第3話 聖女認定の儀
聖女認定の儀の朝、大神殿の鐘が高らかに鳴り響いた。
白い石で築かれた大広間には、王族や高位の貴族たちがずらりと並んでいる。正面の祭壇には、人の頭ほどもある透明な水晶が据えられていた。
聖水晶。
聖なる力を持つ者が触れれば、まばゆい光を放つという神殿の秘宝だ。
「リディア、緊張しなくていいのよ。あなたなら大丈夫」
「はい、お母様」
純白の儀式服に身を包んだリディアは、祭壇の前で振り返り、可憐に微笑んだ。
参列席から、ほう、と感嘆のため息が漏れる。
私は家族の後ろ、壁際の隅に立っていた。
(どうか、何事もなく終わりますように)
婚約者を奪われても、祈りの手柄を奪われても、リディアは私の妹だ。大勢の前で恥をかいてほしいわけではなかった。
祭壇の脇には、王太子クラウス殿下の姿があった。その隣には、灰色の髭をたくわえた壮年の男性が控えている。
この国の宰相、ベルナール閣下だ。
国王陛下が病に伏せられてから、政のほとんどはこの方が取り仕切っていると聞く。
宰相閣下の細い目が、なぜか一瞬だけ、壁際の私をとらえた気がした。
「これより、聖女認定の儀を執り行う」
白髭の大神官様が厳かに告げ、リディアが聖水晶の前へ進み出た。
両手を、そっと水晶に重ねる。
大広間が、しんと静まり返った。
一秒。二秒。
水晶は、透明なままだった。
(……え?)
参列席が、かすかにざわめき始める。リディアの肩が、こわばったのが見えた。
三秒。四秒。
光は、灯らない。
(どうして……リディアには、本当に聖なる力がないの?)
血の気が引いていく。
このままでは、リディアは大勢の前で嘘つきになってしまう。両親も、殿下も、恥をかくことになる。
気づけば、私は胸の前で両手を握りしめていた。
(お願い。どうか、光って)
いつも聖印にそうしているように、心の底から祈った。
その瞬間だった。
聖水晶の奥で、小さな光が生まれた。
それはみるみるうちに膨れ上がり、やがて大広間の天井まで届くほどの、まばゆい金色の輝きとなってあふれ出した。
「おお……!」
「なんという光だ……!」
歓声が、波のように広がっていく。
リディアは一瞬だけ目を見開き、それからすぐに、感極まったように両手を胸に当てた。
「わたくし……わたくし、本当に……!」
「聖女だ! 百年ぶりの聖女の誕生だ!」
拍手が鳴り響く。母が涙ぐみ、父が誇らしげに胸を張る。クラウス殿下も、満足げに頷いていた。
私は、そっと手をほどいた。
(……よかった)
光ったのは、きっと私の祈りだ。けれど、それでいい。リディアが恥をかかずに済んだのなら。
そう思った、次の瞬間。
ぴしり、と。
乾いた音が、歓声を切り裂いた。
聖水晶の表面に、一筋の亀裂が走っていた。
金色の光が、ゆらりと揺らめく。まるで行き場を探すように、光の粒が祭壇からこぼれ出して——
ふわりと、壁際の私のほうへ流れてきた。
(え……?)
光の粒が、私の指先にまとわりつく。慌てて手を背中に隠したけれど、もう遅かった。
何人かの視線が、私に向けられている。
「……お姉様」
祭壇の上から、リディアの震える声が降ってきた。
「どうして、そんなことをなさるの……?」
大広間が、再び静まり返った。
「わたくし、ずっと感じていたんです。儀式の間、誰かがわたくしの祈りを邪魔しているような……冷たい気配を」
リディアの空色の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
「お姉様は、わたくしが殿下の婚約者になったことを、ずっと恨んでいらしたのでしょう? だから、聖水晶を……」
「ち、違うわ! 私はそんなこと……!」
「では、その光は何なのです?」
冷ややかな声が割って入った。
宰相ベルナール閣下だった。
「聖水晶の力を、横から吸い取ったように見えましたが」
「それは……」
言葉が、続かない。
祈っていたのは私です、と言えば、リディアの光が偽物だったと認めることになる。そしてきっと、誰も信じない。
宰相閣下が、そばに控えていた衛兵に目配せをした。
「念のため、フィリア嬢の持ち物を改めさせていただこう」
私の小さな手提げ袋が取り上げられ、中身が祭壇の前に広げられる。
ハンカチ。手鏡。祈りのときにいつも持っている、母の形見ではない、ただの古い数珠。
そして——見覚えのない、黒い小瓶。
衛兵が栓を抜いた途端、鼻をつくような嫌な臭いが広がった。
「これは……呪具の香油です、閣下。聖なる力を濁らせる類の」
「そんな……私、そんなもの知りません!」
叫んだ私の声は、ざわめきにかき消された。
ふと、甘い香りがした。
視線を向けると、リディア付きの侍女が、そそくさと参列席の後ろへ下がっていくところだった。
(……あの子が、入れたの?)
けれど、それを証明する手立ては、私にはなかった。
「お待ちください」
震えるような声が上がった。
参列席から進み出たのは、ヘルガ夫人だった。
「フィリア様は、そのような方ではございません。わたくしは六年間、この方を間近で見てまいりました。誰よりも誠実で、誰よりも……」
「ヘルガ夫人」
クラウス殿下の声が、冷たく夫人を遮った。
「証拠は目の前にある。それとも、聖女を疑うと言うのか?」
夫人は唇を噛み、悔しげに口を閉ざした。
殿下は私を見下ろした。
六年間、一度もまっすぐ見てくださらなかった瞳が、今は嫌悪だけを宿して私を射抜いていた。
「フィリア・アルセン。聖女認定の儀を穢し、聖女の力を妨げようとした罪により、身柄を拘束する」
衛兵の手が、私の両腕をつかんだ。
振り返った先で、両親は目を逸らしていた。
そしてリディアは、殿下の腕に寄り添いながら、誰にも見えない角度で、小さく唇の端を上げていた。




