#03不可視ノ守護者
通学路に忍び寄る、見えざる災い。
優等生の仮面の下で、凪は“器”としての本能に目を凝らす。
少しずつ近づく霊災の気配と、それに介入する“守役”の存在。
第2話、静かに崩れていく日常の幕開けです。
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春の陽射しが差し込む通学路。
制服の襟が、やわらかな風に揺れていた。
須皇 凪は、ゆるやかな坂道を静かに歩いていた。
どこか儚げな笑みを浮かべながら、「優等生」としての仮面を今日も崩さない。
「凪くん、おはよう!」
明るい声が背後から響いた。
振り返ると、宮坂 空良がにこにこと駆け寄ってくる。
「おはようございます、宮坂さん」
「今日はぽかぽかだね。なんか、春の匂いがする」
空良の言葉にあわせて、凪はふわりと笑った。
けれど、その瞳の奥には、別の色が差していた。
――妙だ。風の流れが、不自然に渦を巻いている。
足を止め、無意識に制服の内ポケットへと指をかける。
その瞬間――。
その瞬間だった。
「きゃぁっ!」
空良が「きゃぁっ!」と叫び、反射的にしゃがみこんだ。
上方で「ぎぃっ」と金属のきしむ音が響く。
傍の街灯のポールが、強風に煽られたように大きく傾いていた。
だが――風は、吹いていなかった。
次の瞬間。
ポールは空中でぴたりと止まり、まるで見えない何かに押さえつけられるように静止した。
そして――ぐにゃりと、不自然な角度のまま、微動だにしなくなった。
「宮坂さん、大丈夫?」
凪が手を貸し、空良がゆっくりと立ち上がる。
「ありがとう、凪くん。今、こっちに倒れてきた……よね?」
空良がポールを見上げる。
そこへ、十和田 柚月が小走りでやってきた。
「よっ、お前らどうした? ……って、あれ、ポール、曲がってね?」
「今、倒れてきたの……風もないのに」
「風っていうか……吹いてた? さっき?」
柚月は眉をひそめ、傾いたポールを見上げる。
その隣で、凪は背後をさりげなく振り返った。
少し離れた交差点の影に、篠森 斎の姿があった。
無表情のまま此方を見つめている。
(……律儀な“守役”様だこと)
凪は小さく息をつき、すぐに表情を緩めた。
「根元が腐ってたんですかね。街灯って、けっこう古いですし」
「……うーん、そうかなあ……」
「変な形に曲がってんな」
柚月がコンコンとポールを小突いた。
凪は、穏やかな微笑を貼りつけたまま、静かに思考を深めていた。
――風。霊災の“探り”か。
***
昼休み後の校庭。
生徒たちの掛け声とボールの跳ねる音がグラウンドに響いていた。
凪は日陰のベンチに腰掛け、見学用のジャージの上着を羽織っていた。
体育は「体調考慮のため見学」。この学苑では、すでにおなじみの光景である。
陽射しが眩しくて、目を細める。
その視線の先では、空良が元気にボールを追っていた。
けれど――。
凪の眉が、ほんのわずかに動く。
――空気が、重い。
けれど、俺が反応するほどじゃ……。
そう判断しかけた、そのとき。
「――っ、宮坂さん……?」
空良が、ぴたりと足を止めた。
まるで何かにぶつかったように、勢いを削がれたように。
手を額に当て、眩しそうに目を閉じる。
「宮坂!」
誰かの叫び声が響いた。
空良の体がふらりと揺れ、そのまま倒れ込むように崩れ落ちる。
生徒たちが駆け寄り、教師が駆けつけ、騒然とした空気が流れる。
凪は立ち上がりかけ――しかし、動かずに周囲の気配を探った。
――突風に紛れて、霊の気配が“走った”。
“それ”は獲物を探して、通学路を徘徊していた。
そして、さっき……空良に“標”を刻んだ。
(……ロックオン、か)
霊災――《風喰ノ徘》。
瘴気をまといながら、風に紛れて彷徨う存在。
人の気配と霊気を探り、感応しやすい者を“喰う”。
そして今――空良が、それに“選ばれた”。
だがこの場に、もう瘴気は残っていない。
獲物を定めた《風喰ノ徘》は、次の“時”に備えて身を潜めたのだ。
空良が保健室へと運ばれていく様子を、凪はただじっと見送った。
***
空良が保健室へ運ばれたあと、凪もまた、その扉を静かにノックした。
「失礼します」
室内には、ベッドで眠る空良と、その隣で書類を片付けていた綾女の姿があった。
顔を上げた綾女が、凪の頬を見て小さく眉を寄せる。
「……来たってことは、やっぱり、そういうことね」
「……はい。霊的なものに“当てられた”のだと思います」
「そっか。こっち来なさい」
綾女が椅子を引き、凪を手招く。
言われるままにベッド脇に腰を下ろすと、彼女は慣れた手つきでガーゼを外した。
「昨日より、腫れてるじゃない。ちゃんと手当てしたの?」
「一応、は」
「“は”って何よ、“は”って」
呆れたようにため息をつきながら、綾女は新しい消毒綿を取り出した。
ふと、その手が止まる。
「……昨日、何かあった?」
「……いえ」
凪は視線を外した。
「嘘ね。そういう顔してる」
「……」
「何もかも一人で抱え込まないで。私は“こちら側”にいるんだから」
綾女の声は、柔らかくも鋭い。
それでも、凪は曖昧に笑ってごまかすしかなかった。
沈黙を破ったのは、扉の開く音だった。
「失礼します」
現れたのは、薄いグレーのスーツを纏った青年――斎だった。
その姿を見た綾女が、わずかに目を細める。
「あら……臨時の先生、でしたっけ?」
「はい。本日より、古典の授業を担当しています。篠森 斎です」
斎は一礼すると、ベッドの空良を見やった。
「宮坂さんの容態を伺いに」
「あなたが……?」
綾女の視線が、斎と凪を交互に行き来する。
「……この子が“当てられた”と、なぜ分かったのかしら?」
凪が小さく口を開いた。
「――俺が“器”としての役目を果たすよう、傍に立つ……それが彼の“役割”だそうです」
「傍に立つだけにしては、目立ちすぎね」
「……ですね」
凪の声には、乾いた皮肉が滲んでいた。
***
日が傾き、学苑の影が伸びていく頃。
凪は、誰もいない資料室で、ひとり黙々と古い書物を読み込んでいた。
けれど、ページをめくる手が、途中で止まる。
――気配。
扉が静かに開き、誰かが足音もなく入ってくる。
「……監視?」
手元に目線を落としたまま、凪は言った。
「……“守役”なので」
斎の声は、静かで落ち着いていた。
それが、かえって凪の苛立ちを煽る。
「宮坂さん、ちゃんと家まで送った?」
「はい、送り届けました」
「そっか」
凪がページを捲る音だけが、静かな空間に響く。
「……座れば?」
「失礼します」
促されて斎は、凪から程よく離れた椅子を引いた。
凪が、ぽつりと続ける。
「声が、聞こえたんだ」
「声、ですか?」
凪がまた、一枚、ページを進めた。
「俺にしか聞こえない声があるんだよ」
パタンと読んでいた書物を閉じて、凪が立ち上がる。
「伸ばした手がつかむのは、何なんだろうな」
独り言のように呟いて、凪は資料室を後にした。
斎はそのまま、昇降口から出る凪を資料室の窓から見送った。
空良の異変、そして凪の警戒。
斎の「守役」としての第一歩が、静かに描かれました。
次回、さらに深まる“霊災”の影と、凪の内面にも変化が……?
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