15
森の中にいるような、優しい木々の香りがする。
目を開くと、そこには焦げ茶色の広い背中があった。
「目が覚めたか?」
「ガルド……」
どうやら今、俺は彼に背負われているらしい。
場所は既に最地下を抜け、蜘蛛の巣のように宙を渡る砦の通路を走っていた。
「何がどうなって……あの大きな球体は……」
「中にいたスライムは姿を消し、代わりに外まで繋がる巨大な穴が天井に空いていた。恐らく、外に出たのだろう」
辺りには、既に亜族の姿はなかった。
一体どこへ消えてしまったのか、静まり返った大井戸はガルドの足音を控えめに反響させる。
「これからどちらへ?」
「奴を放っておく訳にはいかない。この状況を想定して、エルネリア様も外で待機しておられる」
「エルネリア……というのは、昨晩の王女様のことですか?」
「ああ。スライムに通用するのは、我々エルフや、神聖教会が扱う高度な浄化魔法のみ」
しかし、と彼はそこで段差を飛び越えながら区切りをつける。
「あの、降りましょうか?」
「いや、私の方が身軽だからな。このままの方が多分早く地上へ出られる」
そう答えてから、ガルドが言葉を続ける。
「それでも出来るのは足止めだけだ。だから、私は何としても君を送り届けなければならない」
「……成程」
そんな会話を交わしている内に、いつの間にか外へ繋がる門をくぐっていた。
砦と町とを隔てる深い堀。そこに架かる跳ね橋を渡ると、周囲の景色が一気に賑やかになっていく。
そして、それは建造物が連なることだけが原因ではなかった。
「これは……」
石畳の上を立ち止まり、ガルドが狼狽えるように息を飲む。
まるで中身だけ抜き取られたように転がる、鎧や衣服、武器の群れ。
その中にはガルドが纏っているものと同じ色や形をしたエルフの衣に、弓や短剣も見当たる。
「これが、スライムの殺し方ですか」
「……クソッ!」
そう吐き捨てながら、ガルドは大きく空に向かって口笛を吹いた。
鋭い甲高い音が響き渡り、そして、それは現れた。
彼の口笛と殆ど同じ鳴き声が、山彦のように帰って来る。
太陽の光を巨大な影が覆い隠し、大翼を広げたその姿は、十メートルを優に超えていた。
ヘリコプターのプロペラほどあるその翼翻し、大鷲はオークの砦に降り立った。
雄々しい鋭利な双眸が俺とガルドを捉える。
キャンプからここへ来るまでも送って貰っているので、彼を見るのはこれで二度目だ。
「急ぐぞ!」
――――――――――――――――
まばらに木々の生えた森の中を、私は一人駆け抜ける。
十数メートル先には不気味に蠢く液塊の姿があり、今も森の中を押し寄せる波のように進んでいた。
奴が通った跡は、正しく死そのものだ。
植物は枯れ、虫たちは息絶え、鳥は地に落ちる。
一斉に葉を落とし崩れ去る木々の間を抜けながら、私はその様子を後方から睨む。
私がこうして生きていることから、恐らく魔法で奴を遮断することは可能な筈だ。
しかし、ここはまだ森の中。こんな所で暴れさせてしまっては、森への被害が広がってしまう。
もしあれの動きを止めるのなら、せめて森と町の間にある草原が望ましい。
加えて、奴は恐らくあの時、地下から姿を現した。
壁を張るのなら、一面や半球状では駄目だ。
あれ全てを覆うことのできる、球体を作り出さなければならない。
出来るのか、今の私に。
魔力を消耗し、戦いにより疲弊した私に、そんな力が残っているのか?
嫌だと言ってもやるしかない。どちらにせよ黙ってみているという選択肢はないのだから。
そして、ようやく森を抜けた、その時だった。
おどろおどろしい色をしたそれが、突然動きを止めた。
波が壁に阻まれたような、大きく跳ね返りながらその身を拡散する。
エルフだ。
数十にも及ぶエルフ達が、巨大な壁を形成していた。
守護の魔法に傾向している私だからこそ分かる。
純度の高い魔力によって作られたその障壁魔法は、完璧に液体の動きを阻んでいた。
だが、それだけでは駄目だった。
液体は暫くもぞもぞと動いたかと思うと、その姿をまるで竜のように変えた。
半透明なそれが咆哮をあげながら翼を広げると、エルフたちの障壁は呆気なく砕け散る。
聞いたことがあった。
竜の鳴き声には、全ての魔法を打ち消す力があると。
となると、奴が真似ているのは形だけではない。
術を打ち破られたエルフたちはそれぞれ弾かれ、散り散りになっている。
液竜の口から炎が漏れ出す。
私は咄嗟に走り出した。
灼熱の火炎が放たれる。
何もかも燃やし尽くす竜の吐息によって、辺り一帯の植物が消滅する。
やりようによっては町一つを火の海にすることすら可能なそれに、私は無謀にも正面から立ち向かった。
先を尖らせた三角錐の形をした障壁を、私は自分とエルフたちを囲うように発動させる。
ドラゴンブレスと呼ばれるそれは障壁の先端から四方へ散り、辺りの草原へと広がっていく。
「不可視の障壁魔法に、障壁の形状変化……!?」
「に、人間がこんな高度な魔法を……」
「驚いている暇があったら……手伝ったら、どうだ!」
そう私が叫んだ直後、ようやく炎が止んだ。
私より一歩先は、もうそこは辺り一面焼け野原。
更に後方には、扇状に草原とエルフだけが生き残っていた。
その場に膝をつく。両手を見下ろすと既に力が入らず、指先がぷるぷると震えていた。
雄叫びをあげる。びりびりと空気が震えた。
液竜は大口をあけると、私目掛けて地を這いながら迫りくる。
もう終わりだ。これ以上、私にできることはない。
半透明な牙が私を狙っている。瞳すらない、生物かすらもわからない竜の大口が、私を八つ裂きにしようと近づいてくる。
敵も倒せず、後ろにいる人たちも守れず、これでは騎士だった頃よりも、もっと悪い。
成長どころか、退化といってもいい。四つん這いになり、ただ死を待つだけの自分が情けない。
私は、冒険者になるべきではなかったのだろうか。
故郷に残って、女として身の丈にあった仕事をしていれば良かったのだろうか。
わからない。死に際に立っても、欠片も答えに近づけない。
ただ、頭に過るのは故郷に残してきた家族のこと。
母と、姉と、そして……。
その時だった。
小柄な影が駆け抜け、一瞬にして竜の首を落とした。
地を滑り、力なく横たわるそれを睨むのは、金髪碧眼の、神聖教会の制服を身に纏った少女だった。
「君は……」
「まだ終わっていません!」
彼女は一度剣を振るうと、私たちの方へ向かってそう叫んだ。
すると、彼女の言った通り、落とされた液竜の頭が持ち上がり、再びこちらへ飛び跳ねる。
そして、今度は緑色の壁が奴の行く手を阻んだ。
壁は私の四方を囲うと、液竜の頭部が胴体へ帰っていくのを確認して消滅した。
「まさか、あなたのような人間に助けられるとは……」
言いながら私を見下ろすのは、私より幾らか小さい、銀髪の女の子だった。
彼女は心底不服そうに目を細めると、きりっとした顔つきで液竜の方へ視線を移す。
こんな時に言うのもなんだが、リアの次くらいに可愛い。
ついでに言うと、あの金髪の子も私のタイプだ。
そんなことを考えている内に、液竜の頭が胴体と繋がる。
どうやら切断したくらいでは効果がないらしい。
すると、再び炎が頭上から降り注ぐ。
地を焦がしながら迫るそれを、今度はエルフたちが整列し、壁を張って防いで見せた。
彼らが一丸となって作り出したそれは、私のような小細工をせずとも、正面からドラゴンブレスをせき止める。
「逃げて下さい!!」
金髪の少女の声が響いた瞬間、私は炎の隙間からそれを見た。
うねりながら液竜の首元から生える、もう一つの頭を。
そのもう一つの頭が咆哮をあげるのと、私が抱えられてその場を離れるのは、ほぼ同時だった。
炎がとまり、私が先程までいた場所が真っ黒に焦げているのが見える。
「ブレスとボイスの同時使用ですか……厄介ですね」
銀髪の少女が言った。
確かに、ドラゴンブレスを防ぐのに、魔法以外の手段は今の時代存在しないと言っても良い。
つまり、魔法を封じられた今、私たちにあの灼熱を防ぐ手立てはない。
そもそも、あの液体は一体なんなのだ。
生物か否かはこの際どうだっていい。
形だけではなく、その性質すら真似られるなどと、そんな滅茶苦茶な能力がまかり通るほど現実とは。
数秒後、森の中からぞろぞろと冒険者や、神聖教会、騎士団の生き残りが現れた。
数はけして多くはない。恐らく、あの金髪の少女が率いて来たのだろう。
「あの怪物を打ち取った者には、トロルの十倍の額を与える! 一撃でも入れれば、ゴブリン一体分だ!!」
「魔法による集中砲撃を仕掛けます! 各自、敵の攻撃には注意して――」
先頭に立つ神聖教会の男性が叫び、銀髪の少女がエルフたちに指示を出したその瞬間。
数人のエルフが液竜の尾によって叩き潰された。いや、違う。
「た、助け……」
「エルネリアさ、まあ……!」
まるで全て吸い取られるかのように、取り込まれたエルフの外皮が瞬く間に萎んでいく。
尾が持ち上がると、そこに残っているのは彼らが身に纏っていた衣服だけだった。
「……っ!」
皆が息を飲む、ざわつく。慄く者もいた。逃げ出す者もいた。
しかし、この戦いは避けられないものだと、誰もが分かっていた筈だ。
こんな化け物が世に放たれた日には、人が安心して眠ることも出来なくなってしまう。
エルフにも、神聖教会にも、騎士団にも、冒険者にも大切なものがある。
それを守る為には、ここで戦う他に道はない。
男達が吠える。双頭の液竜が咆哮する。
その瞬間、エルフたちが構え、次々と魔法を放った。
雷が、炎が液竜に穴を空けるが、それもすぐに再生し、効いている様子はない。
冒険者たちはブレスによって半分が焼き払われ、それでも立ち向かっていく。
後方から魔法を放っている神聖教会の魔法使いたちが、余波に吹き飛ばされて動かなくなる。
騎士は鎧ごと炎によって蒸発し、その痕跡を残さず消滅する。
ふと、身体が宙を舞う。
ごろごろと暫く地面の上を転がった後、すぐに顔を上げると、私を抱えていたエルフの女性が液竜に取り込まれていくのが見えた。
「二つに分かれて 一方は障壁を張って、もう一方はその間から――」
銀髪の少女が必死に指示を出しながら戦っている。
それでも、どんどんエルフも人間も数が減っていくのが分かる。
悲鳴が上がることもあれば、悲鳴をあげる間もなく消える者もいる。
もうそこにいない誰かを悼んで、泣き叫びながらまた命を落とす声が聞こえる。
私は鞘から剣を抜いて、それによりかかりながら立ち上がる。
無様だ。こんな瀬戸際で、まともに立ち上がることすらままならないなんて。
自分より小さな子供が指揮を執り、大勢の男たちが命を落とすこの戦場で。
情けなくて仕方がない。
ふと、そんな風に歯を食い縛る私の足元に、大きな影が落ちた。
それは私の身体が作った物ではなく、巨大な鳥の形をしていた。
空を見上げると、そこには翼を広げた怪鳥の姿があった。




