第4章 経済的不安の再来と、二度目のサヨナラ
【幻影の終焉】
千夜子と木島の再婚は、救いをもたらさぬ失策に終わった。
居間の王座に居座る木島は、テレビの主導権という卑小な権力を死守した。
進は世の中を知るためにニュースに興味があった。
ただ、テレビのニュース番組には興味が無かった。
それは、進が「テレビの限界」を知っていたからだ。
進は、テレビのニュースが報じる断片的な情報には冷ややかに接していた。
本を読んでじっくりと真実を深掘りしたい。
それが知識欲溢れる進の思いだった。
進にとって、家で見るテレビは、お楽しみだった。
『タイムボカンシリーズ』や『お笑いマンガ道場』を笑って眺めたかった。
進は知っていた。
ニュース番組の多くは視聴率狙いで、表面的な報道に終始していることを。
テレビ番組の作られる裏側を、進はすでに見抜いていた。
しかし、木島は譲らなかった。
何が何でもニュース番組を見ると言う。
バラエティを見たいと言う進に、木島はこう言い放った。
「ニュース以外は見ない。悔しければ自分でテレビを買え」。
その言葉は、進を力でねじ伏せようとしているように見えた。
【再びやってきた経済的不安】
腕の良い左官であったはずの木島。
しかし、その苛烈な性格と傲慢さが人を遠ざけた。
部下の扱いがあまりに酷かった。
そのたも、次第に人が辞めていった。
そしてついに、部下が誰もいなくなった。
木島は親方の座を追われてしまった。
雇われの身へと転落したのだ。
雇われになっても、木島はずっと「今まで親方だった」という自負があった。
そのため、トラブルを起こして雇われ先も頻繁に代わった。
そうしているうちに、収入は激減した。
日々の糧さえ危うくなってしまったのだ。
千夜子は再び身を削って働きに出ることにした。
家を買うどころでは、なくなっていた。
「もう、無理だ」
進も、悲鳴をあげていた。
それが、母・千夜子の最後の防波堤を崩した。
必死に木島を理解しようと努めた進だっが、気遣いで疲れ切ってしまった。
木島の頑固さは、進の手に負えないものであった。
千夜子も腹を決めた。
結婚生活が始まって約4年が経過していた。
木島は千夜子の前で土下座して懇願した。
「必ず家を建てる。信じてほしい」
空虚な夢を語る木島。
しかし、冷え切った母の決意が再び燃えることはなかった。
進は、木島の言葉の端々に潜む「無知」と「虚勢」を、子供ながらに見抜いていた。
前の父・俊郎は気が弱く、教養の世界に逃げ込んだ男だった。
今の父・木島は気が荒く、薄っぺらな情報で自分を武装した男だった。
正反対のように見えて、二人とも「目の前の現実」から目を逸らしている点では、進の目には同じ種類の人間に映っていた。
【鏡の中の再会】
そんな摩耗していく日々の中、俊郎から電話がかかってきた。
大垣の中堅企業に勤め、借金も返済したから、もう一度やり直したいという。
千夜子の心が揺れているのが、進には分かった。
木島の粗野な振る舞いに疲れ果てていた千夜子にとって、俊郎の「静けさ」は、猛毒を含んだ甘い蜜のようなものだったのだろう。
俊郎は、復縁の足がかりとして、頻繁に進に会いに来た。
これは、最初は木島に内緒だった。
「進、これ、君が好きだと言っていた図鑑の続編だよ」
会うたびに、俊郎は進が欲しがる専門的な本を惜しみなく買い与えた。
進がその内容を解説すると、俊郎は深い理解を示しながら耳を傾けた。
俊郎は、きちんと進の知識を受け止める知力があった。
木島には決してできない、知的で穏やかな時間。
進の顔には、自然と笑みが戻っていった。
たびたび外出するようになり、千夜子は木島に話さざるを得なくなった。
木島には、進と俊郎が会いたがっていることを伝えた。
復縁を迫られていることは伏せた。
木島に警戒されないようにしないといけない。
木島も、俊郎に進の相手になってもらい、面倒なことを減らしたいというのが本音だった。
その日も、進と母・千夜子は進の父・俊郎のもとを訪ねた。
帰る間際、洗面台の鏡の前に、進と俊郎が並んで立つ瞬間があった。
進は鏡の中に映る自分と、その隣の男を見て、思わず声を漏らした。
「パパ、僕にそっくりだね」
親しみやすく、丸みのある顔立ち。
非常に優しく、性格の良さが表情に表れている。
広島カープの北別府投手に似た風貌の俊郎。
八歳の進は、驚くほど俊郎に似ていた。
若き日の北別府投手にそっくりな進。
俊郎は照れたように笑い、
「僕が君に似てきたのかもしれないな」
と言った。
その瞬間だけは、失われたはずの
「正しい家族」
の幻影が、鏡の中に確かに存在していた。
【暴かれた「見栄」という病】
だが、その幻影はあっけなく霧散した。
千夜子が大垣の俊郎のアパートを訪ねたことで、真実が露呈したのだ。
仕事に就いているのは事実だったが、借金完済という話はすべて嘘だった。
それどころか、進に買い与えていた本や食事の代金さえ、新たな借金によって作られた「偽りの平穏」だったのである。
俊郎の病――自分を大きく見せたいという「見栄」という名の麻薬は、何一つ治っていなかった。
彼は再び、家族を道連れにして沼へと沈もうとしていたのだ。
それを知ってしまった進と千夜子は、俊郎と完全に縁を切った。
以来、進も千夜子も、二度と俊郎に会うことはなかった。




