第3章 栴檀への幼き拘り
【栴檀は双葉より芳しいのか】
昭和50年。
進は小学2年生になっていた。
進の胸に突き刺さった鈴木ふさゑの毒矢は、抜けるどころか、月日とともに深く、鋭くその肉に食い込んでいた。
「栴檀は双葉より芳し」
「大人になって、うまくいくかどうかは、子どもの時に分かるんだ」
その言葉は、寝ても覚めても進の頭にあった。
それは、進の将来に対する予言であり、呪いでもあった。
進は、この予言の誤りを見つけ、呪いを解かなければならなかった。
自分は、「無能な種」から芽吹いた出来損ないなのではないか。
これを曖昧にしたままで、いつか父・俊郎と同じような人生を歩んでしまうこと。
これが進にとって恐怖だった。
進は、もともと本が好きだった。
それまでは、ただ、お楽しみで本を読んでいた。
しかし、今は違った。
「栴檀は双葉より芳し」
それが事実なのかを確かめ、事実であれば、どうしたら破滅の人生を歩まずに済むか、考えないといけなかった。
進は、母・千夜子に縋るようにして図書館へ通い詰めた。
やがて、埃っぽい書棚の奥で、進は『平家物語』の一節に辿り着く。
「栴檀は双葉より芳し、大鵬は卵のうちより天を翔ける志あり……」
もちろん、そんな難しい本は子どもには読めない。
これを子ども向けに解説した本があった。
進はそれを、何度も何度も指でなぞった。
平家物語に出てくる平氏の人達は、源氏に滅ぼされた。
先を見る目が無かったからだ。
ただ1人、有能な人物はいた。平重盛だ。
平重盛が長生きしていたら、おそらく平氏は滅びなかった。
大鵬は卵の中にいる時から、すでに天を飛ぶ意志を持っている。
人も、本当に大物は、幼いうちから大志を抱き、天下国家について思いを巡らすものだという。
「僕は、どうだろう」
進は、自分自身について考えてみた。
「天下国家?」
全然、わけ分からない。
「僕は、大志なんて抱いていない」
進は、落ち込んだ。
「僕は、飛べない鳥としての人生なのではないか」
【将来への幻】
進は、歴史漫画の中で、あの北条氏康にも出会った。
小田原城城主・北条氏康は、息子・氏政と食事をしていた。
その日は汁かけご飯だった。
氏政は、汁をかけてご飯を頂いていたが、汁が足りなくなり、またかけた。
汁を二度かけた息子・氏政を見て、父・氏康が嘆く。
「一度で汁の適量を測れぬのか」
父・氏康は続けた。
「先のことを読めないようでは、我が家もこれまでだ」
氏康が深くため息をついた。
時は流れ、息子・氏政の代になった。
豊臣秀吉が攻めてくるが、北条氏政はうまく対応できなかった。
北条氏は滅びた。
進はそのページを、穴が開くほど見つめた。
(鈴木さんが言ったことは、本当だった。僕は、あの氏政のように、最初から「手遅れ」なのだろうか)
父・俊郎の「弱さ」と、それを引き継いでいるという周囲の視線。
進は、食卓で自分が野菜やコロッケに調味料をかけるとき、北条氏政の話をいつも思い出した。
そして、手が震えるのを必死に抑えていた。
やがて醤油やソースは気にならなくなった。
しかし、汁かけご飯に対しては、大人になるまで、絶対に食べなかった。
次第に、進は「自分は氏政かもしれない」と本気で思うようになっていた。
鏡を見るたび、その姿が、別れた父・俊郎に、似てくるからだ。
「もう、逃れられない」
進は、そう考えた。
もしそうなら、氏政が失敗した理由を分析し、克服しないといけない。
そうしなければ、母・千夜子を救うこともできないし、将来、周りの人を不幸にしてしまう。
「遺伝の仕組みを知りたい」
「遺伝の仕組みを生み出した、宇宙について知りたい」
進は、歴史以外にも、遺伝や宇宙の起源に関する関心を持つようになった。
進は、取り憑かれたように歴史やメンデルの法則、果ては宇宙の起源に関する知識を吸収し始めた。
それは、あの日からの呪縛を解くためだった。
未知なるものの正体を理解し、立ち向かい、克服したい。
進は自分が「父のコピー」ではないことを証明したかったのだ。
【叔母・千冬の直感】
進のこの異常なまでの拘りを、母・千夜子は畏れに近い感情で見つめていた。
千夜子は、このことを妹の千冬に相談した。
千冬は目を丸くした。
「進君っていくつになったの」
「8歳かな」
千冬が驚く。
「8歳?それ、8歳の子どものすることじゃないわ」
「そうよね」
千夜子は、やっぱりと思った。
千冬が続ける。
「もしかして進君って、天才じゃない?」
「えっ」
「凄すぎだと思う。とても小学生とは思えないわ」
千冬はそう呟いた。
千夜子は黙って聞いていた。
「でもね、頭が良すぎて、ちょっと怖いかも」
これは、千夜子も同感だった。
「あと、正しいことに拘りすぎて、空気を読めないかもしれない」
これも同感だった。
「将来、めんどくさがられるかな。お姉ちゃん、大変だよ」
千夜子は黙って聞いていた。




