40・南の御殿のぬしさま登場!
やって来た南の御殿・藤寮の生徒たちに僕たちが連れて来られたのは、御殿の中庭だった。
表の客間に面した場所にも庭があるけれど、御殿の中にも庭がある。庭には小さな池があって、鮒が泳いでいるよ。
「お前らは庭へ下りろ! ぐずぐずすんな! さっさとやれ!!」
強い口調で命令されて黙って従う総次郎ではない。そう叫んだ生徒の身体をドンと突き飛ばすと、胸倉を掴み上げて言った。
「……人が大人しく付いてきてやりゃあ調子に乗りやがって……誰がてめえの指図に従うかよ」
藤寮の生徒達の顔色が変わるのがわかる。僕は同じ寮だからよく知っているけれど、総次郎にあんな調子で物を言うなんてのは謂わば自殺行為のようなものなのに。
「あのう……それで、御用というのは何ですか? 僕らとても忙しいので出来れば手短に……」
僕がそう言うと、藤寮の生徒たちから《忠長さま》と呼ばれた彼が一歩前へ出た。総次郎が手を離すと、胸倉を掴み上げられていた生徒がまるでリスやネズミがぴゃっと木の陰に隠れるように忠長の傍へ戻っていった。
「貴様ら、俺の許可もなく勝手に南の御殿で何をしてる? 何やら夜中にゴソゴソとやっていたらしいし……死んだフランシスコのことを調べて蟹寮をうろちょろしとるらしいな」
「はい。梅や蟹の寮のみんなにはお世話になりました」
忠長はとびきり偉そうにしているから、とりあえず僕はそう言葉を返した。偉そうにしている奴には恭しく接した方が楽なのだと、いつぞや義真が言っていたのを思い出したんだよ。うちの名物の付喪神たちも大体そんな感じだしさ。
「俺も許可もなく!? 勝手にそのようなことをしくさりやがって……図々しいにもほどがあるぞ!!」
「はあ……」
「そうしたことならまず、南の御殿のぬしたるこの俺に第一に話があってしかるべきだ。なのに、事もあろうに俺を飛び越えて直接梅や蟹の寮の連中に話をするとは……物を知らぬにもほどがある!」
「そうじゃそうじゃ! まず忠長さまにご挨拶があって然るべきです!」
「忠長さまは南の御殿の主なんだから」
忠長の腰巾着の二人が代わる代わる頷きながら彼に言葉を掛ける。何だか面倒なことになったのがわかって、僕は総次郎を見た。
彼はひどく鬱陶しげに忠長を睨み付けていたよ。
「何が《主》だ。学寮が決めたわけでもねえのに、てめえらは揃いも揃って勝手にそんなものを名乗って偉そうにしやがって……何でいちいちお前らにお伺いを立てて許可まで貰わなくちゃならねえんだよ」
「貴様のような信用もおけぬ外様大名から出仕しとる人間が、俺の周囲をうろちょろしておるのは気分が悪い! 挙げ句、例のフランシスコの事件のことを調べておると聞けば益々度し難い気分の悪さよ」
忠長は総次郎を指して言葉を続けた。
「そもそも! 俺はお前のことは前々から気に入らなかった。北の御殿の伊達総次郎……御殿でも好き勝手しやがって、暴力沙汰をしょっちゅう起こしておるらしいじゃねえか。東や西の御殿のぬしさま方もお前のことはさんざん噂しておる。徳川への忠義も疑わしい田舎大名が偉そうにしやがって」
「……なんだと?」
総次郎が低い声でそう尋ねると、忠長の腰巾着二人――忠頼と通春が声を上げた。
「そうじゃそうじゃ! 我ら知っとるぞ!」
「お前の親父の伊達政宗、大御所様の息子の舅殿になったのをいいことにやりたい放題やっとるんじゃ!」
「やりたい放題?」
僕が繰り返すと、忠長は
「そうよ。禁教令まで出されたというのに、伴天連へ船をやるらしいじゃあねえか。九州の領国の大名たちは皆知ってる。頭がいかれとるわ」
と言った。
「……なんだと?」
「いかれてなきゃあそんなことは出来ねえだろうよ。フランシスコの実家が起こした澳門の件もあるし、葡萄牙や西班牙王国の商人どもはじきにこの国へは立ち入れなくなるじゃろうと俺の実家の人間も噂してる。だのにお前の父親はそういう世情も顧みず、伴天連へ船をやるなんて……頭が悪すぎて笑い話にもならんわ。少なくとも、徳川に忠義を誓う大名のすることとは思えん」
「……抜かせ。船の件は大御所様の許可も貰ってる。他所の大名から何を言われる筋合いもねえ」
「義利さまも頼宣さまもお前の義理の兄貴のことを案じておるのよ。大御所様のご子息……忠輝さま。政宗の奴にいいように利用されて、伊達家が天下を狙う傀儡に祭り上げられるのではなかろうかとな」
「抜かせ! どこまで適当な作り話をすれば気が済むんだ!! 有る事無い事、話をしやがって……」
そう呟くが早いか、総次郎は忠頼と通春を押しのけると、勢いよく忠長の顔を殴りつけた。
忠長は勢い余って廊下の欄干に身体を打ち付け、廊下にしゃがみ込む形になった。
「ひ、ひええ……た、忠長さま!!」
「元茂何してる!! はよう……はよう!! あいつをやっつけるんじゃ!」
咄嗟に仲裁に入ったのは一人で静かに僕らを遠目から見守っていた鍋島元茂だよ。彼はあっという間に二人の元へ駆け寄ると、総次郎の腕を掴み上げた。
「よ、よくも殴ったな……大御所様の血を引く俺を……お前のような分際で……」
「大丈夫すか!」
「典薬殿だ……典薬殿を呼んで……」
顔を上げた忠長はまず総次郎を見、次に僕のことも睨み付けた。ぞっとするほどに恐ろしい、血走った瞳で。
「許さんぞ……許さんぞ!!! お前らみたいな北のど田舎の大名風情が、大御所様の血を引くこの俺を殴りつけるなど……」
「忠長殿、大丈夫? 僕が典薬殿を呼んでこようか」
僕がそう言って忠長の眼の前にしゃがみ込むと、彼は勢いよく僕の胸倉に掴みかかり、力任せに放り投げようとした。よろめいて僕も彼のように御殿の廊下の欄干に額をぶつける。
「あたた……」
「取り押さえろ! 二人共だ!! 元茂はそいつを……お前らはそいつを!!」
額をさすっていた僕は、背後から忠頼と通春の二人に抑えられてしまった。総次郎は元茂と呼ばれた生徒の攻撃を避けると、一瞬の隙をついて庭へ飛び降りて避難した。
「お前じゃろ……? 北の御殿へやってきたっちゅう、上杉家の一人息子ってのは」
僕は右から左から、まるで罪人のように取り押さえられていたよ。身じろぎしても「動くな!」と押さえつけられてはどうすることも出来ない。
「そうです。上杉千徳と申します。ご挨拶がまだでしたね」
僕は身体を押さえつけられたまま頭を下げた。
「忠郷の奴から出仕の話を聞いて我ら、かねがね図々しいと思っていた。徳川の家へあれほどの反逆をしておきながら、息子はここへ出仕しても我らに詫びの一言もありゃあせん!」
「詫び? それって……つまり、謝るってこと?」
「当然だ! 貴様の親父は大御所様に楯突いた諸悪の根源……それで関が原の戦になったんじゃろ! まさか知らぬとは言わさぬぞ!」
そうだ、そうだと声が上がって僕は少しだけ頭を下げたよ。
本当に面倒くさいことになっている。
「うちは別に関が原の戦には関係ないんですけど。あれは石田三成殿が兵を上げた戦だし、大御所様と戦った西軍の総大将は毛利家でしょ?」
「大御所様に喧嘩売ってボロ負けしたくせに、ようも今でも大腕を振ってお天道さまの下を歩けるもんじゃ!」
通春も僕の話なんてちっとも聞かずに「そうだそうだ」と盛んに声を上げている。忠長は廊下の上から総次郎を見下ろしながら言った。
「田舎大名が偉そうにしやがって……このまま好き勝手なことが出来ると思うなよ。伊達なんぞ少しだって徳川の家からは信用されとらん。外様大名なんぞこのままひたすら数を減らされて、ことがあればすぐに改易にされるがせいぜいよ」
「……馬鹿か? てめえは。お前の実家だって外様の大名じゃねえか」
「やかましいわい! 忠長さまのお父上は関ヶ原の戦の功労者じゃぞ!!」
「そうだそうだ。さてはお前、何も知らんのだな!? 大御所様は忠長さまのお父上の功績あればこそ、あの戦に勝てたんじゃ」
「はあ……そうなの?」
うちの家は関ヶ原の戦には不参加なので、そうした細かいことまでは知らない。総次郎のお父上も参加していないから、きっと彼も同じ気持ちでいるに違いないよ。
「そうとも。徳川の天下は黒田のおかげ……お前らみたいなど田舎の大名と一緒にすな!」
すると、忠長は僕を見下ろして言った。
「さあ――お前が上杉の跡継ぎと言うなら、今ここで土下座して詫びを入れろ。駿府の大御所さまに、本丸御殿の将軍様に、徳川の血を引く東や西のぬしさまらに……そうして南の御殿のぬしたるこの俺に! 伏して上杉の謀反の詫びを入れて、温情を乞え!」
僕は心の中でため息を付いた。面倒なことが始まるとわかって姿を消した火車の判断は正しかったと思うよ。
うちの実家が徳川に逆らったのなんて、もう十年以上も前のことだ。それについてだって、父や僕の育て親がきちんと謝罪をして一応許されてもいるーーだからこそ、米沢への減封のお沙汰が下ったわけだし。
それなのに、今更どうしてこんな仕打ちを受けなきゃなんないわけ!?
まったく、わけがわからない。理不尽、というのはきっとこういうことを指すに違いないよ。
忠長は中庭の総次郎にも言葉を掛けた。
「お前もだ! 良からぬ企てがないというなら、徳川への忠義を今ここで俺に誓え。土下座して頭を下げれば伊達の忠義を認めてやる……いちおうは、な」
刹那、笑い声が聞こえて総次郎の表情がますます歪んだ。
「……馬鹿馬鹿しい! 黒田の家の人間にそんなことを誓う意味がわからねえ」
「俺の顔をぶん殴っておきながら、斯様な理屈が通ると思うなよ!!!」
忠長が声を荒げて叫んだ。
「義利さまや頼宣さまにも即刻話をせねばならん……お前らのような生徒らが学寮の秩序を乱すのだからな!」
「僕ら秩序を乱すことなんてなんにもしてないもん。そりゃあ……寮でたまに喧嘩はしたりするけど、それは他所の御殿のみんなには迷惑なんてかけてないじゃん」
僕の脳裏に浮かんでいたのはさっき義真が言っていた言葉だ。客間で聞いた彼の忠告。
ーー世の中っちゅうのはそういうもんや、千徳坊っちゃん。
どんなにええことしてたかて、そうと世間様に思われなかったら、みいんな悪人になるもんや。
坊っちゃんも上杉の家を継ぐんやったら、そういうところは上手くやらなあかん。
ーー周り中敵に回してそれでも戦おうなんて……お義父はんみたいなことにでもなったら、自分がしんどいだけやで
「それじゃあ……これからは南の御殿で何かある時は忠長殿にまずご挨拶するように致しますので……今日のところはこれでご勘弁ください」
僕はそう言って深く頭を下げた。色々考えて僕が出した最善の言葉だった。
けれど、忠長は満足しなかった。
「足らぬ!!!」
僕は頭に衝撃を受けて何とか堪えた。感触でわかる……これは、彼が足で自分の頭を踏み付けているのだってことが。
「足らぬ足らぬ足らぬううう!!!! もっと額を床に付けえええい!! おまけになんじゃその謝罪は! そんなことでお前やお前の親父の罪が許されると思うてか!!!」
僕の耳には右からも左からもクスクスと笑いをこらえる声が入ってきたよ。僕を抑えつける忠頼と通春らの声だった。
「上杉みたいな斜陽の大名ふぜいが調子に乗りやがって……フランシスコは自害なんぞしとらんかったらしいじゃあねえか! 死んだのは俺達のせいじゃあない! 俺達のせいじゃあなかったんじゃ! それをあれやこれやほじくり返しやがるのは一体どういう了見だ……あああ!?」
「貴様も土下座せいや!」
「そうじゃそうじゃ! そら、上杉の御曹司みたく、庭の土へ額をくっつけて忠長さまへ土下座しろ!!」
僕には総次郎の姿は全く見えなかったけれど、容易に想像は出来る。
今、彼はどんなにか藤の寮の生徒たちを睨み付けているに違いないよ。そうして強く握りしめた拳を振り上げるのを既のところで堪えている。
すると、不意に辺りに聞き慣れた笑い声が響いた。
嫌味ったらしい、いつもの高笑いーー
「なかなかにしていい眺めだわ。結構なことね」
僕は周囲を見なくても気配でなんとなくわかる。こんな風に大勢人がいる時はなおさらね。
南の御殿の人間はまずい奴が現れたと困惑しているようだった。
「あんたのお父上さまもそうやって早々にお祖父様に頭を下げていたら、今ほどの貧乏にならずとも済んだかもしれないのよ、千徳? ひとつ利口になったじゃない?」
その声は忠郷のものだった。 自分を抑えていた力が弱くなった事に気付いて、咄嗟に僕は身体を力いっぱい動かした。
「ご、ごきげんよう……下野守さま」
「ごきげんよう……」
何とか自由を手に入れた僕の目に飛び込んできたのは、いつもの調子で優雅に扇子を仰ぐ忠郷に藤の寮の三名が頭を下げている光景だった。
忠郷は何も返事をせずに、廊下から中庭を見下ろしたよ。
「なあんだ……あんたはいつものまま?」
つまらない、とばかりにそう呟くと忠郷は扇子をひらひらさせながら忠長に歩み寄った。
「まったく……どこで油を売っているのかと思えば、こんなところにいたのね、うちの寮の連中。あちこち探したわ」
「北の御殿の連中は礼儀というものを知らぬ。お前の躾がなっとらんせいだ」
「ああら、そう? だからお前が代わりにこんなことをしたというわけ……」
そう呟くや、忠郷は閉じた扇子で勢いよく忠長の顔をひっぱたいた。藤の寮の生徒たちが息を呑む声が聞こえたよ。
「礼儀を知らぬのは一体どちらだ、忠長! 一体誰の許可を得てあたしの御殿の生徒らに斯様な仕打ちをしているというの!?」
「お前の躾がなっとらんからだろ。俺に許可もなく南の御殿でおかしなことをしとったぞ!」
「あら、それはあたしが許可を出してやっているのよ。当然でしょ。あたしが命じてそいつらにさせていることにお前がいちゃもんを付ける理由って一体何なのかしら?」
忠郷は忠長の胸倉を掴むと、思い切り引き寄せて言った。
「……あんたまさか、このあたしがいちいちあんたに断りもしないと義弟の困り事に助力も出来ないとでも言うわけ? 大御所様の孫であるこのあたしが、黒田なんて猿の軍師ふぜいの外様大名の小倅であるお前に、いちいち許可を貰えと言うの?」
忠郷の言葉に、忠長は何も言い返さなかった。
ただ、握った拳を震わせながら忠郷を睨み付けていたよ。
ーーどうやらこれは、とんだ助っ人がやって来たみたい!!




