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16


 あの呪いの霧を取り込んでからずっと、頭の中がすっきりしていた。

 痛いし苦しいし、今も気分は最悪だけど、それが嫌なことだとは思えなかった。

 これって、エルフの王女様が言っていたように、力に飲まれているってことなのかな。




――――――――――――――――




 大空を羽ばたく大鷲の背中で、後ろの少女が突然立ち上がるのが分かった。

 私は咄嗟に振り返り、慌てて彼女の名を呼ぶ。


「お、おいリア!?」


「あれがスライムですか? まるで竜みたいな恰好してますけど」


 視線を前方へ戻すと、まだ五百メートルほど先の森の外で、半透明な双頭の竜が暴れ回っているのが見えた。

 その咆哮は空をも震わせ、灼熱の轟音がここまで聞こえてくる。

 相手をしているのは、恐らくエルネリア様と、その直属の部下であるエルフの魔法使い達だろう。


「ああ。奴は姿や性質を自由に変えることが出来る。ドラゴンですら、奴にとっては模倣の対象でしかない」


「成程」


 そう一言返事をすると、彼女は突然右腕を前方へ突き出した。


「リ――」


 再び少女の名を叫ぼうとして、その光景に私は息が止まった。


 あの時、隻眼のグモールを粉砕した、彼女が有していた黒い鉄の塊。

 右手に見えていたそれが、気付いた時には角張った細長い棒に変わっていたのだ。

 二メートルはあろうそれは彼女の肘から先を覆っており、まるで一体化するかの如く固定されていた。


「なんだそれは、リア……?」


「俺にも分かりません。でも、何となくわかるような気もします」


 そんな訳の分からない答えを返しながら、彼女は無表情だった。


 そして、音が二つ連続する。

 一つは魔力が収束する音。もう一つは、強烈な爆発音。

 衝撃はその棒状の物体の、先端から発せられていた。




――――――――――――――――




 それは、あまりにも唐突でした。


 斬っても斬っても倒せない。

 壊しても壊しても破壊できない。

 疲労すら見せない双頭の竜を相手にしながら、エルフも人間もおよそ七割が消え、私たちは消耗する一方。


 そんな中、奴が私の方へ首を向け、口元から炎を漏らし始めた時のことです。

 白く輝く何かが頭部に着弾したかと思うと、突如として飛沫を散らしながら破裂してしまいました。

 首を一本失った竜は再び再生を図ろうとしますが、同様に光が着弾し、続いて翼や尻尾までもが弾け飛びます。


 流れ星でも降って来たのかと私が空を見上げると、そこにはワイバーンと見紛うほど巨大な鷲の姿がありました。

 直後、誰かがそこから飛び降りるのが分かりました。

 小柄な、恐らく私と同じくらいの年の少女でしょう。


 彼女は右腕から伸びた黒い鉄骨のような、棒状の何かを真っ直ぐ竜へ向けて伸ばします。

 そしてすぐに、衝撃が森を揺らしました。

 白い砲弾が瞬きすら許さない速度で飛翔し、竜の胸部を貫いたのです。


 液状生物は木端微塵に吹き飛ぶと、その半分が灰になって崩れ落ちました。

 残りは再びうねうねと蠢きながら一か所に集まり、今度は竜の頭だけを形作ります。


 勢いをそのままに、こちらへ向かって空を滑る小さな影。

 それを迎え撃つように、巨大な竜の首はその大口を目一杯に開きました。

 口内からオレンジ色の炎弾が三度、四度放たれますが、少女には掠りもしません。


 直後、空から飛来した影は液状生物の口の中へ飛び込むように姿を消してしまいました。

 半透明な竜の頭は静かに口を閉じると、じっと静止したまま動かなくなります。


 一体、何が起こっているのでしょう。

 エルフも人間も殆どいなくなった所に突如現れた、謎の援軍。

 見たこともない武器を使い、見たこともない生物を一方的に攻撃したかと思うと、今度はその中へ消えてしまった。


 あの生物に触れた者は、どんな生き物でも命を奪われる。

 それは人間であってもエルフであっても、亜族でも同様です。

 そこから考えて、もうあの少女はそこにいないと考えるのが自然。

 そして、動きを止めた今が、何をするにしても絶好のチャンスであることは明白でしょう。

 だとしても、驚愕のあまり誰も動くことは出来ませんでしたし、私の足も疲労で殆ど棒になっていましたが。

 

 次の瞬間、液状生物の身体が、牙が、鼻が、顎が、その全てが灰となって崩れ始めました。

 さらさらと音を立てて、風に吹かれたそれは森の上空を渦巻きながら昇っていきます。


 残っていたのは、先程の少女だけでした。

 そして、ゆっくりと立ち上がってようやく見えたその顔は、私も知っている、冒険者の少女のものでした。




――――――――――――――――





 残った冒険者の数は七。

 神聖教会はキャンプで待機していた連中を含めて二十。

 騎士団に関しては片手で数えられる程度にしか生き残りがいないらしい。


 エルフは、砦に突入した者達はほぼ全滅。

 数少ない王女様の部下である魔法使いの一団も、残ったのは王女様自身と五名のみ。


 死者の数は三桁以上。

 生き残りも皆怪我人ばかりで、ギリギリ生きているという者が半分以上にも昇る。

 一刻も早く怪我人を町へ連れ帰る為に、俺達はエルフと別れ、馬車に乗って帰路についた。


 寂しいもんだ。

 行きは百人以上の大所帯だったのに、帰りは学校の一クラス以下の人数になってしまった。

 それも、馬車の中は治癒の魔法でなんとか命を取り留めているような重傷者が殆どで、賑やかさの欠片もない。


 馬車に乗り込んでから、俺はまだ誰とも会話をしていなかった。

 当然質問攻めにもあったが、今はまだ話せないといって断っておいた。


 理由は単純で、まだ頭の中にある物の整理がついていないからだ。

 闇の霧はただの呪いの塊だった。そこに意思はなく、ただ存在するだけの物質に等しい。


 だが、スライムは違う。奴は生きていた。

 呪われた肉体に生まれる感情というのは碌な物ではなく、単純であるが故に質が悪い。

 そして、今もそれは俺の中で蠢いている。

 殺したいとか、苦しいとか、憎いとか、そんな言葉ばかりが頭の中で渦巻く。


「リア」


 ふと、声をかけられた。

 気付けばもう日は落ちていて、俺は昏い馬車の奥に一人で腰かけていた。

 顔をあげると、そこには心配そうな顔をしたノルンがいた。


 両腕とも指先まで浅く包帯を巻かれており、その痛々しさが伝わってくる。

 長時間竜の炎を受けたことによって火傷を負ってしまったらしい。

 といっても、痕になる程ではないらしく、本人は気にせず他の怪我人の面倒を見るといって忙しない。


「夕飯の用意が出来た。皆の所へ行こう」


「ああ、わかった。わざわざ呼びにきてくれて、ありがとう」


「礼を言われるほどの事じゃないさ」


 馬車から降りると、冷たい夜風が頬を撫でた。

 くるりと確認するように振り返ったノルンが、ハッと目を見開く。


「リア、お前目が……!」


「え? どうかした?」


 いきなり慌て始めるノルンに、俺は首を傾げてしまう。

 彼女は暫く自分のポケットや懐を漁ると、鏡を一枚取り出し、俺の方へ向けた。


 そこに映っているのは、やっぱりどこから見ても女の子な訳で。

 しかし、以前と明らかに異なる箇所が、一つだけあった。


「すごい、片方だけ瞳の色が変わってる」


「何を呑気に言っている!? 早く教会の連中に診てもらおう!」


「いいよ。あの人たちも今、忙しいだろうしさ」


 そう言って笑って見せると、ノルンは何か言いかけて、引っ込むように口を閉じた。

 少しの間、沈黙の時間が続く。


「リア。お前はあの夜から、ずっとエルフと行動を共にしていたのか?」


 俺は無言のまま頷く。


「……なら、あのスライムという生物のことも知っていたんだな」


「ああ、そうだな」


 じっと二つの瞳が俺を見つめる。

 彼女の明るい茜色の髪の毛は、夜の下でも尚明るかった。


「…………そうか」


 彼女はそれだけ言うと、他に何を口にすることもなく両目を伏せた。


「それだけ?」


「これ以上何か知ったところで、意味はない。お前が何を隠していようと、私がお前のお蔭で今も生きていられることに変わりはないからな」


 言いながら微笑むノルン。

 彼女はそれだけ言い残して、天幕の並ぶ広場へと向かっていった。


 俺は夜空を眺めながら、別れ際にエルフの王女様が言っていた言葉を思い出す。


『今回の戦いを、私は長である母に伝えなければなりません。同様に、生き残った神聖教会の方々も、自らの主に報告する筈です。あなたにはこれから、過酷な未来が待っているかもしれません』


 そう言って、彼女は深々と頭を下げながら続けた。


『その道にあなたを引き込んでしまったことを、そして、あなたに頼らなければならない私たちを、どうか許してください、リア』



 綺麗に弧を描く三日月が、森を青白く照らしている。


 その周囲を小さな星々が取り囲み、星空の海が地平線の彼方まで広がっていた。

 



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