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#09境界線ノ先に

※毎日12時に更新しています!

放課後の静寂の中、凪の心に残ったのは、斎との無言の共闘。

「器」である自分に向けられた行動の意味を、ただの“任務”だと割り切れずにいた。


今回は、声に出せない想い、言葉にならない揺らぎ――

凪の「仮面」の裏側と、“人間”としての一瞬の動揺を描きます。

 放課後の昇降口。

 夕焼けが廊下に長い影を落としている。


「……あっ」


 鞄を肩にかけた空良が、靴を履こうとしてふと呟いた。


「どうした?」


 隣で帰り支度をしていた柚月が声をかける。


「体育館シューズ、置きっぱなしにしてきちゃった。今日、体育で使ったまま……、忘れてた」


 空良は額に手を当てて苦笑いする。


「今から取りに行ってくる。待ってて!」


 そう言って、空良は踵を返し、体育館の裏手へと駆けていった。


「おい、日が暮れてんぞ……」


 柚月が少し困ったように呟き、空良の背を見送る。


 ――その時だった。


 昇降口にひやりとした風が吹き抜ける。


 季節外れの冷気に、柚月は思わず眉をひそめた。


「……この感じ……まさか」


 空気が揺れている。

 ぬめりとした、頬をくすぐるような陰湿な風。


 柚月は直感的に異変を察知し、即座に走り出した。


「空良!」


 ***


 一方、資料室では凪が霊査を行っていた。

 斎に止められたが、次の被害者を出すわけにはいかない。


 学校全体に霊力を広げていく。

 それだけで、意識が持っていかれそうになる。

 体は重く、視界もやや揺れていた。


 けれど―やめるわけにはいかなかった。


 ふとカーテンを揺らしていた、風の流れが変わった。


 凪は霊査を止めた。


 ――これは、残滓(ざんし)じゃない。


 まだ祓われていない、霊災そのもの。


 凪は顔を上げ、気配の先――体育館へと駆け出す。


「凪様っ」


 斎もまた、凪を追って走り出す。


 ***


 体育館裏。

 扉の近くに、空良が立ち尽くしていた。


 何かを見ている。

 目の前の空間が、ゆらりと歪んでいる。


 風がざわめき、異形の“気配”が膨れ上がる。


 霊災――

 黒い靄が段々と、形を持ちはじめていた。


「――離れろ、空良!」


 到着した柚月が叫ぶが、空良は立ち尽くしたまま動かない。


「くそっ、捕らわれてるのか」


 柚月は胸ポケットから呪符を取り出し、詠唱を始める。

 だが、靄はその動きを止めない。

 触手のように本体から伸ばされた靄が、空良を捕らえようとした時。


「任せろ」


 柚月の聞きなれた声。

 だが、その声はいつもの柔らかく、つかみどころのない声ではなかった。


「……凪?」


 駆け込んできた凪が、すかさず柚月を庇うように立つ。


 懐から霊符を抜き、空中に展開。

 結界の紋が浮かび上がり、風を裂く。


 凪の動きは迷いがなかった。

 無言のまま、次々と対処していく。

 流れるように指で結印(けついん)を組み、真言を唱える。


 凪の声に反応するように、靄の動きがぴたりと止まる。

 地鳴りのような咆哮をあげ、凪へと向かってくる。


「……結」


 凪のつぶやきに呼応して、靄はその動きを止めた。


 解放された空良が、脱力しペタンと座り込む。


「柚月、宮坂さんを頼む」

「あ、あぁ」


 柚月は、凪に言われるがまま空良の元へと駆けていく。


「空良、大丈夫か?」


 柚月が声をかけると、空良はハッと目を見開いて、キョロキョロとあたりを見渡した。


 その様子を見届けて、凪は改めて靄と対峙した。


 背後から、斎が到着する。


 静かに結界を補強し、霊災の動きを封じていく。


 二人の連携は言葉を交わさずとも、完璧だった。


「大丈夫、あなたの思いは俺が覚えているから。声を聴かせて」


 靄に向かい凪が霊符を放つと、薄紅色の花弁が靄を包み込んだ。

 淡く霊符が光り、 最後の一瞬。

 人の姿を成した霊災が、霊符に吸い込まれていった。


 霊符を拾い上げた凪の足元に、ふらりと影が揺れた。

 限界だった。視界が暗転し、膝が崩れる。


「っ……!」


 その体を支えたのは斎だった。無言のまま、しっかりと凪を抱きとめる。


「凪くん!」


 駆け寄ってきた空良が、凪を覗き込む。瞳が潤み、心から心配しているのが伝わる。


「……すごかった。さっきの、何……?」


 空良の声が、揺れる意識の中に染み込んでくる。

 続いて、柚月も駆け寄ってきた。


 霊符の残り香と、空良の様子、斎と凪の立ち位置を見て――彼はすべてを察した。


「お前が本家の“器”だったのかよ……」


 その言葉に、凪の背中がびくりと震えた。

 斎の腕の中で体を起こす。だが――


(見られた……全部、見られた)


 これまで張りつけてきた仮面が剥がれ落ちた。

 優等生として、演技をして過ごしてきた日々が崩れていく。


(……なんで、こんなに胸が痛いんだ)


 “器”である以上、感情を表に出すなと教え込まれてきた。

 友人など必要ない。そう思い込んできた。

 なのに――怖かった。


 日常が壊れていく音が、心の奥に響いていた。


 沈黙を破ったのは、空良だった。


「凪君!すごいね! ねぇ、あれ何? お花がばぁーってなって、めちゃくちゃ綺麗だった!」


「……え?」


「助けてくれて、ありがとう! ほんと、すごかったよ!」


 目を輝かせたまま、空良は凪の手をぎゅっと握り、ぶんぶんと振る。


「……あ、り、がとう?」


「そう!凪君にありがとうだよ!」


 あまりにまっすぐな言葉に、凪は戸惑いながらも何も言えなかった。


「凪、お前さぁ――」


 柚月が腕を組みながら、じろりと睨む。


「……柚月?」


「そういう大事なことは、ちゃんと言えっての!」


「だ、大事な……こと?」


「お前、本家の“器”なんだろ? 俺だって、それくらいは知ってるさ。最強の陰陽師ってやつだろ?」


「最強では……ないけど……」


「でも、“器”なんだろ?」


「……うん」


「じゃあ、最強じゃん! てか、最近の現場、制服の後ろ姿、俺見たぞ! あれ、絶対お前だよな!」


「……そう、かも」


「自慢してぇ~~! 本家の“器”が俺の友達ですって!」


「やめて、それは……その、“友達”っていうのも……」


「は? 俺と空良のこと、今まで何だと思ってたんだよ」


 柚月の声に、空良が強く頷く。


「私は、凪君のこと友達って思ってるよ?」


「……友達……」


 凪の中に、小さな波紋が広がる。

 生まれて初めて聞いた言葉。自分に向けられた「友達」という肯定。


 けれど、その余韻を切り裂くように、斎が静かに口を開いた。


「盛り上がっているところ、申し訳ありませんが――凪様は高熱が出ています。保健室へ運びます」


 凪は、もう抵抗しなかった。

 斎に身を預けると、少しだけ目を伏せる。


 ――拒絶は、なかった。


 少し冷えた夕方の空気の中で、柚月と空良の温もりが、凪の心にしみ込んでいた。

最後までお読みいただきありがとうございました。


第八話では、凪の心の中にある“沈黙のざわめき”を丁寧に描いてみました。

幼い頃から感情を抑えるよう育てられた凪にとって、「守られた」と感じたことも、「誰かを想う」ことも、すべてが戸惑いです。


斎との関係に、わずかな変化の兆しが芽生え始めた今。

そして、まだ学苑内に残る“異変”が、次の出来事へとつながっていきます。


次回は閑話となります!どうぞお楽しみに。

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