サービス終了した世界の亡霊
俺が好きなのは、神ゲーじゃない。
評価サイトで星二つ。
攻略wikiは初期ページだけ。
運営の告知文が毎回微妙に日本語おかしい。
大型アップデートを予告したまま、そのまま半年音沙汰なし。
そういう、どうしようもなく歪んだゲームだ。
理由は簡単だった。
綺麗に作られたゲームは、誰が遊んでもだいたい同じ景色を見る。
でも、壊れたゲームは違う。
穴だらけの仕様、意味不明な当たり判定、開発者しか知らないはずの継ぎ目。
そこには、まともな攻略サイトにも、配信者の切り抜きにも映らない“裏側”がある。
そして俺は、その裏側を見つけるのが好きだった。
「で、なんでお前が《アーカイヴ・ワールド・オンライン》の初日ログイン組なんだよ」
ヘッドセット接続前、ボイス通話越しにそう言ってきたのは、大学時代からの腐れ縁――篠宮ユウトだ。
「お前、流行りのゲームに飛びつくタイプじゃないだろ。どっちかっていうと、サ終一週間前に人のいない廃村を散歩してる変人だろ」
「言い方に悪意があるな」
「事実だろ」
否定できないので黙る。
机の横には、既に起動不能になった旧式VRタイトルのパッケージ群が並んでいた。今どきパッケージ版なんて珍しいが、俺は気に入ったゲームだけは現物を残している。
思い出とか愛着とか、そういう綺麗な理由ではない。
単に、終わった世界の墓標みたいで落ち着くからだ。
「今回は別だよ」
俺は天井を見上げながら答えた。
「《アーカイヴ・ワールド・オンライン》は、過去にサービス終了したVRゲームの資産を買い取って統合してる。マップ、モーション、AI、環境音、オブジェクト。一から全部作ったわけじゃない」
「それが?」
「綺麗に統合できてるなら神ゲーだ。
でも、もし一つでも継ぎ目が残ってるなら――そこは、俺の狩り場になる」
通話の向こうで、ユウトが数秒黙った。
「……毎回思うけど、お前のゲームの楽しみ方、ちょっと怖いんだよな」
「褒め言葉として受け取っておく」
「褒めてねえよ。まあいい。俺は普通に最強ビルド探すから、お前はお前で床でもめくってろ」
「言われなくても」
通話を切る。
直後、視界端に起動待機の青いアイコンが灯った。
サービス開始時刻、二十一時ちょうど。
世界最大級の同時接続が予想される新作VRMMO。
事前評価はほぼ満点。
先行体験したレビュー勢は口を揃えて「これが次世代だ」と言った。
俺は深く息を吸い、フルダイブ装置に身を預ける。
「ログイン。《アーカイヴ・ワールド・オンライン》」
視界が暗転し、次の瞬間、世界が生まれた。
---
最初に感じたのは、風だった。
頬を撫でる気流。草の匂い。遠くで鳴く鳥の音。
視覚や聴覚だけじゃない。温度、重力感、靴裏に触れる石畳の硬さまで、現実と見分けがつかない。
目の前には、白い塔を中心に広がる始まりの街。
噴水が陽光を跳ね返し、広場を行き交うプレイヤーたちが、歓声混じりに走り回っていた。
「……なるほど。これは、たしかにすごい」
思わず本音が漏れた。
空の高さが違う。
遠景の山脈まで、ぼやけずにきっちり存在している。
NPCの歩き方一つ取っても、既存のVRゲームにありがちな“人形っぽさ”がほとんどない。
神ゲー。
その二文字で済ませるのが腹立たしいくらい、完成度が高い。
メニューを開く。ステータスは初期値のままだ。
---
Name:ナギ
種族:ヒューマン
職業:フリーランナー
Lv:1
初期スキル
《短剣術 Lv1》
《回避補正 Lv1》
《踏破補正 Lv1》
---
「へえ。自動適性でフリーランナーか」
キャラメイク時の身体操作テストで決まる初期職だ。
剣士、魔導士、重戦士、弓手あたりが王道らしいが、俺に振られたのは移動系の軽量職。
悪くない。むしろ当たりだ。
重装はバグ検証に向かない。
動けるキャラは、それだけで価値がある。
周囲では、既に初心者クエストを受けに走り出しているプレイヤーも多い。
だが俺は広場の中央、噴水の縁にしゃがみ込み、石畳を指でなぞった。
「……やっぱり、ある」
ほんのわずかに、テクスチャの質感が違う。
見た目は同じ白石だ。
だが、足裏から伝わる摩擦係数が、周囲と一枚だけ違う。
こんな感覚まで拾えるのか、と感心するのは後回しだ。
俺はその違和感に覚えがあった。
このざらつき。
この、靴先だけ妙に引っかかる感触。
四年前にサービス終了したVRアクション《グレイブ・メイズ》の旧式床判定だ。
あのゲームは酷かった。
階段を上るだけでカメラが天井にめり込み、壁沿いダッシュからのメニューキャンセルで、マップの継ぎ目に落ちる。
最低の出来だったが、俺は結局、終了前日まで遊んだ。
「まさか……同じ判定ライブラリ、残してるのか?」
広場の喧騒の中、俺は噴水脇の柱に肩を寄せる。
右足を半歩引く。
視線を四十五度下げる。
移動入力を入れながらメニューを開く。
閉じる。同時にしゃがむ。
もう一度だけ、斜め前へ。
傍から見れば、初日広場のど真ん中で変なストレッチを始めた不審者だろう。
実際、近くのプレイヤー二人がちょっと離れた。
だが、次の瞬間。
石畳が、ふっと揺れた。
「――入った」
世界が一枚、ずれる。
足元の感触が消え、身体が音もなく沈み込んだ。
広場のざわめきが一瞬で遠ざかり、視界が灰色に塗り潰される。
落下。
重力感はあるのに、風がない。
身体が何層もの薄膜を突き抜けるような、不快な浮遊感。
そして着地。
鈍い音と共に、俺は膝をついた。
「……ここは」
立ち上がって、息を呑む。
そこは、世界の裏側だった。
空も地平もない。
ただ灰色の空間に、半透明の床と、積み重なった扉の残骸が、どこまでも並んでいる。
木製の扉。金属製の扉。和風の引き戸。SFじみた自動隔壁。
世界観が統一されていない。
いや、されるはずがない。これは多分、別々のゲームの入口データが、そのまま圧縮されて積み上がっている。
視界の端に赤い警告が点滅した。
---
WARNING
未承認セクタへの侵入を検知
プレイヤー識別:成功
領域認証:失敗
処理保留中……
---
「未承認セクタ……」
笑いそうになった。
ある。
本当にあったのだ。
神ゲーの底に、消しきれなかった継ぎ目が。
俺が一歩踏み出した、そのときだった。
「……だれ?」
声がした。
女の子の声だ。
警戒というより、確かめるような、か細い声。
振り向く。
扉の山の影に、一人の少女が座り込んでいた。年齢は十代半ばくらいに見える。
白を基調にしたローブは古いポリゴン数のせいか、今の高精細な世界の中だとわずかに輪郭が荒い。髪の先端だけが、ノイズみたいに淡く崩れていた。
そして何より、その瞳が妙だった。
右目は普通の薄青色。
左目は、ガラスに走る罅みたいに、幾何学的な光を浮かべている。
「プレイヤー……? まだ、この先があるの?」
問いの意味が、すぐには分からなかった。
「ある、っていうのは」
「つづき」
少女は、まるで夢から覚めきっていないような顔で言う。
「終わったあとにも、つづきはあるの?」
その言葉で、背筋がぞくりとした。
サービス終了したNPCは、普通、そんなことを言わない。
そもそも“終了後”なんて概念を持たないように作られている。
だが、目の前の少女は違う。
彼女は、自分の世界が終わったことを知っている。
「君は、どのゲームのNPCだ」
「……わからない」
少女は小さく首を振った。
「まえは、町があって、空が赤くて、鐘が鳴ると、みんな門を閉めて……でも、最後にすごく白くなって、それで、ここ」
記憶が断片化している。
だが、断片だけで十分だった。
赤い空、鐘の音、防衛門。
七年前に終了した防衛型VRRPGだ。
当時としてはかなり意欲作だったが、同期ズレ地獄で対人戦が壊滅し、三か月で終わったタイトル。
俺は一週間だけ触って、あまりのラグに投げた。
でも、町に鳴る鐘の音だけは妙に好きで、今でも覚えている。
「……そうか」
まさか、こんな場所で再会するとは思わなかった。
少女は立ち上がろうとして、ふらついた。
その瞬間、灰色の空間全体に、低い警告音が響く。
---
Validation Process Start
未統合資産の整理を開始します
不要データを削除します
---
「やばいな」
俺が呟くのと同時、扉の山が軋んだ。
積み重なった扉同士の隙間から、黒い液体みたいなものが染み出してくる。
それは床の上で渦を巻き、やがて四足の獣の形を取った。
狼、に近い。
だが頭部は二つに割れ、片方は低解像度、もう片方は妙に写実的で、脚の長さすら左右で違う。
統合に失敗したモンスター資産を、削除プロセスが無理やり一体にまとめたような姿だった。
---
ERROR ENEMY
《パッチハウンド》
Lv:???
---
「護衛、じゃなくて消去係か」
俺は腰の短剣を抜く。
初期装備の、しょぼい鉄のダガー。
まともにやれば、まず勝てない。
パッチハウンドが吠えた。
吠え声は二重にズレていた。高い咆哮と、遅れてくる低音。音声同期がズレている。
「なら――動きもズレるはずだ」
獣が飛びかかる。
速い。
だが、見えないほどじゃない。
いや、違う。
見えている位置と、当たり判定が一瞬だけずれている。
懐かしい感覚だった。
昔の低予算VRアクションにありがちな、アニメーション先行型の当たり判定。
見た目より半拍遅れて“本当の攻撃”が来るタイプだ。
俺は目の前の爪ではなく、半歩未来の軌道を外すように身体を捻る。
爪が頬の横を空振った。
風圧だけが遅れて届く。
「やっぱりか!」
着地。
左脚だけ、床にめり込む。
左右の脚長が違うせいで、モーションの終点が噛み合っていない。
なら、狙う場所は一つ。
俺は真正面から踏み込まず、あえて獣の右斜め後ろへ滑り込む。
視線は肩口。
《ブラッドシフト・オンライン》のミラーモデルバグと同じなら、ここに“死角”がある。
短剣を突き込んだ。
硬い感触。
金属でも肉でもない、ファイルの束をこじ開けるような妙な手応え。
獣が悲鳴を上げて身を捩る。
しかし俺は離れない。
肩口の死角は、攻撃判定が噛み合わない。昔、似たようなバグ持ちボスに何十回も殺されて、嫌というほど覚えた。
「神ゲーの化け物が、サ終クソゲーの不具合を引き継いでるとか……最高に笑えないな!」
パッチハウンドが後退し、空間がびりっと歪んだ。
次の瞬間、床の一部が持ち上がる。
違う。持ち上がったように見えただけだ。コリジョンの更新が一拍遅れている。
この床は罠じゃない。
“片側からだけ乗れる一方通行判定”だ。
俺は一気に駆けた。
「こっちだ!」
獣が追う。
俺が半透明の床片の上を踏み越えた直後、パッチハウンドが飛びかかった。
その巨体が、床に半分だけ埋まる。
前脚は上、胴は下。
当たり判定と見た目が食い違い、無理やり固定された形だ。
「チェックメイト」
俺は獣の喉元――正確には、そこに浮かんだ黒いエラーの核へ、短剣を深く突き立てた。
甲高いノイズ。
獣の身体が砕け、文字化けした破片になって散る。
そして静寂。
数秒遅れて、システムメッセージが降ってきた。
---
Hidden Quest Clear
《未承認セクタの消去抵抗》を達成しました
報酬を付与します
称号《終了世界の観測者》を獲得
固有スキル《未適用パッチ》を獲得
派生スキル《残響知覚》を獲得
---
息を吐く。
「……固有スキル?」
震える指でウィンドウを開いた。
---
《未適用パッチ》
世界に残る未統合データ、判定不整合、環境例外を知覚し、限定的に利用できる。
利用可能な現象はプレイヤーの認識・経験・接触履歴に依存する。
《残響知覚》
終了済みコンテンツの痕跡を感知する。
特定条件下で、失われたNPC・地形・イベントを再観測できる。
---
「……とんでもないもの引いたな」
強い。
だが、分かりやすい強さじゃない。
剣の火力が上がるわけでも、魔法が派手になるわけでもない。
代わりに、“この世界に残った継ぎ目だけが見える”。
普通のプレイヤーなら見向きもしない、いや、そもそも見えない穴。
それを武器に変えるスキル。
まるで俺のために用意されたみたいだった。
「……あなた、いけるんだね」
少女の声に振り向く。
いつの間にか、彼女の輪郭は少しだけ安定していた。
崩れていた髪のノイズが薄くなり、左目の罅も静まっている。
「名前は?」
俺が聞くと、少女は少し考えてから答えた。
「ノア」
「ノア。君はどうなる」
「わからない。でも、さっきより、消えにくい気がする」
ノアは胸元で手を組んだ。
「ねえ、プレイヤーさん」
「ナギだ」
「ナギ。まだ、こういう場所があるなら……見つけてあげて。終わったまま、だれにも知られないのは、さみしいから」
その言葉は、妙に重かった。
たかがデータ、たかがNPC。
そう言ってしまえば簡単だ。
でも俺は、終わるゲームを何本も見てきた。
最終ログイン日に誰もいないロビーも、更新の止まったお知らせ欄も、最後に一度だけ開いた運営の挨拶も知っている。
終わった世界は、確かに終わる。
でも、誰にも見られず消えるのは、少しだけ惜しい。
「……分かった」
俺が頷いた瞬間、ノアの足元に淡い光が走る。
---
Main Quest Update
《零層保管庫》を調査せよ
失われた世界の残響を回収せよ
---
次の瞬間、視界が白く弾けた。
---
気づけば、俺は始まりの街の噴水前に立っていた。
周囲は変わらず大騒ぎだ。
初心者が走り回り、NPCが案内を繰り返し、誰も俺が今しがた世界の裏側から帰ってきたことなど知らない。
――いや、一つだけ違った。
頭上に、金色の文字が走る。
---
World Announcement
プレイヤー【ナギ】が最初の隠し称号
《終了世界の観測者》を獲得しました
---
「は?」
思わず素で声が出た。
直後、フレンド通知が爆発する。
ユウトからの通話申請。
知らないプレイヤーからのフレンド申請。
勧誘、質問、配信出演オファーらしきメッセージまで一気に流れ込んできた。
俺はひとまず全部閉じた。
そんなことより、今は確認したいことがある。
《残響知覚》を起動する。
すると、街の輪郭がわずかに変わった。
白く整った石畳のあちこちに、極細のひび割れみたいな光が走る。
普通のプレイヤーには見えない線。
そのうちの一本は、遠く、街の外れの時計塔へと伸びていた。
そして、その塔の最上部だけが一瞬、別の姿に見えた。
白い時計塔ではない。
赤い空を背負った、古びた鐘楼。
――《ラスト・ベル・クライ》の、終わる直前の街だ。
「マジかよ……」
鳥肌が立つ。
神ゲーの中に、終わったゲームが埋まっている。
しかも一つや二つじゃない。
その瞬間、ユウトからの再着信が来た。
仕方なく繋ぐと、開口一番、怒鳴られた。
『おい! 今の全体通知、お前か!? 何やった!?』
「床をめくった」
『意味が分からん!』
「俺にも半分くらいしか分かってない」
そう答えながら、俺は街の外れの時計塔を見上げる。
あそこに、次の継ぎ目がある。
たぶん、間違いない。
サービス終了した世界の残骸。
統合しきれなかった亡霊。
そして、その継ぎ目だけを見つけられる俺。
剣でも魔法でもない。
だけど、こういうのは嫌いじゃない。
「――さて」
俺は短剣をくるりと回し、歩き出した。
史上最高の神ゲー攻略は、たぶん今日から始まる。
ただし表側じゃない。
誰も知らない、世界の裏側からだ。




