表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/22

#22 コノ手ノヌクモリヲ知ラズニ

 病室の天井を、凪はぼんやりと見つめていた。枕元の体温計はまだ微熱を示しているが、今日退院することになっている。

 重い体も、頭痛もとっくに慣れた。


 静かに扉が開く音がして、綾女が顔をのぞかせた。


「おはよう、凪。起きられる?着替え手伝うからね」


 荷物をまとめ始めた綾女に、凪がゆっくり問いかける。


「……霊符はこっちにください」


 凪の着替えを整えていた綾女の手が止まる。


「しばらく霊災対応には出なくていいわ。本家からの出動命令もないから」

 

 綾女の言葉に、凪は背筋が寒くなった。


「……どうして?」


 ぽつりと漏らした言葉に、綾女は眉を下げる。


「もう、あそこに戻る必要はないわ。あなたはまず、傷を治して元気になることだけ考えなさい」


 凪は目を伏せた。胸の奥が、じわりと痛む。


(“器”であることを果たしていない俺には、何の価値もないのに……)


 鼓動が大きくなる。

 息が苦しい。


「……凪?どうしたの、凪!」


 呼吸が整わなくなった凪に綾女が駆け寄り背中をさする。


「……戻りました……凪さん、どうされました!」

「思ってた以上に、凪がね……」


 身をかがめて背中で呼吸をする凪に、綾女がゆっくり話しかけリズムを整えていく。


「ごめんね、驚かせてしまったわね」


 斎に渡された水のペットボトルを見つめた凪は、綾女の言葉に何も答えない。


「あなた、もう心も体も限界なの。自分でもわかってるでしょ?」

「でも、俺は”器”だから。早く扉を顕現させないと」

「焦らなくていいんです。あなたは冥府の管理下、つまり私が管理することになりました」

「……なに?また監視が始まるの?」


 凪は微動だにせず、淡々と言葉を紡ぐ。

 自分への落胆と、本家の失望にさいなまれていた。

 自分の存在価値を自分で失った。

 凪にとっても”器”でいることが、すべてだった。


「違います。私と一緒に暮らしていただきます」

「なにそれ。今度は四六時中の監視?」

「違うわ」


 綾女がいつになく、はっきりと、少し怒気を含んで凪の言葉を遮った。

 凪の顔を両手で挟むと、自分のほうへとグイっと上げる。


「私と、斎さんはあなたに生きてほしいの。本家にいたらあなたは確実に壊れてしまうわ。だから、斎さんに冥府に行ってもらって、冥府令を受け取ってきてもらったの」

「冥府令って、閻魔大王の代行書?」

「そうよ。閻魔大王からあなたの保護の勅命が下ったの」

「……なんで?」

「私が、あなたを守りたいと直訴したからです」

「……なんでそこまで」

「あなたが大切な人だからですよ、凪さん」


 斎の言葉に、綾女の眉が一瞬上がる。

(凪のことになると、ずいぶん流暢に話すのね)

 斎本人も気づいていない感情に、一足早く綾女が気付いた。

 

***


 斎は席を立ち、窓のカーテンを少しだけ開ける。秋の日差しが優しく病室に射し込む。


「……綾女さんが車を回してくれています。準備ができたら、出ましょう」


 凪は黙って頷いた。


 ベッドに座っている凪に斎が手を差し出した。


「ゆっくりで構いません。今日は風が気持ちいい日ですよ」


 病院を出ると、外の空気が肌にやさしく触れた。凪は久しぶりに感じる季節の匂いに、目を細める。


 そして車に乗り、ほどなくして、新しい生活の始まる場所へと辿り着いた。


 ――古びた木造の一軒家。瓦屋根に落ち葉が舞い、縁側には風鈴の残響だけが微かに揺れていた。 


***

 

 縁側に座る斎の隣で、凪はぼんやりと夜空を見上げていた。鈴虫の声が響く秋の夜。


 ふと、凪が口を開く。


「……俺、何もしなくていいのかな」


 斎は視線を向けるが、すぐに答えなかった。


「本家にもいない。霊災にも出ない。器としての役割も果たせてない。……じゃあ、俺って、なんなんだろう」


 その声音には、自嘲と戸惑いが混ざっていた。


「今まで“須皇家の器”としてしか、生きてこなかった。"器"だから必要とされてただけで……そんなのはわかってるけど、今、その役割を果たせない俺は価値がないんだろうな」


 その言葉に、斎は静かに口を開いた。


「私は、あなたが“器”だからここにいるのではありません。……あなたが、あなたであることが、ここにいる理由です」


 凪は、唇を噛んだ。


「……やめろよ。そんなふうにされたら、俺……どうしたらいいか分かんないんだよ……!」


 凪は顔を背け、肩を震わせる。


「ずっと、“器”としてしか生きられなかったんだよ……!感情なんか出したら、“使えない”って捨てられるの、分かってたから……!ずっと我慢してきたのに……」


 震える声が、夜の空気に溶けていく。


「優しくされると、壊れそうになる……!……俺は、”器”でいることしかできないから……!”器”じゃない俺は、生きる意味もないっ」


 言葉の最後は、涙にかき消された。


 「……凪さん」

 

 斎が震える背中に手を添えようとした瞬間、凪がそれを振り払った。


「……優しく、しないで。俺に触らないで……」


 こんなにも脆く、繊細なこの人を俺は守ることができるだろうか。


 膝を抱えて震える凪に、斎の心が揺らいだ。

 だが……


「壊れそうになったら、俺が何度でも支えます」


 凪の背中に手を添えると、びくっとはねた。


「大丈夫。ゆっくり慣れていけばいい。あなたは愛されていい」


 ぶんぶんと頭を振る凪のこぶしに力が籠る。


「あなたは”器”である前に、一人の人間なんですよ、凪さん」

「……でも、俺は」


 それは小さな、凪の声だった。

 その声を斎は逃さない。

 凪の頭をそっと、抱き寄せる。


「……俺に、凪さんを甘やかさせてください。凪さんに優しくする権利をください」

「……あんたは"器"の管理者なんだろ?俺が扉を顕現させるのを見届けるまでの守人なんだろ?」

「それは、俺の仕事です。今は、斎として凪さんにお願いをしているんです」


 凍り付いた心の奥に、温かいものがともった気がした。


「……”器”じゃなくても?」

「俺は凪さんが大切です」


 低く、穏やかな声。


「……泣いても、大丈夫です」


 その言葉に、凪はついに堪えきれず、斎にしがみつき、泣きじゃくった。


 斎は優しく抱き寄せ、凪が泣き疲れて眠るまで、静かに寄り添い続けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ