↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】妹に聖女の座を奪われ塔に幽閉されましたが、封印された王弟殿下が私の手を離してくれません  作者: フトダマノミコト


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
10/24

第10話 彼女の祈りの温度(アシェル視点)


 腕の中で泣き疲れたフィリアは、そのまま眠ってしまった。


 私の胸に頬を預け、子供のように身体を丸めている。目元はまだ赤く、睫毛には涙の粒が残っていた。


 起こさないように、そっと髪を撫でる。


 亜麻色の髪は、思っていたよりずっと柔らかかった。


(……軽いな)


 胸にかかる重みが、あまりにも軽い。


 三日に一度、固いパンと水だけ。それを彼女は、いつも半分以上、私に食べさせようとする。


「殿下のほうが、体力を取り戻さなければいけませんから」


 そう言って笑う顔を見るたびに、胸の奥が軋んだ。





 彼女の話を聞いている間、私はずっと、自分を抑えていた。


 八歳から十年間、たったひとりで祈り続けてきた娘。


 その祈りを奪った妹。


 それを信じた両親。


 六年も婚約していながら、彼女の何ひとつ見ようとしなかった甥。


 そして、彼女をこの塔へ送り込んだ宰相。


 彼女は、誰のことも悪く言わなかった。自分が至らなかったのだと、自分が笑えなかったからだと、静かに繰り返すだけだった。


 それが、何よりも腹立たしかった。


 彼女に、ではない。


 彼女にそう思い込ませた、すべての者たちに。


(クラウス……お前は、何を見ていた)


 封じられる前、膝の上に乗せて絵本を読んでやった甥の顔を思い出そうとする。


 けれど、もう浮かんでこなかった。


 代わりに浮かぶのは、私の手を握り、迷いなく「ここにいますから」と言った、フィリアの顔だけだった。





 もうひとつ、気にかかっていることがある。


 フィリアが王都の聖印へ祈りを捧げなくなって、ひと月以上が経つ。


 聖印は、聖女の祈りによって力を保つ。


 十年前、私が災厄の呪いをこの身に封じたあと、王都の結界はかろうじて保たれていた。それが少しずつ持ち直していったのは、おそらくフィリアの祈りのおかげだ。


 その祈りが、途絶えた。


 フィリアは毎晩、王都の方角へ祈っている。けれど、聖印に直接触れて注ぐ祈りとは、比べものにならないだろう。


 聖女を名乗る妹に、本当に力がないのなら——。


(いずれ、綻びが出る)


 それも、そう遠くないうちに。


 宰相ベルナールが、それに気づいていないはずがない。


 あの男は、十年前もそうだった。穏やかな顔で、誰よりも先に損得を計算する。私をこの塔に封じると決めたときも、解呪の道を探るより、私を王都から遠ざけることを選んだ。


 病床の兄上に代わり、政を握るために。


 ならば、なぜ今、本物の聖女であるフィリアを、私と同じこの塔へ送ったのか。


 偶然なのか。


 それとも、何かを知っているのか。


(……いや。知っていたなら、こんな迂闊な真似はしない)


 フィリアが触れれば、私の呪いは解ける。宰相にとって、それは最も避けたい事態のはずだ。


 あの男は、知らないのだ。


 この塔の最上階に、誰も近づけないと思い込んでいる。


 それならそれでいい。


 今はまだ、気づかれるわけにはいかない。





 腕の中で、フィリアが小さく身じろいだ。


「……ん」


 寝言のような、かすかな声。冷えた石の床で眠っているせいか、細い肩が小さく震えている。


 私は自分の肩にかかっていた古い外套を、片手でどうにか引き寄せた。


 十年前、この塔に連れてこられたときに着ていたものだ。すっかり色あせて、ところどころ擦り切れている。


 それを、彼女の背中にかけた。


「……殿下」


 起きたのかと思った。


 けれど、フィリアは目を閉じたまま、外套の端を握りしめて、また深い寝息を立て始めた。


「殿下の、匂いがする……」


 寝言だった。


 それが分かっていても、私はしばらく息をするのを忘れていた。


(……フィリア)


 心の在り方が、祈りの強さを左右する。


 今朝、自分でそう言った。


 彼女が笑えば、茨はよくほどける。彼女が私の名前を呼べば、黒い紋様が薄れていく。彼女が私に心を開くほど、呪いは解けていく。


 それを口にしたとき、私はひとつだけ、言わなかったことがある。


 呪いが解けていくのは、彼女の心だけの話ではない。


 私が彼女を想うほどに、茨は弱まっていくのだ。


 十年間、私の身体を蝕み続けた絶望を、彼女への想いが少しずつ塗り替えていく。そうとしか思えなかった。


 ならば、この呪いが完全に解けるころには。


(私はきっと、君なしでは生きられなくなっている)


 それが少し、恐ろしかった。


 それ以上に、待ち遠しかった。





 夜明け前のことだった。


 階段の下から、かすかな物音が聞こえた。


 規則正しく、石段を踏みしめる足音。少しずつ、こちらへ近づいてくる。


 私は目を開けた。


 腕の中のフィリアは、まだ眠っている。


 十年間、この部屋に近づく者はいなかった。番兵の老人でさえ、最上階には決して上ってこなかった。


 なのに、足音は止まらない。


 一段。また一段。


 扉の前で、ぴたりと止まった。


 私は、まだ動かない下半身を呪いながら、フィリアの身体を、自分の腕の内側へと深く抱き寄せた。


 誰であろうと。


 この娘には、指一本触れさせない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。