第12話 束の間の安寧
ユキが目を覚ますと、そこは見知らぬ場所だった。
見知らぬ場所ではあったが、なぜかユキはすぐに、”ここは安全な場所だ”と思った。
「…ユキ!!!」
よく知った、大好きな親友の声が頭上から響く。
「…ミオリ…?ここは…」
ミオリは、今にも泣き出しそうな顔だった。
「ここ、あたしの実家。…もう、大丈夫だから、ね。」
昨夜、アザイ家から逃亡したタケルとユキは、ミカゲの運転する車で埼玉にあるミオリの実家、ムトウ家に向かったのだった。
「…タケル、は…?」
「大丈夫…タケルも無事だよ。今、下の階で、うちの親とミカゲセンセイと話してる。…ちょっと待ってて!」
ミオリは部屋を出て、大声で「みんな!!ユキが起きたよー!!」と階下に呼びかけた。
階段を昇ってくる足音に続いて、ミオリの両親とミカゲ、タケルが部屋に入ってきた。
「ユキさん、大丈夫?どこか、辛いところはない?」
ミカゲが、ベッドから起き上がったユキの顔色を確かめる。
「大丈夫、です。…あの、…」
「ユキちゃん、初めまして。いつもミオリがお世話になってます。ミオリの母の、カオルです。」
ミオリにそっくりな容貌のカオルが、ニコニコとユキに話しかける。
「この子ったら、帰省するといっつもユキちゃんの話ばっかりでねぇ。娘と仲良くしてくれて、本当にありがとう。この子こんな感じだから、迷惑かけてないかしら?心配だわぁ。」
「ちょ、ちょっと、お母さん!」
ミオリが顔を真っ赤にして、カオルを制する。
「ユキさん。ミオリの父のワタリと言います。
…事情は、一通りタケルくんから聞きました。
本当に、大変な思いをして…。よくここまで、無事にたどり着いてくれました。」
カオルが、再び会話に割り込む。
「ユキちゃん、お腹すいてない?
つわりの間は、とにかく食べたい物だけ食べとけばいいのよ!赤ちゃんは勝手にたくましく育つんだから、大丈夫。
何か、食べたい物はある?」
カオルの優しい言葉に、ふいにユキの目から涙がこぼれた。
「…!?ユキちゃん?どこか辛いの!?」
「…っ、ち、ちがうん、です。…うれしく、て。」
ユキは、しゃくり上げながら言った。
「妊娠の、こと…肯定して、もらえて…、…」
ミオリが、ユキを抱きしめた。
「ユキ。私は、…私達は、全面的にユキの味方だよ。ユキの決めたこと、全力で応援する。だから、…泣かないで。」
そう言いながら、ミオリ自身がポロポロと涙を流していた。
「大事な体なんだから。…もうぜったいに、無理しちゃだめ。」
「うん…うん。ありがとう、ミオリ…。」
ユキは、ミオリを抱きしめ返した。
しばらく雑談を交わした後、タケルだけを残してミオリ一家とミカゲは部屋を後にした。2人きりの時間を作ってあげようという配慮だった。
タケルはベッドサイドに座って、ユキの手を握った。
「タケル…ありがとう。」
タケルは首を振った。
「お前の願いは、全部叶えてやりたいから。」
「え…?」
「あそこから、連れ出してほしかったんだろ。」
「あ…」
タケルは、ユキが気を失った後にアザイ家で起こったことを、話して聞かせた。
「…そう…サトル先生が…。」
ユキは、少し考え込んだ。
「…タケル。アザイ家に、戻って。」
「…え?」
「お願い。…私のせいでタケルがご両親と敵対するのは、嫌なの…。」
今度は、タケルが考え込む。
「今戻れば、あの人達は間違いなく、ユキの居場所を探って連れ戻そうとする。…下手すれば、ミオリの家まで危険に晒されるかもしれない。」
「………」
タケルは、ユキの目をじっと覗き込んだ。
「ユキ。聞いてくれ。
…確かに、俺にとってあの家は、切っても切り離すことができない。
だけど、今はユキも…俺の人生にとって、同じかそれ以上に、大切なんだ。」
「…タケル…」
「あの家のことは、俺に任せて。何とか、いい方法を探してみるから。」
こくん、とユキが頷いた。
タケルはいったん実家ではなく、もともと住んでいたマンションに帰って、しばらくはそこから通勤することにした。
ユキに「また来るから」と告げて、タケルはミカゲと共にムトウ家を後にした。
ミカゲが去り際に、ミオリに「ユキさんのこと、あなたに任せたわよ」と声をかけると、
ミオリは敬礼のポーズを取って「お任せください、師匠!!」と元気よく答えた。
*****
タケルとユキが逃亡した後、ゲンドウは予想外に、それ以上2人を追跡してこなかった。
タケルに連絡してくることもなく、時折職場でゲンドウと顔を合わせることもあったが、お互い最低限の会話を交わすのみで、ユキのことは話題にしなかった。あの夜対峙したことも、まるでなかったかのように。
しかしタケルは、何も仕掛けてこないゲンドウのことをかえって不気味に感じた。
ユキのことを、こんなにあっさり諦めるとは、とても思えない。
タケルは、警戒を続けた。
一方ユキは、ミオリの家で、本当に久しぶりに穏やかな日常を過ごしていた。
ミオリは、ユキが滞在している間は私も実家で暮らす!と息巻いて、実家から片道2時間かけて通勤することも厭わなかった。
ミオリの両親も共に特殊能力者ではあったが、カオルは予知能力、ワタリは暗号解読能力で、どちらも有事の際以外は基本リモートワークが許可されていた。
「私達は、能力者としてもあんまり優秀じゃない上に、地味な力だからねぇ…。おかげでこうして、のんびりやれてるんだけど。」
夕飯の支度をしながら、カオルは自嘲するように呟いた。
ムトウ家は、普通の一般家庭の、2階建ての戸建ての家だった。
1階にリビング・ダイニング・キッチンとお風呂、2階に寝室が3部屋。そのうちの1部屋、もともとミオリの部屋だった部屋で、ユキはミオリと一緒に(ミオリが譲らないので、ユキがベッドで、ミオリは床に布団を敷いて)寝起きを共にした。
アザイ邸と比べてしまうと、もちろんこじんまりとしているが、それでもこの家に流れる温かい空気が、ユキの傷ついた心を癒した。
「おばさん、お手伝いします。」
ユキは座っていたリビングのソファから立ち上がって、キッチンに立つカオルに声をかけた。
「あら、いいの?ありがとう、助かるわぁ。…ほんと、ミオリにも見習ってほしいもんだわ…。」
ぶつぶつ言いながら、ダイニングテーブルに座るよう促す。
「今日はね、手作り餃子にしようと思って。一応、私の得意料理なのよー。いま皮を作ったから、包むの手伝ってくれる?」
2人でダイニングテーブルを囲み、雑談をしながら餃子を包んでいく。
「ユキちゃん、手際いいわー。料理得意なの?」
「いえ、得意って程では…。タケルと暮らしていた頃に、ネットでレシピを見ながら作ったりしていた程度です。
…孤児院でもアカデミーの寮でも食堂で食事が出たので、自炊する機会もなくて。」
「そうなの?とすると、器用なのねぇ。
小さいころから手伝ってる、ミオリより上手だわ。」
「………」
ユキが黙り込んだのに気づいて、カオルが顔を上げた。
「…ユキちゃん?」
「…おばさん。私、…この子を、育てられるでしょうか。」
まだ膨らむ兆しも見せない下腹部を撫でながら、ユキが聞いた。
「え?…」
「私は、普通の家庭を知りません。…今回、こちらでお世話になって、ああこれが普通の家なんだなぁって、初めて知りました。」
「ユキちゃん…」
ユキは俯いた。ゲンドウの言葉が頭をよぎる。
『1人で育てる?孤児院育ちで、親を知らない、君が?』
「おばさん。ミオリは明るくて誰にでも優しい、本当にいい子です。
そしてこの家で過ごしてみて、おじさんとおばさんが、ミオリのあの人格を作ったんだなって、すごく納得しました。」
ミオリの裏表のない、天真爛漫な性格。紛れもなく、この家の空気が作ってくれたのだろう。
「でも、…私には、それがありません。施設長が、親代わりになってはくれたけど。でも、普通の温かい家庭の記憶が、私にはないんです。」
そしてその施設長は、リヒトに殺された。
しばらく、沈黙がおりる。
「ユキちゃん。私はね、正直、その点は全然心配いらないと思ってるのよ。」
ユキが顔を上げた。
「これまでミオリからたくさんあなたの話を聞いて、そしてここ数日あなたと実際に過ごしてみて…私はあなたなら、絶対いいお母さんになれるって、疑いもしていない。」
「っ、どう、して…!」
「だってあなたはもう既に、その子のことをちゃんと、考えてあげてられてるじゃない。」
ユキが目を見開いた。
「その子を幸せにしてあげたいから、産むって決めたんでしょう?…それが、愛なのよ。」
カオルは、ユキに微笑みかけた。
「普通の家庭に育っていたって、愛が分からない人はたくさんいる。
でもあなたは、その施設長さんや、タケルくん、ほかにもたくさんの周りの人から、ちゃんと人の愛し方を学んでいる。
…自信を持って、いいのよ。」
ユキの目から、涙がこぼれ落ちた。
*****
ミオリの家で暮らし始めてから、1ヶ月。
いつの間にか季節は、秋から冬に変わっていた。
この間、タケルは3-4日に1度のペースで、ユキを訪ねた。
会うたびにユキの表情が柔らかくなっていくのを見て、タケルの表情も綻んだ。
ユキがタケルに、ミオリ一家との他愛ないエピソードを楽しそうに話すのを、タケルは頷きながら聞き入った。
こんなに心穏やかに過ごせるのは、いつぶりだろうか。
PTSDのフラッシュバック発作も、最近では頻度がめっきり減っている。
しかし、いつまでもこのままではいられないことは、ユキも分かっていた。
下腹は少しずつ、膨らみ始めている。
ミカゲも時々体調を確認しに来てくれてはいるが、このまま出産までミオリの家に居候し続けるわけにはいかない。
…でも、じゃあ、どうすれば?
いくら考えても、うまい突破口が見つからない。
全員が幸せになれる方法は、なさそうに思えた。
「…ユキ?どうした?」
タケルが心配そうに、ユキの顔を覗き込んだ。
「これからのこと…考えてた。」
「ユキ。俺は、ミオリのご両親が許してくれるなら、まだしばらくここにいてほしいと思う。
どういうわけか、俺の親父にも全く動きがない。…不気味なくらい。」
「でも、…ずっとここに、いるわけには…」
「分かってる。タイミングをみて、また俺と一緒に暮らそう。
絶対に、うまくいかせるから。
もう少しだけ…待っててくれ。」
タケルはユキの額にキスした。
その日の夜。
タケルが帰った後、ユキはミオリ一家と夕食のテーブルを囲んだ。
「タケルくんも、食べていけばよかったのにねぇ。…やっぱり、最前衛部署は忙しいのね。」
「お母さん、当たり前でしょー。タケルは私とは違って、エースなんだから!いま国中のアタッカーの中で、タケルがタケルパパの次に強いって話だよ。」
「あらま。そんな忙しいタケルくんが、しょっちゅう家に来てくれるなんて、愛だわねぇー。」
カオルは、ニコニコとユキを見た。
「あったりまえでしょ!タケルはねぇ、アカデミー時代からユキにぞっこんなんだから!
ほんとにもう、ユキ以外は眼中にない!って感じ。」
「ちょ、ちょっと、ミオリ…」
ユキが顔を赤らめる。
そこからミオリは、アカデミー時代のタケルとユキのエピソードを、嬉々として話し始めた。
ユキはかなり恥ずかしかったが、カオルとワタリはニコニコと娘の話に耳を傾けていた。
「それでさー、その時、リヒトが…」
言ってから、ミオリがハッと右手で口を塞いだ。
それまでの空気が一変して、突然、重い沈黙がおりる。
「…っ、ごめん、なさ…。」
ミオリが、真っ青な顔で謝った。
ユキが首を振る。へにゃりと、力なく笑って見せる。
「大丈夫、だよ。ミオリ。
むしろ、気を遣わせてしまって、ごめんなさい。」
ミオリは、信じられないという顔でユキを見た。
「……なん、で…」
「?…ミオリ…?」
「なんで、そんな風に、笑うの…!ぜったい大丈夫じゃ、ないのに…っ」
「ミオリ!やめなさい!」
ワタリが制するが、ミオリは大粒の涙を流しながら、続けた。
「いつも…いつもそうだよ!
どうして、もっと怒ったり、泣いたりしないの…!?
私は悔しい、悲しい、…許せないよっ!!
ユキのことを、こんなに傷つけて、っ…」
「ミオリ!!」
今度はカオルが、ミオリをぴしゃりとたしなめた。
ミオリは、ひっく、ひっく、としゃくり上げている。
しばらく、誰も言葉を発しなかったが、やがてユキが口を開いた。
「…ミオリ。ありがとう。」
ミオリが顔を上げる。
「いつも、ミオリが私の代わりに、怒ったり、悲しんだりしてくれた。
…そのおかげで、私の心が、どれだけ助けられたか分からない。」
「ユキ…」
ユキは、また寂しそうに微笑みながら、言った。
「ねぇ、ミオリ。…聞いてほしい。
私は、これから、タケルとどうなるか、分からない。」
ミオリが目を見開く。
「でも、…もしタケルと別れることになっても、ミオリは…
ミオリだけは、ずっと、私の友達でいて、くれる?」
ミオリが、また涙を流す。
「…っ!!そんなの…
あ、たりまえ、だよ…っ!!!」
ユキとミオリは、強く抱きしめ合った。
その夜、ユキはミオリと一緒にベッドに入り、手をつないで眠りについた。
しかしユキはなかなか寝付くことができず、すやすやと寝息を立てるミオリの隣をするりと抜け出す。
カーテンの隙間から、深夜の空にぽっかりと浮かぶ三日月を眺めた。
無意識に、下腹を撫でる。
気づくと、涙が頬を伝っていた。
ユキは、密かに心を決めた。




