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鐘楼に残る防衛戦

フレンド申請を百件単位で受け取ると、人はだいたい二種類に分かれる。

舞い上がるか、全部閉じるかだ。

俺は迷わず後者を選んだ。


通知欄を一気に閉じ、受信設定を「フレンドのみ」に切り替える。

それでもなお、ユウトからの通話だけは即座に飛んできた。


『お前いまどこだ!』


「時計塔に向かってる」


『なんで全体通知の直後に最短で塔なんだよ! 普通はびびって隠れるだろ!』


「隠し称号取ったやつが最初にやることなんて一つだろ」


『何だよ』


「次の継ぎ目を踏む」


『お前だけは本当に一貫してるな……』


通話越しに、街のざわめきがうっすら聞こえる。

向こうもログインしているらしい。


『いま初心者街のチャット、お前の話で埋まってるぞ。

「ナギって誰だ」

「攻略組のサブか」

「隠し称号の条件は?」

「床をめくるって何だ」

だいたいこの四つだ』


「最後の一つ、たぶんお前発信だな」


『訂正しろよ、って思ったけど、お前たぶん訂正しても「石畳の当たり判定を読んで潜った」って言うだろ』


「だいたい合ってる」


『訂正の方がひどい!』


思わず笑う。

だが、視線はずっと時計塔から逸らさなかった。


始まりのリベルタの中央広場から少し外れた場所に、その塔は立っている。

白い外壁、青銅の時計、整いすぎた輪郭。

初心者街の景観オブジェクトとしては出来がよすぎるくらいだ。


そして、今の俺にはそれが別の姿に見えていた。


《残響知覚》を起動すると、白亜の塔の輪郭の上に、もう一つの影が重なる。

赤茶けた石壁。

煤けた鐘楼窓。

夕焼けではなく、ずっと血の気を残したまま固まったような赤い空。


違和感は、塔そのものよりも影にあった。

この時間の光源なら、影は広場側に落ちるはずだ。

なのに、時計塔の影だけが西門の方角へ細く伸びている。


まるで誰かに引っ張られているみたいに。


「……当たりだな」


『なにが』


「塔の影が、今の太陽を無視してる」


『相変わらず意味分からんこと言ってるな』


「分からなくていい。分かるとたぶんロクなことにならない」


そう言って、俺は通話をミュート気味にしながら塔の裏手へ回った。


正面入口には、案の定、初心者向けの案内NPCが立っている。

「時計塔は現在内部調整中です」

「一般の立ち入りはできません」

テンプレ通りの台詞を繰り返しているだけだ。


普通のプレイヤーなら、ここで終わる。


でも、塔の北側の壁面に這う装飾蔦が、俺には違って見えた。

見た目は新作らしい精緻な草木だ。

だが、その奥に、古いVRタイトル特有の“簡略化された梯子判定”が残っている。


《ラスト・ベル・クライ》には有名なバグがあった。

城壁の蔦がただの装飾なのに、内部的には梯子扱いになっている場所が何か所かあったのだ。

初心者が偶然引っかかって登れてしまい、そのまま未実装エリアに落ちる。

運営は直すと言いながら、結局直さなかった。


俺は壁際に身体を寄せ、靴先で蔦の付け根を軽く蹴る。

一か所だけ、反応音が違った。


硬い。

草じゃない。

これは“登れる壁”の音だ。


「よし」


『おい、まさか登る気か?』


「登る」


『正面から!?』


「正面じゃない。バグからだ」


『言い換えになってねえ!』


ユウトの悲鳴をBGMに、俺は壁を登り始めた。


軽量職フリーランナーの補正がこういう時はありがたい。

手足をかける位置さえ分かれば、速度は出る。

三階相当の高さを越えたあたりで、現在の塔の外壁が一瞬だけ透け、その下から古い石積みの窓枠が現れた。


指先をそこに引っかける。

感触が変わる。

新作の滑らかな建材ではない。

ざらついた、古い低解像度石壁の感触だ。


次の瞬間、視界の端にシステムメッセージが走った。


――――

Residual Access Confirmed

旧式資産への部分接続を開始します

対象:鐘楼セクタ

――――


身体が、壁一枚ぶんだけ“向こう側”へ滑り込む。


気づけば俺は、時計塔の内部に立っていた。


外から見た白い内装ではない。

中は半分が今の世界、半分が終わった世界だ。

磨かれた白壁と、煤けた赤石が継ぎ目だらけで噛み合っている。

歯車は片側だけ金属光沢を保ち、もう片側は錆びて軋み、同じ軸に両方が無理やり通されていた。


上の方から、鐘の音がしない“鐘の気配”が落ちてくる。


鳴っていないのに、耳の奥だけが揺れる。


階段を駆け上がる。

螺旋階段の段差は不揃いで、三段に一段だけ高さが違う。

これも《ラスト・ベル・クライ》の嫌な仕様そのままだ。

知らなければ足を取られて落ちる。

知っていれば、リズムになる。


七段、七段、低い一段。

七段、七段、低い一段。


昔、死ぬほど落ちた。

だから覚えている。


鐘楼最上部へ飛び込んだ瞬間、冷えた風が頬を打った。


そこにあったのは、巨大な鐘だった。

半分は新作らしい白銀。

半分は古いゲーム由来の赤銅色。

だが本来あるべき鐘芯――中で鐘を打つはずの振り子が、ない。


代わりに、鐘の下に少女が立っていた。


白いローブではない。

赤い縁取りの入った鐘守の衣装。

左目の罅は薄く、でも消えてはいない。

ノアだ。


「……思い出した」


ノアは鐘を見上げたまま、静かに言った。


「ここ、私の場所だった」

「私は、鐘を鳴らしてた」

「一つ、二つ、三つ、四つ……それで」


彼女の手が、胸の前で止まる。


「五つ目だけ、鳴らなかった」


その言葉に応じるように、空間全体が低く震えた。

鐘楼の床に赤い文字が走る。


――――

残響イベントを検知しました

《鐘楼に残る防衛戦》

概要:終了済みコンテンツ《ラスト・ベル・クライ》の最終防衛局面を再観測します

達成条件:西門防衛率50%以上を維持し、第五鐘を鳴らせ

追加条件:欠損資産《鐘芯》を回収せよ

報酬:残響片、識別登録、派生スキル

――――


「鐘芯がないから、第五鐘が鳴らないのか」


「うん」


ノアが頷く。

だが、その表情は単なる説明ではなく、もっと個人的な痛みを帯びていた。


「最後の鐘は、西門の防衛完了の合図だった」

「みんな、あの音を待ってた」

「でも来なかったから、門の人たちは、ずっと……」


言い終わる前に、塔の窓の外が真っ赤に染まった。


昼でも夜でもない、終わりかけの夕焼けが、現在の街を一瞬で塗り潰す。

そして景色が反転した。


始まりのリベルタは消えない。

ただその上に、別の町がぴたりと重なる。


古い石造りの家々。

閉じた木窓。

張り詰めた避難の気配。

西へ向かう大通りの先に、分厚い城門。


《ラスト・ベル・クライ》の西門防衛区だ。


ユウトが何か叫んでいるが、もう耳に入らなかった。


「ナギ」


ノアが俺を見る。

今度の声には、最初に会った時の曖昧さがほとんどない。


「鐘芯は、西門に落ちたまま」

「持ってきて」

「そうしたら、今度こそ鳴らせるから」


「了解」


俺は短剣を握り直し、鐘楼の窓枠に足をかけた。


「でも、持ちこたえるのは俺だろ?」

「NPCの防衛線なんて、だいたい信用できない」


ノアは一瞬だけ、困ったように笑った。


「それ、前のプレイヤーたちも言ってた」


「なら正解だ」


窓から飛び出す。

風が変わる。

今の世界の風じゃない。

もっと乾いていて、灰を含んだ風だ。


着地したのは、西門へ続く石畳の上だった。


景色の奥行きが不自然に伸びている。

残響セクタ特有の、距離感の狂い方だ。

走れば届くように見えて、実際は遠い。

逆に、落ちたら奈落みたいに見える隙間が、ただの段差だったりする。


《未適用パッチ》が淡い青で足場を縁取る。

ありがたい。

このスキルが光らせるのは、俺が知っている壊れ方だけだ。

知らない壊れ方は、まだ敵のままだ。


西門前の広場には、既に戦闘態勢に入ったNPCたちが並んでいた。

槍兵、弓兵、盾兵。

だがどいつも動きが硬い。

防衛イベント開始直前で時間が止まったみたいに、張りついた緊張だけを維持している。


門の中央には、黒い塊が突き刺さっていた。

大きな鐘芯。

本来なら鐘の中にあるはずの金属塊が、鎖ごと引きちぎられて門柱にめり込んでいる。


そしてその周囲を、例の黒い削除ノイズが這っていた。


「あれを抜くには、先に消去プロセスを黙らせる必要があるな」


視界右上にタイマーが出る。


――――

残響安定度:09:59

第一鐘まで:00:30

――――


「十分ぎりぎり……いや、十分じゃないな」


《ラスト・ベル・クライ》の西門戦は、当時かなりのクソイベントだった。

難しいのではない。

壊れていた。


門の耐久計算と敵AIの経路処理が噛み合っておらず、正攻法だと第四波あたりで門が蒸発する。

コミュニティで検証が進んで、ようやく一つだけ“比較的マシな手順”が見つかった。


運営は最後までそれを仕様だと言い張ったが、どう考えてもバグだ。


「よし。右蝶番からだ」


西門の下部へ滑り込む。

見た目は重厚な鉄の蝶番だが、右下の留め具だけは別メッシュで浮いている。

ここに短剣を差し込んだまま門を押すと、見た目は閉じたまま、内部フラグだけ半開きになる。


昔の掲示板で「門が気持ちだけ開く」とか馬鹿にされていた有名バグだ。


短剣を突き立てる。

硬い金属音。

そのまま体重をかけて門を押す。


ぐっ、と鈍い抵抗。

しかし一瞬だけ、視界に青い亀裂が走った。


内部判定、更新。


「通った」


門は見た目そのまま。

でも内部状態だけが“半開き”だ。


続いて壁上へ駆け上がる。

階段は使わない。

右側の旗竿基部に乗って、欄干へ、そこから見張り台へ。

これも昔の定番ショートカットだ。

正面階段は途中でモブに引っかかる。屋根伝いが正解だった。


壁上に着いたところで、第一鐘が鳴った。


いや、鳴っていない。

音はないのに、イベントだけが進行する。


同時に、西門前の霧から敵影が現れる。


灰色の狼。

灰色の人影。

そしてその群れの奥に、黒いノイズをまとった異形。

《パッチハウンド》より一回り大きい。


「消去係、増量版ってとこか」


門へ突進してくる群れに、まず弓兵NPCが矢を放つ。

だが《ラスト・ベル・クライ》の弓兵は信用ならない。

照準が一瞬遅く、移動目標には滅法弱い。


だから、狙わせるんじゃなくて、止める。


俺は壁上の油壺を蹴り飛ばした。

本来なら内側へ倒れるはずの壺が、外側へ落ちる。

これも当時有名だった重力反転バグだ。

設置位置だけ法線が逆になっていて、押し方向と逆へ落ちる。


油壺は門前に着地し、黒く広がる。

その上へ、狼型の群れが雪崩れ込んだ。


「今だ!」


見張り台の火皿から松明を引き抜き、油へ投げる。

ぼう、と赤い炎が線になって走った。


燃えた。

灰色の狼どもが一斉に足を止める。

門の内部判定は半開きだから、突進AIが迷う。

止まったところへ、遅い弓兵の矢がようやく刺さる。


昔ならここで何本かすり抜けた。

でも今は違う。

《未適用パッチ》が、すり抜ける敵の輪郭を青く滲ませている。


その一体へ飛び込む。

短剣で喉を裂く。

感触は薄い。

完全な実体じゃない。

だからこそ、核を狙う。


一体、二体、三体。

灰のように崩れる。


第一波は、それで凌げた。


だが休む暇はない。

第二鐘までの時間が短すぎる。


門柱にめり込んだ鐘芯を確認する。

びくともしない。

周囲の黒いノイズが、金属と一体化している。


「先にあれだな」


広場の奥。

黒い大型個体が、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。


狼じゃない。

攻城槌と獣を無理やり混ぜたような四足の怪物だ。

前脚が異様に太く、頭部の片側は鉄塊、もう片側は裂けた牙。

そして体表には、現在の高精細テクスチャと昔の粗いポリゴンが斑に混ざっている。


――――

ERROR ENEMY

《鳴らずの獣》

Lv:???

属性:削除処理体/未統合防衛ボス

――――


「なるほど。鐘芯を抱えてる本体か」


第二鐘の進行が始まる。

今度は門前だけじゃない。

壁上にも黒い亀裂が走り、そこから人型のノイズが這い出してきた。


まずい。

これは当時なかった湧き方だ。

今の削除プロセスが混ざっている。


知らない壊れ方は、スキルでも輪郭が薄い。


「なら、知ってる方を使う」


俺は壁上を走り、見張り台の最奥へ飛ぶ。

そこには壊れた大型弩砲が置かれていた。

現行の街には存在しない、旧作資産の防衛兵器だ。


《ラスト・ベル・クライ》の弩砲は終わっていた。

装填前に照準を確定すると、弾体が“後から”その角度に合わせて生成される。

普通はありえない処理順だが、だからこそ使える。


まず照準を真下へ。

次に装填。

最後にトリガー。


弩砲が、本来ありえない角度で門前へ杭弾を撃ち下ろした。


轟音。

黒い人型ノイズを二体まとめて貫通。

ついでに《鳴らずの獣》の肩口を削る。


「肩、か」


歪んだ咆哮が響く。


そこで気づいた。

あの肩口の揺れ方、《パッチハウンド》に似ている。

なら、見た目と判定がずれている可能性が高い。


《鳴らずの獣》が突進した。

門へではない。

壁上の俺へ向かってくる。


でかい図体のくせに、速い。


だが本当の当たり判定は、見えている頭じゃない。

半拍遅れた、右肩の外側。

昔の同期ズレ獣型モーションだ。


俺は前へ出る。

普通は逆だ。

でもこの手のズレは、逃げると引っかかる。

潜る方が安全。


角のように見える鉄塊が鼻先をかすめる。

遅れて、本命の当たり判定が右から来る。

そこを半身で抜け、肩口へ短剣を突き立てた。


硬い。

だが刺さる。


黒いノイズの奥に、赤い鐘型のコアが見えた。


「やっぱりそこか!」


《鳴らずの獣》が壁へ体当たりする。

欄干が砕け、足場が傾く。

初期職が軽量で本当に助かった。

重装だったら今ので終わっている。


俺は崩れた足場から落ちながら、壁面の旗布を掴む。

布なのに、内部的には梯子。

これも旧式資産だ。

そのまま横へ滑って着地し、門前へ転がり込む。


第二波の雑魚が押し寄せる。

門の半開きフラグはまだ生きているが、このままでは数で押し切られる。


その時だった。


青い残光が、門上の空間にふっと灯る。


一人。

また一人。

さらに二人。


壁上に、半透明の弓兵たちが現れた。


「これは……」


《残響知覚》が反応している。

いや、違う。

門のあちこちに、薄い人影の“痕”が見える。

ここに立って、ここで弓を引き、ここで死んだはずの残響だ。


俺は直感でその一つに触れた。


視界が一瞬だけぶれる。

直後、半透明の弓兵が完全な形を取り、矢を番えた。


《残響投影》という名前はまだ出ていない。

だが、できる。

失われたNPCの最後の行動を、一手だけ再生できる。


「便利すぎるだろ……!」


壁上の残響を次々となぞる。

三人、四人。

過去の防衛兵たちが、数秒だけ今に戻る。


一斉射。


灰色の群れが崩れ、《鳴らずの獣》の足が止まった。


チャンスだ。


俺は門柱へ駆ける。

鐘芯の鎖に手をかける。

熱い。いや、熱じゃない。

削除ノイズのざらつきだ。


《鳴らずの獣》が、吠えた。


鎖が引かれる。

鐘芯は門に刺さったままじゃない。

あいつの体内と繋がっている。


「そういう仕様かよ!」


第三鐘まで、残りわずか。


このまま引っ張り合っても埒が明かない。

なら、繋がっている方を殺す。


《鳴らずの獣》が再び突っ込んでくる。

今度は門を狙っている。

内部フラグが半開きのせいで、通れると誤認したのだ。


なら、その誤認を最後まで付き合わせる。


俺は短剣を蝶番から引き抜いた。

同時に門を蹴る。


見た目には閉じたまま。

内部だけ半開き。

そこへ《鳴らずの獣》が全力で突っ込む。


結果、起きたのは“めり込み”だった。


頭部の鉄塊だけが門の向こうへ、胴体は手前へ。

モーションと当たり判定が噛み合わず、巨大な異形が門そのものに縫い付けられる。


「チェックだ、バグ野郎」


肩口のコアへ走る。

黒いノイズが触手みたいに伸びてきたが、さっきより見える。

一度形を見たからだ。

《未適用パッチ》が輪郭を濃くする。


右、左、下。

当たり判定の遅れを見切って潜る。

門に埋まった獣の首元へ飛び上がり、短剣を深く、赤い鐘型コアへ突き立てた。


甲高い金属音。

獣が悲鳴を上げる。

もう一度。

今度は横へ抉る。


赤いコアに罅が入る。


その罅の形が、ノアの左目と一瞬だけ重なって見えた。


「終われ」


最後に、全体重を乗せて短剣を押し込む。


コアが砕けた。


《鳴らずの獣》の身体が、黒と灰の破片になって吹き散る。

繋がっていた鎖が緩み、門柱に刺さった鐘芯が重い音を立てて落ちた。


第三鐘の気配が、ようやくそこで消えた。


静かになった広場で、NPCの門兵隊長がこちらを見る。

兜の下の顔は古いポリゴンで少し粗い。

でも、その目だけは不思議なくらい真っ直ぐだった。


「……第五鐘は、まだか」


イベント用の定型文なのだろう。

なのに、やけに胸に刺さる。


俺は落ちた鐘芯を抱え上げた。

重い。

見た目以上に重い。

現実の金属重量に近い。


「いま鳴らす」


そう答えると、隊長はゆっくり頷いた。

そして、さっき俺が投影した残響の弓兵たちと同じように、少しずつ透けていった。


役目を思い出して、役目を終えた顔だった。


視界に警告が走る。


――――

欠損資産《鐘芯》を回収しました

残響安定度が急速に低下しています

05:00以内に第五鐘を鳴らしてください

――――


「五分か」


十分あるようで、こういうセクタの五分は短い。


俺は鐘芯を肩に担ぎ、門の内側へ走った。

正面通りはダメだ。

崩落が始まっている。

左の市場通りを抜け、そこから屋根へ。

《踏破補正》が足場の悪い瓦を拾ってくれる。


走りながら、ユウトの通話をようやく戻した。


『生きてるか!? お前急に反応消えたぞ!』


「生きてる。たぶん」


『たぶんって何だ! 今、初心者街の空がちょっと赤くなったんだけど! 何した!?』


「防衛戦」


『その一言で納得できると思うなよ!?』


「あと五分で鐘を鳴らす」


『ますます意味が分からん!』


会話になっていない。

でも、こっちも説明している余裕はなかった。


市場の屋根を飛び越え、崩れた渡り廊下を抜け、鐘楼へ続く外壁の蔦へ飛びつく。

鐘芯を担いだままだとさすがにきつい。

腕が軋む。


その時、上から手が伸びた。


ノアだった。


鐘楼の窓から身を乗り出し、こちらへ手を差し出している。


「ナギ、上!」


NPCに体重を預ける、なんて普通はしない。

でも今のノアは、あの零層の少女よりずっと輪郭がある。

だから掴んだ。


引かれる。

軽いはずの少女の腕力じゃない。

鐘楼そのものが、俺を引き上げた感覚だった。


床へ転がり込む。

すぐさま鐘芯を抱え直し、鐘の真下へ運ぶ。


鐘は待っていた。

半分白銀、半分赤銅。

空っぽの腹を見せたまま、ずっと。


「これ、どう付ける」


ノアは一歩前へ出る。

迷いなく鎖を取り、鐘の内部構造へ通し始めた。

指の動きにためらいがない。

やっぱりここは彼女の場所なのだ。


「思い出したのか」


「うん」

「私は鐘守ノア」

「この塔で、最後の鐘を鳴らす役だった」


鎖が噛み合い、鐘芯がゆっくりと吊り下がる。

かち、と留め具がはまり、鐘の内部に本来の形が戻った。


だがノアは、そこで手を止めた。


「……でも、あの日は鳴らせなかった」

「みんなを待たせたまま、終わった」


その声は、最初に会った時よりずっと人間らしかった。

だからこそ、躊躇いもはっきり見えた。


俺は鐘楼の窓の向こうを見る。

赤い空に、西門の影がまだうっすら残っている。

待っているのだ。

あの防衛兵たちの残響が。

最後まで届かなかった一音を。


「ノア」


彼女がこちらを向く。


「終わったから、鳴らせないんじゃない」

「終わったままだったから、今鳴らすんだろ」


少しだけ、驚いた顔をした。

それからノアは、ふっと笑った。


「うん」


彼女が綱を握る。

俺も反対側を取る。


「せーので行くか」


「うん」


二人で一気に引いた。


鐘芯が跳ね上がる。

一拍。

次の瞬間、巨大な鐘が鳴った。


音は、ただの音じゃなかった。


鐘楼から放たれた響きが、赤い町全体へ広がる。

閉じていた木窓が震え、門の上の旗が揺れ、見えないはずの住人たちの気配が一斉に息を吐く。


一つ。


続けて、二つ、三つ、四つ。


最後に、五つ目。


第五鐘が、はっきりと世界を打った。


鐘の余韻の中で、赤い町がゆっくりと透けていく。

恐怖ではない。

ようやく止まっていた時計が動き出したような、静かな消え方だった。


西門の上に立つ門兵隊長が、遠くでこちらに剣を掲げるのが見えた。

弓兵たちの残響が、風のように散る。

市場の灯りが一つずつ落ち、町並みが夕焼けごと薄れていく。


ノアの左目の罅も、少しだけ和らいだ。


視界いっぱいに、システムメッセージが開く。


――――

残響イベント《鐘楼に残る防衛戦》クリア

追加条件達成:欠損資産《鐘芯》を回収

追加条件達成:第五鐘の再生に成功

報酬を算出中……

――――


続けて、金色の文字。


――――

残響片《第五鐘》を獲得

派生スキル《残響投影》を獲得

識別登録:鐘守ノア

零層保管庫への接続が安定化しました

Lv1→Lv3

――――


「……識別登録?」


俺が呟くと、ノアの頭上に小さな光の輪が浮かんだ。

一瞬だけ、彼女の姿が粒子にほどけ、すぐにまた戻る。


「たぶん、これで消えにくくなった」

「ナギのところに、帰れる」


零層保管庫に、という意味だろう。

失われたNPCを“登録”して持ち歩くなんて、普通のゲームならありえない。

でもこれは、普通のゲームじゃない。

少なくとも俺にとってはもう、そうだ。


その時だった。


現在の世界が、上から被さってくる。

白い鐘楼。

青い夜空。

始まりのリベルタの灯り。

残響セクタが閉じ、現行世界へ完全に復帰したのだ。


そして――


ゴォン、と。


今度は、誰の耳にも聞こえる現実の鐘が鳴った。


時計塔の鐘が、夜の始まりの街に五度、響き渡る。


広場の方から、どよめきが起きた。

悲鳴ではない。

驚きと興奮が混ざった、プレイヤーたちのざわめきだ。


ユウトの声が、今度こそ鼓膜を震わせる。


『鳴ったァ!?』


「鳴ったな」


『いやそうじゃねえ! 時計塔の鐘、さっきまで鳴らないオブジェだったろ!? なんでいきなり五回!?』


「鳴らなかったから鳴らした」


『省略するな! そこ一番大事だろ!』


下を見ると、時計塔の周囲には既に人だかりができ始めていた。

広場から何人もこちらを指差している。

どうやら、塔の最上部にいる俺の姿までは見えているらしい。


面倒だな、と思った瞬間、さらにメッセージが表示された。


――――

World Notice

始まりのリベルタにて隠し環境変化が発生しました

一部の探索要素が更新されました

――――


「おいおい……」


これはまずい。

“俺だけの継ぎ目”が、“みんなの噂の的”に変わる速度が早すぎる。


だが、次の表示を見て、そんなことは少しどうでもよくなった。


――――

Main Quest Update

《零層保管庫》を調査せよ

回収済み残響:1/7

次の残響座標を表示します

――――


ミニマップが開く。


始まりの街から外へ。

初級狩場の森を越え、その先の湖へ向かって、細い光の線が走っていた。


いや、湖ではない。

水面の下だ。


暗い底に、まっすぐ伸びる人工物の影がある。

ホーム。

線路。

駅名表示らしき四角い看板。


水底に沈んだ、駅。


「……次はそう来るか」


思わず笑う。

サービス終了したファンタジー防衛RPGの次に、水没した近未来ホラー探索ゲームの残骸とか、統合の仕方が雑にもほどがある。


でも嫌いじゃない。

むしろ、かなり好きだ。


「ナギ」


振り向くと、ノアが少し離れた場所に立っていた。

さっきまでの鐘守衣装のまま、でも輪郭はずっと安定している。


「また、見つけにいくの?」


「行く」


「そっか」


ノアは塔の外、ざわめくプレイヤーたちを一度見下ろして、それから小さく笑った。


「今度は、ちゃんとつづきにしよう」


その言い方が妙に気に入った。


下ではもう、何人かが塔の入口に殺到している。

上がってくるのも時間の問題だろう。

有名になるのは面倒だが、継ぎ目は待ってくれない。


俺は鐘楼の裏手、さっき通った蔦の壁に視線をやった。

まだ使える。


「ユウト」


『なんだ! ようやく説明する気になったか!』


「無理だな。長くなる」


『だろうな!』


「だから結論だけ言う」


『おう』


「このゲーム、たぶんあと六回は世界の裏側がある」


数秒の沈黙。


『……それ、わりと洒落になってなくないか?』


「最高だろ」


そう言って、俺は壁際に足をかけた。


神ゲーの攻略なんて、みんなが表側で勝手に進める。

レベル上げも、ボス攻略も、最強装備も、いずれ情報は出揃うだろう。


でも、終わった世界の続きを拾えるのは、たぶん今のところ俺だけだ。


なら、やることは決まっている。


第五鐘の余韻がまだ街に残る中、俺は時計塔を降りながら、水底の駅へ伸びる次の亀裂を見た。


神ゲーの最前線は、どうやら今日も誰もいない場所にあるらしい。


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