#21 眠リノ庭デ
病室の扉が静かに開き、綾女が足音を忍ばせて入ってきた。
ベッドの脇に腰を下ろす斎に気づき、軽く息をついた。
「容態は安定してるわ。命に別状はないけど……疲労と出血、それに高熱。目を覚ますには少し時間がかかるかもしれない」
「……そう、ですか……」
斎は凪の寝顔を見つめたまま、小さく答えた。
その手は、今も凪の手を包むように握られている。
「もっと早く、助けられていれば……」
苦しげに落ちる斎の声に、綾女はふっと微笑んだ。
その目は、どこか優しくも鋭い。
「冥府令、ありがとう。あれがなければ、凪は今も……」
「……いえ。私には、あれくらいのことしか……できませんでした」
斎の低い声に、綾女はかすかに首を横に振る。
「違うわ。あなただから、できたのよ。私じゃ、あの座敷牢から凪を救い出すことはできなかった」
斎の指がわずかに震える。
それでも、凪の手から離れようとはしなかった。
綾女はふっと表情を緩めて、からかうように続けた。
「……で、ひひじじい、怒ってたでしょ?」
唐突な一言に、斎が瞬きをする。
「……ええ。叫んでいましたね。『凪は須皇家のものだ』と、かなり取り乱していました」
「ふっ。……ざまあみろだわ。でも、あの人がこのまま引き下がるとは思えない。……覚悟は、しておいて」
「……もちろんです」
斎は、静かに答えた。
綾女はゆっくり立ち上がり、ベッドに目をやる。
穏やかな眠りにある凪の表情を見て、小さく安堵の息をついた。
斎がそう返したとき、ふと、ベッドの上の凪がわずかに眉を寄せた。
呼吸のリズムが浅くなり、布団の下の手がかすかに動く。
――反応。
斎は思わず身を乗り出し、凪の傍らに膝をついた。
「……凪さん?」
小さく呼びかけると、まぶたの隙間がほんの少しだけ開いた。
焦点の合わない瞳が、ぼんやりと揺れる。
「……っ……ん……」
かすれた声が、喉の奥から漏れた。
まるで熱の夢から浮かび上がるように、凪の唇がゆっくりと動く。
「……ここ……どこ……?」
「病院です。綾女さんが手配してくれました」
病室の静寂の中、凪の唇が微かに動いた。
「……そっか……」
微熱に浮かされたような声。そのあと、間を置いて――
「……ねぇ」
斎はすぐに応じる。
「……はい」
次に紡がれた言葉は、思いがけないものだった。
「……あの、黒いのは……あんた?」
斎は、わずかに目を見張る。
――まさか。
「……冥府の力は抑えていたつもりなのですが……」
そう言いかけた斎に、凪は静かに首を振る。
「……あんたの気配だけ……違うから」
その声には確信があった。
ぼんやりとした目でありながら、凪は確かに“視ていた”。
斎は、胸の奥がふと揺れるのを感じた。
(――異質な気配だけではなく、俺の本来の姿まで見えるのか。これが……器の、共鳴)
斎が黙ったまま凪を見つめていると、凪は――
意識の縁にすがるように、まぶたを閉じかけながらぽつりと呟いた。
「……つきあわせてごめんな」
そうして眠りに落ちていく凪の指先が、斎の袖をそっと掴んだままだった。




