覗き込むような気持ちになった。
(一体いつになったら、リヒトにたどり着くんだ…)
絶望感に苛まれそうになり、久しぶりに帰ってきた自宅のリビングで、ソファに座ってぼーっとする。
と、ふと壁にかけたカレンダーが目にとまる。
ああ、そうだ。
そろそろ、出産予定日のはずだ。
ユキの顔を思い浮かべる。
本当は俺が、ずっとそばについていてあげたかった。
ユキは、1人ぼっちで、孤独に出産に臨んでいるのだろうか。
……
タケルは、胸を締め付けられた。
と、その時。
ガチャッ!!と突然部屋の扉が開き、ドタドタと誰かが入ってくる。
「タケルッ!!!!いるか!!!!」
サトルだ。
「おじさん、いきなり入ってくるのやめてくださいって、何度言ったら…」
「…産まれたぞ、」
サトルは息を切らせながら言った。タケルは目を見開く。
「女の子だ。
ユキちゃんも、赤ん坊も、無事、だそうだ…!」
タケルは、全身から力が抜けるようだった。
「……よか、った……!」
タケルが安堵の涙を流すのを見て、サトルは黙ってタケルの頭をくしゃくしゃに撫でた。
*****
初産にしては、安産だった。と産婆は評した。
産まれた赤ん坊は、ユキにそっくりだった。注意深く観察すると、髪の毛と瞳の色には父親の影を宿していた。しかしそのことに気づいていたのは、集落ではユキだけだった。
「ユキさん、おむつの追加、買ってきたよ。他に必要なものはない?いつでも麓まで買い出しに行くから、遠慮なく言ってくれ。」
ハルオミは、まるで赤ん坊の祖父のように、甲斐甲斐しく世話を焼いた。産後で思うように動けないユキは、有難くハルオミを頼った。
ユキは娘に、サチと名付けた。幸せがたくさん訪れるように、と願いを込めて。
ハルオミと相談し、サチはひとまず私生児として、ハルオミの養子に入れることになった。戸籍から2人の居場所を辿りづらくするためだ。
「ハルオミさんに、たくさん迷惑をかけてしまって…」
ユキが恐縮すると、
「ユキさん。私は今、この子を抱っこさせてもらって、生きていてよかったと心から思っているんですよ。私のことを、サチちゃんの本当の爺と思ってください。」
ハルオミは、本心からそう言った。
サチの存在は、ハルオミだけでなく集落の住人達皆にとって、まるで希望の光だった。
ユキはサチの周りに常に人が集まり、可愛がってくれる様子を眺めながら、ここに来て本当に良かったと改めて思った。
アザイ家では、まるで忌み子のような扱いを受けていたのを思い出す。
ここの住人達は、ハルオミを除いて、サチの父親がリヒトだと知る者はいない。ハルオミも、その点について深くユキに追求することは、一切なかった。
サチが産まれてくるまで、ユキは子供を愛することができるか、不安だった。
そもそも親というものを知らない上に、望まぬ妊娠で、憎むべき男の子供だ。
不安に押しつぶされそうな時には、『絶対に、いいお母さんになる。』と太鼓判を押してくれたカオルの言葉だけを、心の拠り所にした。
しかし実際に産まれてきたサチの顔を見ると、ユキは心の底から愛しいと思えた。
そしてそう思えたことに、深く安堵した。
(この子と、生きていくんだ。2人で、今度こそ幸せになろう。…)
ユキは、密かに胸の中で誓った。




