第3章 継父・木島の復讐
【歪んだ復讐劇の幕開け】
中学生にも満たない子供に、自らの知識の薄っぺらさを白日の下に晒された。
これは、木島にとって言葉に尽くせぬ屈辱だった。
子供に、家庭という密室で徹底的にバカにされたのだ。
木島には、左官の親方として現場を統率し、荒くれ者たちを黙らせてきた男のプライドがあった。
それが、少年の無邪気な一矢によって無惨に引き裂かれた。
これは、断じて許せないことであった。
木島は、前の家庭が崩壊した記憶を思い出した。
かつて彼は、息子に「二分での食事」や「醤油以外の調味料禁止」を強制した。
それは全てやめた。
だが今、木島はまた違う危機に立たされていた。
自分よりも遥かに知識が豊富な「血の繋がらぬ息子」との付き合い方。
木島は、自尊心が根底から否定された気になっていた。
そのため、どうしても進が許せなかった。
かといって、また家庭崩壊は嫌だ。
木島は、正当な理由を付けて進を追い詰め、支配下におこうと考えた。
その日から、木島の進に対する視線には、明らかな毒が混じり始めた。
自分を論理で凌駕する「生意気なガキ」を屈服させるには、腕力か、経済的な抑圧しかない。
それを雰囲気で分からせる。
木島はそんな作戦だった。
執拗で、逃げ場のない嫌がらせ。
それを、ごく自然に、教育という名目で展開する。
木島の、陰湿な復讐劇の幕開けであった。
翌朝から、食卓の空気は一変した。
進が箸を伸ばそうとすると、木島は無言で醤油の瓶を遠くにずらす。
進が図鑑を広げていると、木島はわざとテレビの音量を上げ、進の思考を物理的に妨害する。
木島は、意地悪を否定する。
たまたまそうなった。
それが木島の言い分だった。
母・千夜子は、その緊張感に気づいていた。
ただ、どうして良いか分からなかった。
木島は千夜子の前では、「良き夫」の仮面を被り続けていた。
進も、母を悲しませたくなかった。
だから、木島からされたことは黙っていた。
確かに進は、以前、木島に考えの浅さを指摘した。
でも、それは、たった一回きりだった。
その一回きりが、進と木島の間に亀裂を生んだ。
そしてそれは、修復不可能なところまで行き着いてしまった。
一つ曲がり角を間違え、進たちの運命は「くねくね」と歪んだ迷い道へと引きずり込まれていった。
進は理解した。
この家では「正しいこと」を言うべきではない。
木島に正論を言ってはいけなかったのだ。
だが、気付くのが遅かった。
木島が進を見る目は、もはや家族を見る目ではなかった。
自分の劣等感を突きつけてくる忌まわしい存在を、いかにして無力化し、消し去るか。
その執着だけが、彼の濁った瞳の中に渦巻いていた。
【新たな解釈】
一方で、進の脳内には、鈴木ふさゑの放ったあの話が、今もずっと残っていた。
「栴檀は双葉より芳し」
「幼いときに計画性がない人物は、大人になっても計画性がなく、わが身を滅ぼし、周りも不幸にする」
しかし、この頃の進は、以前と違った受け止め方をしていた。
北条氏政は幼少期、汁かけ飯を頂くとき、汁を何回もかけた。
父・北条氏康は、息子・氏政の計画性の無さにガッカリし、
「北条はこいつの代で終わりだ」
と呟く。
以前、進はこの話を聞いて、について、
「計画性のない氏政はダメな奴だ」
と思っていた。
しかし、本当にそうなのか。
「氏政が汁を二度かけたのは、ただ慎重だっただけではないか。分からないことは、何度か確かめながら進める。それが悪いことなのか。一度で決めつける氏康のほうが、変なのではないか。」
また、こうも考えた。
「氏政は氏康の息子だ。それなら、父に似るのが普通だ。汁かけご飯の話だけで、将来を心配する氏康が変だ」
進は、古くからの諺も、間違いがあるかもしれないと思うようになったのだ。
ただ、それでも、進には不安があった。
昔から言われている故事は、ずっと多くの人達が正しいと信じてきたことだ。
だから、正しいことが多いはずだ。
「やっぱり、僕の考えが間違いなのかな」
進の心は揺れ動いていた。
進は、何もかも全て疑う子どもになっていた。
「本当にそうなのか」「どうしてそうなのか」を問い直す毎日だった。
進はペンを握り直し、ノートの余白に、新たなキーワードを刻み込んだ。
「本当にそうなのか」
「どうしてそうなのか」
大人たちが曖昧に、そして暴力的に扱う1つ1つの出来事について、進は一人、闇の中で探り続けた。
最初、進は、自らの運命という「判決文」を、自分自身の言葉で一文字ずつ書き換えていく旅に出た。
しかし今は、そうではない。
真実を1つ1つ追求していくことが楽しくなっていた。
栴檀の双葉は、今まさに、コンクリートを突き破ろうとしていた。




