24・若さま、幽世で彼女と再会を果たすのこと
普通の人間が《霊夢》をあまり見ないのだということを、僕は比較的最近になって知ったよ。
ーーというか、夢さえ見ないという人間もいるらしい。まさにうちの父はそういう体質みたいだけど。
学寮へ出仕するつい数日前、いつものように霊夢を見た僕は父上にもそれを教えてあげた。そうしたら、屋敷の外ではあまりそういうことは他言しない方がいいと言われたのだ。
他人と共有出来ない事柄は、むやみに喋らず自分の中だけに留めておいたほうがいいーーそういうことらしい。
そこで僕は始めて自分以外の人間はあまり霊夢を見ないのだと知ったのだ。
「ええー? 父上は夢も見ないの? じゃあ、寝ている間は一体何をしてるの?」
すると父は「寝ている間は眠っている」なんて言い出した。それって夢の中でも寝ているってこと?
「そうしたら父上は寝ている間も夢の中で寝ているのか……そうしたら、夢の中の父上の夢でも父上は寝ているかもしれないよね。そうしたら父上は寝ている間も夢の中では寝ていて、夢の中の夢の中の父上も夢の中で寝ていて、そうしたらその夢の中の父上も……」
なんだかそんなことを考えていたら、僕は頭の中がこんがらがってしまったよ。
確かに、僕の周囲にも霊夢を見たことがないという人はいたけれどーー例えば僕の小姓の隼人とか源助なんかも見たことがないと言っていたっけーーでも、まさか大半の人間がそうとは思わなかった。
もちろん、僕だっていつも毎晩霊夢を見るわけじゃあない。時々だ。
例えばそれはこんな風に、月が綺麗な夜が多い。
「今日は満月の晩だから絶対呼ばれると思ったんだ!」
僕はいつものように幽世の付喪神たちが集まるお城へ呼ばれていた。いつものように一文字の長巻の付喪神が二人現れて僕を案内する。
寝ている間に呼ばれるわけだから当然寝間着姿なわけだけど、僕はいつも付喪神達にきちんと着替えさせられる。連中は自分達はぎゃあぎゃあやかましいくせ僕には行儀だ作法だ礼儀だなんてことを煩くいうんだよ。
「今日は特別だよ、若さま」
「特別って? 満月のこと?」
渡り廊下から夜空を見上げる。大きな銀色の月が真っ白なお城の庭を照らしているよ。ここはいつでも夜空に月が昇った雪景色だ。黄昏時から夜明けまでを永遠に繰り返している常闇の世界。
上杉の付喪神達が大好きな風景ーー越後の山城・春日山城の冬の景色に似せているらしい。
「そうよ、特別。お客人を呼んでいるの」
僕の案内役の片山一文字の長巻はよく似た物がうちに二振りあるらしく、付喪神の彼らもまるで双子のように瓜二つだよ。おまけに着ている赤い装束まで同じなのだから、ますますどちらがどちらか僕にはさっぱりわからない。持ち主の父にはなんとなく違いがわかるらしいけど。
僕が二人に案内されたのは、いつも通される大きな広間ではなかったよ。
幽世へ呼ばれると大体そこにうちの父のお気に入りの刀どもが二十や三十振は雁首揃えて集まっている。そうして、ああだこうだと僕にダメ出ししてきたり、付喪神同士で喧嘩を始めたりするのがいつもの僕の霊夢なのにさ。
「ここ?」
「そうです。兄さまのお部屋です」
彼ら片山一文字が《兄》と呼ぶ刀は一振りしかいない。
数百振りに及ぶという膨大な数の謙信公の刀の管理を父から丸投げされている、うちの刀の大名物筆頭ーー
草間一文字。
僕は膝を付いて襖の向こう側へ声を掛けた。
「いつもより遅いんじゃない? 待ちくたびれたよ」
そう僕に声を掛けて来たのは、僕よし少し年上の姿をした付喪神だった。退屈そうに畳の上に寝そべってばたばたと足を投げ出している。
「ごめんね、景光。今日はちょっと色々あって寝るのが遅くなっちゃったよ」
「こんなのと二人っきりでここでお前を待たされて少しも可哀想とは思わないんだから、草間のやつも大概人が悪いよ」
長船の短刀の付喪神がちらりと視線を投げる先に座っているのは戦支度を済ませた大男の付喪神だ。年季の入った大鎧を身に着けて、顔には大きな傷がある。
「景光殿。ご城代は人ではございませぬ」
「はあ~……聞いた? 玉丸。一文字の刀ってのはね、万事こんなことしか言えないんだよ。まったく面白みも糞もない刀さ。切れ味も今ひとつだし」
「もう……仲良くしてよ。お前が助宗をそんな風に言うと他の長船のみんなもまた一文字と喧嘩しちゃうじゃん」
水干姿の少年は僕の言葉にもちっとも興味を示さず、
「主上はバカみたく義理堅い性格だから御方から貰った刀を棄てられないってだけで、こんな奴本当なら別にそんな大した名物でもないんだからね。あっちこっち傷だらけだし」
と続けた。
「戦にばっか出てたってだけだよ」
「左様。それこそが戦武器足る我らの本分です」
「ほうらね! 太刀ってのはそうやってすぐ腰刀を下に見るんだから。実際には僕らみたいな方が使い勝手が全然いいのに」
数百振りも刀があるととにかく大変だよ。たまにしかここへ来ない自分もそれはよく分かる。とにかく大勢付喪神がいるんだからさ!
付喪神、というのは年月を経て霊力や魂を授かった器物の神様だ。本体以外に人に似せた仮初の姿があって、僕らのように笑ったり喜んだりもする。
だから当然、怒りとか嫌いとかそういう感情もちゃあんとあって、そういう部分で気が合う者同士で派閥なんかを作って仲良くしたり対立したりもするらしい。
派閥は大体が自分の刀派ごとに纏まることが多い。人と同じで彼らも造られた人が同じだったり故郷が同じだと家族や兄弟のような繋がりを感じるんだ。
そうしてこの二人を要する刀派ーー長船と一文字がとにかく何かと仲が悪いのだ。
景光は謙信公が特に大事にしていた短刀で、父上が言うには平時はいつも腰に刺していたらしい。だから長船の連中もとにかく景光には頭が上がらず、《様》付けで呼んでいるよ。
一方の助宗は古い刀だけど謙信公が若い頃から戦で使っていたらしく、父が譲り受けてからもずうっと戦で使っていたんだって。
うちの刀達は謙信公に似てとにかく戦が好きだから、戦で活躍した刀の方がうんとえばれるものなのさ。
「それよりさ、今日はお客人が来ているんでしょ? さっき聞いたよ」
「そうだよ。おひいさまはお前が中々来ないからずうっと待っていたんだからね」
「おひいさま?」
すると片山一文字の二人が揃って襖を開けた。隣の部屋に続くそれが開くと、薄闇の中に白い寝間着姿の人影が現れる。
俯きがちにしていたから顔はわからないけど、長い髪の間から獣の耳が覗いているのが見えて、僕は思わず息を呑んだ。
「つ、付喪神じゃあ……ないよね?」
気配が違うーー僕が景光と助宗に目をやると、二人ともウンウンと頷いた。
「御曹司が使いに出されたあの獣よりご城代が事情を伺い申した。ご城代は姫君の不遇を聞き、ぜひ我ら軍神の大名物皆々で知恵を出し合うようにと仰せです」
「要するにヒマなんだよ、草間の奴。戦もないし、こいつは面白そうだってんで首を突っ込むつもりなのさ」
僕は再び寝間着姿の客人をじっと見つめた。
それは髪の長い女性だよ。
座っていても上背があるから、ぼくよりも歳が上であることは間違いない。すらりとしていても胸がふわっと膨らんでいるから、これはきっと大人の女性に違いなかった。
なのに……なんだか見知った誰かであるような気がして僕は目を反らせずにいたよ。僕は霊感があるということもあってか、人の気配というものも感じる方なのだ。
それにしたってこんな……獣の耳が生えた女の人なんて見た目だけでは誰にも心当たりなんてないけれども。
それはないだろうとは思いながらも、僕は思い当たる気配を辿って声を掛けてみた。
「もしかして……お市殿?」
声を掛けても彼女は微動だにしなかった。俯いたまま、着物を強く握りしめているのが見える。
「お前は夜の間はそうやって猫の妖力が高まるんだろ? けど、こいつは産まれた時から多少の霊力があるから、人の気配って奴にも敏いのさ。見た目が違うからって知らぬ存ぜぬ、赤の他人ですーーなんてことは無理だと思うけどね」
「ど、どういうこと……景光?」
すると、不意にか細い声がした。僕が再び視線を向けると、
「……あ、あまりそうじっと見つめないでください。自分でもこの姿が妙ちきりんであることは自覚している」
「妙ちきりんって?」
やや沈黙があって、ゆっくりと彼女は顔を上げた。薄闇の中に輝く黄金色の瞳がじっとこちらを見つめている。
「……確かに、猫又の妖気ですな。憑きもの筋というのはままあること」
「でも、憑かれているのはこいつじゃあないんだよ助宗。このおひいさまは間接的に祟られているだけだ。一体どうしてそんな回りくどいことをするんだろうね」
「やっぱり、お市殿だ! ねえ、そうでしょうふたりとも」
僕は二人の返事も待たずに立ち上がって駆け寄った。礼儀作法の点から見ればそんなことはしちゃあいけないと思うけど、今はそれどころじゃない。
僕が駆け寄ると、市は再び俯いてしまった。両手が小さく震えているのがわかって、僕はそうっとその手に自分の掌を重ねて握った。具合が悪い時とか、不安で心細い時にはこうしてもらうと嬉しいもの。
「そうだよ。草間の奴がここへ呼ぼうなんて言って聞かないんだ。あいつ、御方と同じで感覚で動いてるんだよ。だから気分がのると、言い出したら聞かないんだよ」
「いいや、ご城代はああ見えて計算高い策士です。此度のこともきちんと筋道を立てて諸々のことを考えられてのことでしょう。今宵は十五夜。世は月の光に満ち、我らの霊力も冴え渡ります」
どこまでも反りが合わない凸凹の二人だけれど、彼らはうちの名物たちの中ではまとめ役だから僕もうんと頼りにしている。人の何倍も永く生きているしさ!
「そうでしょ? そうでしょ! みんなの知恵を借りようと思ったんだ。何か名案はない? 猫又の化け物をやっつける方法!」
「せ、千徳殿……」
再びか細い声が聞こえて、僕は振り返った。注意してよく聴くと市は昼間と声の調子も少し違う気がする。少し低くて大人びた声。
「ああ、そうだお市殿。いきなりこんな所へ呼んだりしてごめんね。大丈夫? どこか苦しいの?」
市は不安そうな表情をしていたよ。大きな黄金色の瞳が揺れている。強い妖力を宿した怪しげな瞳だった。
「どうして驚かない……こんな化け物のような姿をしているのに……」
「へ!? めちゃくちゃ驚いたよ! まさかお市殿とこんなところでまた逢えるなんて思わなかったもの。ここはね、うちの家にある刀とか武具の付喪神たちが出入りしている世界なんだよ。みんな好き勝手やっているから結構大変なんだ。みんな喧嘩とかしょっちゅうするし、その度に僕が間に入って仲裁したり、逆にめちゃくちゃ怒られたりもするし……」
そこまで言って、僕はようやく我に返った。
僕はまた士気が上がり過ぎて一人突っ走っている。市と早速再会出来たことで浮かれすぎて、相手の出方や反応を注意深く伺うという、おなごとの会話の基本をすっかり忘れていた。
「よくわかりましたね……私が……このような姿をしているのに」
「ええ? ああ、うん。なんとなく! 気配でそうじゃないかなあって。気配って微妙に一人一人ずつちょっと違うし、顔や姿を隠していても気配だけはするんだよ。だから僕、隠れ鬼とかめちゃくちゃ得意! 誰がどこにいるか気配で大体わかるもんね」
この特技をもっと有益なことに活かせないものだろうか。例えば領国経営とか、藩主になった後のことに――僕は長らく考えているけれど、未だよいものは見つからない。
すると僕の言葉を聞いていた市が突然吹き出した。そうして声を上げて笑い出したよ。助宗も景光も目を丸くして驚いている。
「……そうか。隠れ鬼か」
そんなにおかしかっただろうか? でも指で目元を拭う彼女の仕草は涙が出るほどおかしい時のそれかもしれない。
「私も隠れ鬼は得意だ。猫は気配に敏感だからな」
負けたことはない
ーーそう言って笑う彼女の表情は、交流会で会った時のそれと何一つ変わっていなかった。変わったと思うところがあるとすれば、この間昼間会った時よりも余計に可愛くて美人に見える点だけだよ。
よくよく思い返してみれば、あの日彼女は《昼間は大丈夫》と言っていた。
夜になるとーーつまりこういうことなのだ。
「はあ……なるほどね」
僕は市との再会に夢中で付喪神たちの小さな話し声にまでは気が回らなかったよ。景光は無言で起き上がり、助宗の傍へ近寄ると、
「水神切りの話じゃあ、昼間はもう少し若かったと聞いたけど」
と囁いた。
「猫又は夜になると妖力を増します……殊に月が出ている夜は。それゆえ今宵は急速に成長が加速したものと思われます」
「女ってのは身体を巡る陰の龍脈の気が多い……退廃の特性があるから、多少はああいうまじないで成長の促進や減退とを繰り返しても大丈夫とは思うけど……そんなことを永く繰り返せば命に関わるよ」
「左様。急ぎ手を打たねば」
助宗も景光も市を見つめた。
「しかし、美人なおひいさまじゃないか? 女の好みってのも親に似るもんだねえ。あいつのご母堂さまも存外美人だった」
「……別に似てはおらぬでしょう。彼女は武家の出です。御方や主上は公家の女がお好みでした」
「まあまあ……いいじゃねえか。似ていても、いなくても」
外廊下の方から声がして、僕も振り返った。片山一文字が連れてきたのは線の細い、男の姿をした付喪神だ。
「ーー草間!」
僕は急いで元いた自分の席へ戻り、上座へ座った付喪神に頭を下げた。景光も、助宗も頭を下げてしばし固まる。
「やあやあ、若さま。どうだよ、面白いことになってるじゃねえか。化け物から聞いたぜ!」
男は顔を綻ばせてそう言うと、どっかりと腰を下ろした。
草間一文字――数百振りという謙信公の愛刀をそっくりそのまま引き継いだ刀好きの父が、全て検分して付けた序列の一番上。
上秘蔵の筆頭。絶対の秘蔵を厳命したという二十振りの頂点。
草間一文字は市に目をやると
「無事のお着き何よりです。突然このような所へお呼び立てして申し訳ありませんでした。どうぞ気を楽になさってください」
と言って微笑んだ。
市は驚いていたけれど、すぐに頭を下げたよ。草間は雰囲気が軽くて穏やかだし、顔も柔和だから緊張が解けたのかもしれない。
「そっかあ。父上が米沢から持ってきてた刀って、お前だったんだっけ」
「そうだよ。こんな面白い話を真っ先に耳に入れた俺はさすがツイてるだろ?」
なあーーと草間が声を掛けると、しかし景光は
「それにしたって、今日の今日で彼女までここへ呼ぶ必要があったわけ?」
と怪訝そうに尋ねた。
「何言ってんだ、景光さま。若さまと親しくしてるおひいさまってんなら俺だって面を拝みたい。お前たち二人だって、秘蔵の奴らだって、他の奴らだってみんなそうだろ? わかってるぜ、俺は。なあ、助宗。こいつは重要なことだ。何せ若さまは俺達の将来の持ち主になるんだから」
けれど助宗も渋い顔をして首を振り、
「……少々気が早いかと思います。御曹司はまだ彼女とは一度顔を合わせて話をしただけと伺いました」
と言って釘を指した。
「はああ……お前らはそうやっていつもちんたらモタついてるから人の世の時の速さってもんに付いていけねえんだろうが」
がっくりと肘置きに項垂れて草間。しかしすぐに起き上がった。
「人間なんてのはなあ、あっという間に死んじまうんだぜ? ピンと来た女には今! この時! この瞬間にでも唾を付けとかなきゃあ手遅れになる。わかるだろ、御曹司!」
突然話を振られて僕は反射的に背筋を伸ばした。けれどもなんと言っていいものやら……答えがぜんっぜん浮かばない。
「? ? ? 一体何の話?」
「女の力になりたいと思うってのはな、つまりそういうことさ」
( わ、わからない……何のことやらさっぱり…… )
わからないことは「わからない」ときっぱり言った方がいいとは思うけど、僕はこの時咄嗟にそれは止めておこうと思ったんだよ。
だって、きっと……なんだか面倒なことになりそうだもん。
草間は一度話が脱線すると永くなることを、僕や景光、助宗もようく知っている。




