25・幽世の付喪神たち、猫又の話をすること
なんとか草間の話を脱線させずに済んだ僕らは、そのまま彼に話を進めてもらうことにしたよ。時間には限りがあるんだし、いつまでも霊夢を見ていたら僕らは寝不足になってしまう。
「某はただの刀の付喪神ーー誰が呼んだか名付けたか《草間》と呼ばれています。遠路はるばるようこそ、鍋島のおひいさま」
草間一文字は父上が一番目を掛けている上杉家の大名物だけれども、その割にはあんまり偉そうにしないのが不思議だよ。偉そうと言うなら姉妹筋にあたる姫鶴一文字や山鳥毛、それに景光なんかの方がずっとつんと澄ましているんだからさ。
「ここの城の連中は名刀が多いもんで少々気位が高かったり扱い難かったり……頭の悪い奴も中にはいますが、基本的には悪い奴らではありませんのでご安心ください。みんなうちの御曹司の後見人みたいな気でいるもんだから、あなたのような美人なおひいさまが仲良くしてくださるのは本当に嬉しいんです」
そうそう、僕もすごく嬉しい! 僕は草間の言葉に思い切り頷いた。
「差し出がましい真似とも思いましたが、今のあなたのその御姿を見るに、事態は我らが想像していた以上に深刻そうだ。猫又の化け物など大したことはないと思っていたが……」
「そうなの?」
僕は景光と助宗にも視線を向けた。二人とも頷いたのはほとんど同時だったよ。
「まあね。所詮猫又なんてのは猫が永く生きて化生に転じたものだからさ、修行なんか積んでいない人間にだってどうにでも出来る。僕らみたいな名物でばっさり斬ればそれで終いだよ。そりゃあ反撃はしてくるだろうけど」
「左様。なればこそ、おそらく姫君の呪いはそう簡単に事を運ばせぬようにするための布石かも知れませぬ」
「それって……つまり、お市殿を人質みたいにしているってこと?」
「いや……その辺が妙だとは思うんだよなあ」
草間は脇に置いた碁笥に手を入れると、じゃらじゃら碁石を漁りながらブツブツ呟いた。草間は囲碁が好きらしくて、よく古い碁盤の付喪神と対局をしているよ。
「妙って?」
草間の代わりに口を開いたのは景光だった。
「呪いってのは案外脆いものなんだよ。跳ね返された呪いは術者に返る。呪い返しとか呪い封じとかそういうまじないもあるし、破られればそれでおしまいだ。猫又に掛けられた呪いなんて猫又を倒せばそれでおしまい。綺麗さっぱりなくなると思うけど」
「いやああったあ! それなら、やっぱりその猫又を倒せばお市殿は元に戻れるんじゃないか!」
「だ、だから……千徳殿、それが出来ぬように猫又は兄の母上に取り憑いておるのです」
「あ、ああ……そうか。そうだったね」
僕は忠郷が言っていた話を思い出したーー大工に取り憑いた化け物を、大工の鉋ごとぶった切ったという長船長光の名刀。うちにも長光の名刀は沢山あるけれど、人間ごと真っ二つになんか出来るわけないじゃないか!
「ああ……そうか。どうにかして猫又をその取り憑いた人の身体から追い出さないといけないのか……」
「そうです。父も随分色々と試したそうなのですが、何もかもが効果がなかったと言っていました。今はお守りを持っているので猫又は大人しくしているようですが……」
「お守り?」
助宗が怖い顔で市に尋ねる。助宗は美女揃いのうちの付喪神の中にあって唯一鬼のような屈強な武者だものだから、初対面だとちょっと怖いかもしれないよ。おまけに顔に大きな傷があるから余計に迫力を感じるし。
「ああ。佐賀の地元にいるという高名なお坊様に頼んで造って貰ったというお守りです。猫又の妖力を弱め、暴れないように力を奪う効果があると言います。猫又に取り憑かれた兄の母が常に肌身放さず持っている」
「ほうらな……おかしいだろ……おかしな話なんだよ……」
草間は黒い碁石を摘み上げると、畳の上に一つ置いた。そうして次は白い碁石を。次は黒い碁石、その次も黒い碁石……一列に碁石を並べながら言葉を紡ぐ。
「どうして猫又はその女に取り憑いているんだ?」
「それは、だから……殺されないようにするためじゃない? お市殿の家族を襲って、当然返り討ちにされそうになって……それでその場にいた人間に取り憑いた。人質だよ! だって、僕だったらそう簡単に人間ごと化け物を切るなんて出来ないもん!」
そうだよ。それが家族だったり、好きな人であったりすれば尚更だ!
「猫又が取り憑いているのは父の側室で、兄の実の母なのだ。父もとても大事にしている……殺すなんてとても……」
「そうだよ。だから、彼女を人質に取られてみんな仕方なく……」
すると草間が景光に声を掛けた。
「お前ならどうする?」
「どうするって……猫又だろ? 憑きもの筋ってわけでもないんだし、そんなの簡単じゃないか」
簡単? 僕と市は顔を見合わせた。
「人間の中にはね、そういう化け物を飼い慣らしている連中もいるよ。狐やら貉やら、中には良くない怨霊や邪霊の類をわざと憑依させたりするようなことを生業にしているのもいる。そういう連中はそういうものを自分の中に飼い収めているんだよね。そういう術を代々生業にする……憑きもの筋なんて言うんだけど」
「左様。そういう人間であるとなれば話は厄介です。何故なら、彼等は自分達で自分達の意思で以て自分達に呪を掛けてそういう物を内へ収めている。外の我々がどうのこうの出来るものではないのです」
「どうしてそんなことをするの?」
「どうしてって……そりゃあ、食い扶持を得るためだろうね。まじないごとをするためだよ。良くない未来を言い当てたり、人を呪うとか祟るとか……他人に災いをけしかけるなんてことはいつだって需要があるから金になるんだ。厳しい修行を積んで霊力を備わるより、低級なそういうものを飼いならす方が簡単なんだよ。もちろん、こいつは自らを犠牲にする諸刃の刃だけど」
「それでは……当家の場合は……」
市が尋ねると、草間は並べた碁石の中で白いそれだけをピンと指で弾いた。
「古今東西、獣が転じて化け物になったような連中は、人に憑依したって嫌いな物をけしかければ嫌でも外へ出て来る。そこをぶっ叩くってのが化け物殺しの定石だ。なあに、簡単なことだぜ。犬神や猫又なんてのは水が嫌いだから、水をぶっかければ一発だ」
「え……み、水?」
ーーそれだけ? 僕は呆然と草間に繰り返した。
「水? 水を掛ければいいの? 行水みたいに?」
「そう。試しに一度ぶっかけてごらんよ、勢いよくね。ああ、思い切って水の中に沈めてみるのが一番だと思うけど」
「水に沈めたりしたら猫又なんか取り憑いてなくたって死んじゃうじゃん!」
「あるいは滝行などが良いかと思います。並の猫又であれば滝の傍へ連れて行かれただけでもこれから何をされるか察し、嫌がって取り憑いた女が大騒ぎするはずです」
「そうか……水、水が苦手なのか……」
「そうです、おひいさま。あなたには心当たりがお有りでしょう?」
草間が白い碁石を摘み上げて言う。草間は客人である市には言葉が丁寧で柔らかだよ。あれは外面がよいから、なんて父上が言っていた言葉を思い出す。
「あなたは雨の日には気鬱になったりしませんか? 頭が痛くなったりは? 濡れたりすることが嫌いではないですか? 水に顔をつけることは出来ますか? 身体をつけることは? 水の中を泳ぐことは? 水浴びや行水が嫌いではないですか? 海や川、水辺の近くへ行ったりなんてのは以ての外だ。あなたも猫又の呪いのせいで水が苦手であるはずです」
「あ、ああ……そうです。でも……まさか、猫の特性とは思わなかった。単に私がそういうものを嫌いで、苦手なだけだと……」
「それだよ」
景光が強い口調で言った。助宗も頷く。
「それがおかしいよねえ」
「何がおかしいの?」
「おかしいさ。ねえ?」
助宗も頷く。
「だって、おひいさまはさっき言っていただろ? その取り憑かれた女、お守りを持っているって」
「そうです。そのお守りのおかげで……」
「猫又の力を弱めたり削ぐくらい効果があるお守りを作れるなんて、その坊様は大した御方なんだと思うよ。お守りが本物であるならね。だけどさあ……そんなお守りを作れるような人間なら、化け物は嫌いなものをけしかければ逃げていくことくらいのことは知ってるはずだよ。どうしてそれを教えないんだい?」
金儲けのため? 景光の言葉は冷たく辺りに響いた。
「左様。護符やお守りを自作出来るほどの人間がこれしきのことを知らぬとは思えませぬ。教えぬとも思いませぬ。当然、化け物にも力の強い弱いはありますから一筋縄では行かぬものもおるでしょう。しかし猫又の憑き物であるというなら、何を差し置いてでもまずは滝行にでも行かせて様子を見るというのが定石と思います。それに、外へ出す方法なら他にもある。逆に好物でおびき出すとか。それさえ何もせなんだ理由というのは一体どういうことなのか……」
僕はなんだか嫌な予感がしてきて市に尋ねてみた。彼女の表情も強張っている。
「ね、ね、そういうのは試したりしてみたの? 水を掛けるとか……行水をするとか……滝行に連れて行くとか……」
「いや……特には……。陽の光を嫌って日中は暴れるからと、暗い座敷牢に閉じ込めているのです。外へ出したという話は聞かない……とにかく、暴れるからと……」
「だからさあ、そもそもそういう考え自体がもうおかしいのかもしれないよね」
「どういうことさ?」
「暴れる暴れるっていうけど、そりゃあ猫又だって好きで人間に取り憑いてるわけじゃないならそれくらいはするだろうよ。第一、そいつを本気でなんとかしようと思うなら、嫌なものでもけしかけて暴れさせて無理やり外へ出さなきゃ話にならない。暴れなくなったりしたらそれこそおしまいだよ。永遠に外に出て来なくなるんだから」
「左様。取り憑いた化け物を弱らせるというのは、つまりそういうことです。むやみに弱らせたりすれば、逆に内に閉じ籠もったまま永遠に出てこなくなる。出たくても力を失い過ぎてそれさえ叶わなくなるのです」
「じゃあ……じゃあ、お守りなんてものを持たせたりしたらかえって逆効果ということか?」
草間はじっと市を見つめて
「我々はそのお守りというものを知りません。それゆえ断言は出来かねますが……本当に猫又を力を削ぐという代物なら、怪しいとは思います」
と言った。
「猫は主人も持たず自由気ままだ。猫が転じた存在である猫又もまたそういう特性があります。好んで人に取り憑いてそのまま二年も出てこないということはまずあり得ない。そのような不自由さを良しとする化け物ではないはずなのです」
「そんな……そんなことが……まさか……」
市の顔は真っ青だったよ。強く拳を握り締めて震えている。僕は何か自分に出来ることはないだろうかと必死に頭を働かせたけれど、ちっともいい案は浮かばなかった。
「鍋島のおひいさま。我らは今日あなたの身の上を人伝に聞き、今日始めてこうして直に顔を合わせたばかりです。その上人にあらざる我らの言の葉を、あなたがどれほどにお信じになるかはお任せします。鍋島のお家のことはお家の中だけで片を付けた方がいい。色々と内々のご事情もおありでしょう……我らもそこまで立ち入ることはさすがに控えます」
市はか細い声で「お心遣い感謝致します」と言った。
「ですが、我らが申し上げることは二つ。
一つーー
一刻も早く猫又は討つべきです。何よりもそれがあなた自身の為になる。
二つーー
一度、取り憑かれたご婦人からお守りとやらを遠ざけ、水攻めにしてみるべきです。大したことは必要ありません。行水をさせるだけでも効果はある。それさえ難しいと仰るなら……」
草間は掌を翻して市の後方を指した。それは市が最初にいた、隣の座敷。
振り返ると薄暗がりの部屋の中には不健康そうな付喪神が独り座っていたよ。
おそらくはうちで一番の切れ味を誇る名刀ーー水神切り兼光の付喪神だ。
「お声さえ掛けていただけるのであれば、水神を一刀両断した当家の大名物がお力をお貸し致しましょう。なあに、そいつはね、とある北信濃の水の龍脈を治める水神様を手前勝手な理由で殺めて以来、水っぽい特性を持つに至った希少な付喪神なのですよ」
「あ、殺めてというのは心外だなあ……ご城代が言うとまるで僕が悪意を持って龍神さまぶっ殺したみたく聞こえるじゃあないですか。それに、水っぽい特性なんていうとちょっと格好が悪いというか……濡れて湿っているような印象で……」
「現にそういうことだろうよ。龍神さま脅してぶった切って洪水鎮めたんだろ。直江の旦那がしょっちゅう自慢してる」
「ちょ、ちょっとちょっと……止めてくださいよ! 他所の家にまで僕の悪い評判が広まるじゃないですか!」
水神切りは慌てて立ち上がると、市の傍へ駆け寄った。市よりもずっと青い顔をして必死に弁明する。
「こ、これには深い事情があるんです、おひいさま! 我ら付喪神、持ち主様の言うことには逆らえんのです。僕の今の持ち主がとにかくそういう……ひどい無茶振りばかりする人で、僕だってまさか水神さまなんて斬りたくもなかったのに……だけど、《名刀なら何でも斬れるんだろ》とか言うから仕方なくそういうことになって……そうなんです、とにかく我ら無茶振りでも何でも主上のご命令とあらば致し方なく……ああ、だけど斬るに至った理由というのもちゃんと色々とあれやこれや深い事情があってのことなんですよ。ご城代は手前勝手な理由だなんて言うけど、そもそもあれは横暴なあそこの水の龍脈の主がうちの領民を勝手に人柱に寄越せとか言うからであって……正義はこちらの側にあるというか……」
市は延々と喋り続ける水神切を呆然と見つめながら、「はあ」とか「そうなのか」なんて相槌を時折打つだけだった。ぽかんとしている顔もかわいい!
「兼光の奴、すっかり持ち主に似て話がクソ長くなったよ。竹俣や波泳ぎがいた頃はもっとあの刃の切れ味に劣らない、そりゃあ格好いい刀だったのにさ……」
「いや……あれは大体もとからああいう感じだったような気もするが……」
付喪神というのは器物に宿る神様だ。
自分の持ち主にはとにかく深い情愛があるのだと彼等からはよくよく話に聞いているよ。持ち主の言うことに逆らえないというのもつまりそういう理由からくるらしい。
だから自分が一番持ち主に可愛がられたいと思うんだ。自分だけが特別な一振りに。
そういうわけでーー
「……まあ、そんなことは別にどうでもいいけど」
「左様。問題なのは例の猫又だ」
自分以外の他の付喪神がどうなるかなんてことには甚だ興味がない。
自分が一番、な連中だからね!




