#02器ノ日常
前回のプロローグをお読みくださった皆さま、ありがとうございます!
今回から本格的に物語が始まります。
須皇 凪は、ごく普通の高校生――の“ふり”をしている。
そんな凪の教室に、ある日突然「臨時教師」がやってきた。
人知れず霊災と向き合う日常に、ゆっくりと変化が忍び寄る第一話。
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春の陽が差し込む教室。
窓際の席で、須皇 凪は静かにノートを取っていた。白く整った指先が、筆記具を滑らせる音だけが耳に心地よい。
その隣の席では、宮坂 空良が小声でそわそわしている。
「凪くん、ねえ、今日の古典……臨時の先生、来るんだよね?」
「うん。教務から連絡があったって、担任の先生がさっき言ってたよ」
「やっぱり〜! どんな人なんだろ……年配かな、怖い人じゃないといいけど……」
「……ふふっ、楽しみだね」
「そういえば、ほっぺ、どうしたの? また、転んだの?」
「うん、ちょっと躓いちゃって」
「もう、凪くん、きれいな顔してるんだから、気をつけないと」
「ありがと、宮坂さん」
凪はいつものように、柔らかく微笑んで返す。
無駄のない、感情の起伏を抑えた返答。だが、彼の内心には小さな棘のような警戒が刺さっていた。
「はい、みなさん静かに。次の古典の授業ですが……本日より産休に入られた小林先生の代わりに、臨時で篠森 斎先生が着任されます。篠森先生、お入りください」
教室のドアが開く。
一歩足を踏み入れたその人物に、生徒たちの視線が一斉に集まった。
落ち着いた藍染めのような紺のスーツに、白いシャツ。ネクタイは亜麻色。
丁寧な所作と、どこかこの世界に馴染みきらない気配。
流れるような動きと、静かに通る声。
篠森 斎が、ただそこに立っているだけで、空気が変わった。
「本日より古典を担当いたします、篠森と申します。短い期間ではありますが、どうぞよろしく」
女子生徒たちのざわめきが、どっと広がる。
「え、かっこよ……」「声めちゃくちゃ綺麗じゃない……?」
一方で、凪は斎に視線を向けながらも、変わらぬ微笑のまま、軽く頭を下げた。
昨晩、凪の前に現れた男。
守役――器を守るために派遣された者。
(……学校まで来るのかよ)
斎はそのまま教壇に立ち、流れるような口調で授業を進めていく。
板書の字も丁寧で美しく、読み上げる和歌も凛とした調子で、生徒たちは引き込まれていた。
授業終了のチャイムが鳴る。
斎は会釈し、静かに教室を後にした。
「なんか……すごい人来ちゃったね」
空良がぽかんとした顔で言う。
凪は笑顔を浮かべながら、ノートを閉じた。
(……守役と言いながらも、その実は監視役ってところか)
昼休み。
生徒たちで賑わう廊下を、凪は一人歩いていた。
視線の先には、噂の斎が歩いている。
小さなグループが次々に斎を話題にし、振り返るたびに「ねえ見た? あの先生」「あの所作、ガチで本物だよね」と声が飛び交う。
その中を、斎は淡々と歩いていた。
騒ぎには目もくれず、まるで空気のように、音を立てずに。
教師陣に軽く頭を下げ、職員室へと入っていく。
(……現世の人間にしか見えないな)
凪は無表情のまま立ち止まると、ふと左の頬に手をやった。
先日の霊災で裂けた傷には、薄くガーゼが貼られている。
自室で最低限の手当てをしたものの、今朝になっても腫れが引かなかったため、空良に背中を押されて保健室へ向かうことになったのだ。
――コン、コン。
「失礼します」
引き戸を開けると、そこには長い黒髪をひとつに結んだ女性――蘇芳 綾女がいた。
須皇の分家に生まれた陰陽師であり、凪の主治医でもある人物だ。
同じ”すおう”でも、本家と分家が同じ姓を名乗ることは許されない。
須皇とはそういう家柄だった。
凪の姿を見て、深いため息をひとつこぼした。
「こっち来なさい。座って」
凪が何も言わずとも、すべて承知済み。
自ら保健室に足を運んできただけ合格点だと、綾女は治療の準備を始める。
手際よくガーゼを剥がし、新しい薬を塗る。
痛がる様子もなく、無表情の凪に綾女のため息がまたこぼれる。
わずかに滲む血に、彼女の手が一瞬止まる。
「……あの臨時の先生。見たわよ。斎って人でしょ」
「はい」
「冥府から、“守役”が正式に派遣されたってことね。覚えてる? “器”が扉を顕現させる可能性が高まったときには、冥府が守役を付けるって」
「ええ。まさか、本当に冥府から来るとは思ってませんでしたけど」
「……それだけ、あなたの状態が進んでるってことよ」
綾女の指先がそっと傷口に触れ、薬を染み込ませる。
「俺が“器”としての役目を果たすよう、傍に立つ……それが役割だそうです」
「傍に立つだけにしては、目立ちすぎよね」
「……ですね」
ガーゼが新しく貼られ、手当てが終わる。
「あんまり、無理しないのよ」
「努力します」
凪は受け流すようにそう言い、保健室を出た。
廊下の先に、斎が立っていた。
凪と目が合うと、斎は一歩だけこちらに近づいてくる。
「頬、お怪我は……?」
「大したことない」
凪は、無表情で答えた。
斎の視線が、その傷にじっと向けられる。
そして、迷いを見せることなく、斎の手がそっと凪の頬へと伸びた。
「っ……触るな!」
凪がわずかに身を引き、斎の手を払うように避ける。
一瞬、空気が揺れる。
斎は何も言わずに手を引き、軽く頭を下げた。
(……器と守役か。鬱陶しい)
凪はそっと自分の頬に触れた。
新しいガーゼの感触が、まだ肌に馴染まない。
そのまま何も言わず、静かに教室へと戻っていった。
ご覧いただきありがとうございます!
今回は凪の“日常”を中心に描きつつ、斎という異物の介入によって彼の内面に微かな波が立つ様子を意識しました。
守役という存在が、単なる監視ではないこと。
そして“器”という言葉に込められた意味は、今後少しずつ明らかになっていきます。
次回もお楽しみに!
次回は、日常に潜む異変と、ふたりの距離がじわりと縮まるシーンも……?
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