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41・鍋島家の市姫、水神切り兼光の付喪神と猫又憑きの検分をすること・《壱》

 江戸城は桜田門のすぐ目の前にある上杉家の江戸屋敷ーーその向かいには鱗型の土地があり、御家の家老・直江山城守が屋敷をもらっている。


 江戸に滞在中の刀の付喪神ーー水神切り兼光はその鱗屋敷の庭先でくたびれたように言った。


「はああ……こんな素晴らしい五月晴れの良き日に、部屋へ籠もって寝ずに写本作りなんてなさるお人は、きっと長生きなんか出来やしませんよ……主上」


 ぼんやりと遠く青い空の向こうに流れる雲を眺めていた水神切り兼光の付喪神はゆっくりと背後を振り返る。

 にわかに部屋の中が騒がしい。

「手が止まっておるではないか! 急げ、早くしろ、今晩には書物を返さねばならぬぞ!」

 庭に面した屋敷の部屋には文机がずらりと並べられ、十人以上の男たちがすし詰め状態で必死に何かを書いていた。誰も彼も皆元気がなく、瞳には疲労の色が濃い。かくいう水神切り自身も彼の蔵書を庭で虫干しするという手伝いの真っ最中である。

 部屋で独りやかましく檄を飛ばしているのが水神切りの主人ーー直江兼続だ。

 かつては米沢に三十万石という大名並の碌を貰っていたという規格外の陪臣。大名家の家老風情の身の上で自分のような名刀を腰に指して歩く図々しい男。

 部屋に集められているのは彼の右筆係と小姓である。お家の当主以上の数の右筆係を抱える彼が趣味と実利とを兼ねる写本作りに彼等をつきあわせるのはもはや見慣れた光景だった。彼等は昨夜から一睡もしていない。


「手を止めて喋るな! 眠ってもいいが手は休めるな! 死んでも写本は完成させるのだ。完成させたら幾らでも好きに死ねる!」


 よほどブラックな台詞だが、どうやらそれは自分自身に向けられた叱咤らしいーー彼の顔を見れば周囲の人間たちにもそれはよくよく伝わっているようだった。瞼の下に黒い隈が深く刻まれた彼は、不眠不休も一晩二晩の話ではないと見える。そもそも独りで山のように仕事を抱えている男なのに。


「……まったく、これ以上一体どこに書物を置く場所があるんです……」

 鱗屋敷は書物の山だ。若さまが学寮に出仕する時に随分もたせたはずなのに、主人の部屋に収まりきらないそれらが廊下にまで溢れている。米沢へ帰る度に山のように減るそれが、江戸へ来る時にまた山程増えるのだからキリがない。

「そろそろ二代目さまにチクらないと、周りの人間が可哀想ですよね……ただでさえ旦那さまの右筆係の方々は仕事が多くて大変だってのに」

 水神切り兼光は抱え持っていた籠からひとつ銀杏の葉を摘み上げて書物の間に挟んで閉じた。そもそも去年の秋に銀杏の落ち葉を広い集めたのも、庭先に干してそれを乾燥させたのも自分である。

 銀杏の葉を挟むのは書物の虫除けのためだそうだが、とても名刀の付喪神にさせる仕事とは思えない。こんなことが自分の日々の業務になって随分経つ。

 そうでなくたって、自分はただの付喪神ではないというのに。

 

 もっともーーそれは他でもなく、自分の持ち主・直江山城守の無茶振りに全て端を発することではあったけれども。


「……ああ、そうだ!」


 水神切り兼光はもっともらしく今まさに重要なことを思い出した風を装い、言葉を発した。振り返って主人に声を掛ける。

「二代目さまに呼ばれておったのをうっかり忘れておりました……」

 言うが早いか、水神切り兼光は兼続に腰を折って頭を下げた。刹那、ばしゃりと音がして姿が消える。


「……奴め、逃げたな」


 もっとも、直江山城守の右筆係や小姓達にとっては見慣れた光景である。加えて、書物を写す手を休めたら怒られることもあって誰もそれを見てはいなかった。

 後には庭先に大きな水たまりだけが残る。


 付喪神というのは神の末座に列する人成らざるものである。質量もなく熱量も持たない朧気な魂は月の龍脈の力を伴うことで霊力を固定し、現世に現れる。


 したがって、大多数の付喪神は日中は苦手としており姿を現すことは稀である。


 屋内であればともかく、こんな天気のよい屋外は――特に。



 屋敷の厨に不思議な人物がいると侍女から知らせを受けて、市は急いでそこへ向かった。廊下を進んで行くと強い気配がして確信を得る。


「やあーーどうも、またお会いしましたね」


 厨の勝手口に置かれた大きな水瓶の前に、不健康そうな人物が立っていた。上杉家の刀の付喪神ーー水神切り兼光である。

「……お前は他の刀たちのように美しいおなごの姿はせぬのか?」

「ああ、そりゃあね……昔は僕だって綺麗な姿をしていましたよ。御方は公家のおなごがお好みだから、古のおなごの歌人の姿を真似たりしてね」

 市が「そうなのか」と尋ねると、兼光は得意になって喋り続けた。

「あそこんちの親子は好みまで似ているんですよ。二代目さまも公家のおなごがお好みみたいでねえ……本当の親子でもないのにそういうのって似るんですねえ。不思議でしょ? お二人とも超が付くほど面食いですよ。いやんなっちゃう」

 市は、付喪神というのは存外お喋りなのだーーと、千徳が幽世で話していたのを思い出した。

「……では何故今はそのような姿を?」

 すると水神切りは途端に肩を落として項垂れた。水瓶に手を置くと、片方の掌をくるくるとかき混ぜるような仕草をする。

「……今の自分の主人がね……美しいおなごの姿をした自分を見て開口一番《鬱陶しい》って言ったんですよ。人でもないのに人の姿をしているのはそもそもおかしいとまで言ったんですあの人。僕らは自らの持ち主である方に恩や情があるのでこういう姿をしているんですって説明をしたらうちの主人、《じゃあ自分の傍ではなるべく地味で目立たない姿をするように》ーーだって。僕が派手な姿をしていると、視界にいるだけで目障りで疲れて仕事がはかどらないそうですよ。そんなのってあります? ご自分はあんなに目立つ風貌をしているくせによく言うよ。それに、男だったなら美人なおなごが始終視界の端にいたほうが目の保養になるじゃあありませんか? まったく……主上は変わり者なんだからさあ……」


 刹那、水瓶の中からにゅくにゅくと伸びて来たのは水の渦だ。水神切り兼光が掌をくるくると動かすと餅のように伸び上がった水が更に高く伸び上がる。


「……今日は一体何の用だ」

「なあに、物見ですよ。いつもの仕事です。全く……嫌になりますよね。他の連中より色々なことが出来ると、その分面倒な仕事まで押し付けられるのが人の世の常というもので」

 掌を動かすのを止めると、ばしゃりと水が瓶の中へ落ちる。水神切り兼光は市を見つめて笑った。

「それでも、あなたにだけはきちんとご挨拶をしておいたほうが良かろうと思ってね……いつもなら当然こんなことはしないんですよ。貴方にだけは特別です」


 彼が漂わせる気配は幽世にいた付喪神達とは違うーー市にはわかる。


 彼が漂わせるそれは、彼等の気配よりももっと強く濃いものだ。市のようにこうした気配がわかる霊力を持ち合わせる人間にすれば、関わり合いになることを躊躇うくらいの。


 水神切り兼光が勝手知ったる我が家のように廊下を進んで行くものだから、市は後を付いて行くことにした。自然、彼の物見に付き合う格好となる。

「僕はね、とある水の龍脈の主に傷を付けて呪われたのです。僕の持ち主が僕で水神さまを斬り伏せてしまったからですね。まったく、無茶なことをするでしょう? そういう人間なんですよ。だから我が身に落ち度もなく呪いに苦しむ貴方のことは他人事とは思えんのです」

「ほう……なるほど」

「僕は水神の呪いのおかげで付喪神ながらこうして日中も出歩けますし、水を弄る芸当を体得しました。ですが、傷を付けてしまった水神が縄張りとしていた水の龍脈の源泉の管理をしなけりゃいけません。彼が復活するまでの代わりとしてね。主人にこき使われるだけでなく慣れない労働まで強いられるなんて、なんという酷い拷問……まったくひどい呪いです。おまけに《水神切り》だなんて二つ名で呼ばれるもんだから、他の水神さま方からは睨まれているし……まったく、形見が狭いですよ」


 日の本の大地を遍く巡る龍脈の力は陰と陽とに分けられ、更に陽の龍脈は大きく分けると五つあり、それが陰陽道では《五行》と呼ばれている。


 火・水・木・金・土ーーもちろん、これ以外にも数多あるが、これらは陽の龍脈の力の中では根源的なものとされ、それを守護する《ぬし》は格の高い土地神として崇められるのが常だった。


「確かに、陽の龍脈には源泉と呼ばれる力の間欠泉のようなものが、あちらこちらにあると聞くが……」


「そうですそうです。水の龍脈のぬしさまというのは、所謂《水神さま》ですね。水の龍脈というのは日の本にあちらこちらにあるんですよ。鎌倉や室町の幕府がまだ正常に機能していた頃はそうした源泉を守護代たちが文字通りそれを《守護》しておったりしたんですけれども」


 陽の龍脈には《放出》という特性があり、力が大地や大気を巡るうちに間欠泉のように弾ける場所があちらこちらに存在する。


「その源泉の傍にいる存在がぬしさまですね。土地神さまのことです。人の姿をしていることもあるし、化け物みたいな姿をしている者も多い。僕ら付喪神もそうですけれども、ここら辺には個性が出ますよ。水神さま方は大体が竜の姿をしていますね。えらく矜持の高い……嫌な連中ばかりです」


 屋敷中を歩き回った水神切りは、お喋りを止めて立ち止まった。そこは自分達が最初に出会った厨である。

「なんだ、戻ってきてしまったではないか」

「良いんですよ。念の為に屋敷の中も見てみたかっただけですので」

 市にそう言うと、水神切り兼光は厨の脇にいた二人の侍女に頭を下げて「お邪魔致しました」と声を掛けた。

 彼女たち二人は今朝仕入れて来た野菜を分けている作業中で、水神切り兼光の言葉には少しも気に留めていなかった。

 ーーというよりも、姿が見えていないのだろう。 

 厨の勝手口を開けて彼が外に出るのを見て市も後に続いた。突然現れたり消えたりするわりには普通に戸を開けたりもするのか。


 彼が向かう先には小さな小屋がある。屋敷で使う炭を管理している小屋だが、市には彼がそこを目指す意味がわかって、行く手を遮るように彼の前に飛び出した。


 刹那、音を立てて彼の姿は消えていた。地面の水たまりだけが彼がそこにいたことを示している。


 市は慌てて炭小屋に走った。力に任せて戸を開く。

 窓もない暗い小屋の中には炭が山と積まれていたが、一部分だけ何も置かれていない空間がある。そこがびっしょりと濡れていて、市は


 ーーやられた


 と思った。


 あいつは全て分かってこの屋敷にいる。自分が教えずとも気配で彼女がわかるのだ。

 

 猫又に取り憑かれた父の側室、兄の母親ーーお岩の方の居場所が。


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