23・若さま二人と護衛の主務、幽世の酒宴に巻き込まれるのこと《弐》
総次郎は賑やかな酒宴の様子を見渡して忠郷に言った。
「今のこいつらの持ち主ってのは……つまり、千徳の親父だろ? 今の上杉家の当主だ」
「そうでしょうね。あんたは上杉中納言を見たことがある?」
総次郎は「いいや」と返した。噂だけなら父から聞いたことがあるが、見たことはない。まあ……およそ良い噂ではなかったけれども。
「とんでもない人間よ。あたしは会津の藩主だから当然面と向かって挨拶したこともあるけど、もんのっすごく気難しくてぜんっぜん喋りゃしない。あたしにだってガン飛ばしてくるもの。千徳みたいなちんちくりんとはぜんっぜん似てないんだから。こんなどんちゃん騒ぎをするような人間とも思えないし」
すると、おひねりを頭に乗せて寝そべる《枕》という役目を買って出た付喪神が忠郷に声を掛けた。
「会津の若殿って駿府の大御所の孫なんだろ?」
「そうよ。家康お祖父様は母の父親だわ。それがどうしたの? 言っておくけど上杉なんて家はお祖父様がお情けで許してやらなかったらとっくに潰されていたのよ」
付喪神は忠郷を見上げたままニヤニヤ笑って言った。
「大したもんだよなあ。おいらが松平の家にいた頃にはあいつなんて信玄に大負けして糞を漏らしてたんだよ? だのに、今じゃ駿府で大腕を振って天下人面してんだと思うと……なんかもうおいらおかしくって」
刹那、辺りは揺れるような笑い声に包まれた。唐柏も小長谷部も口元を隠してはいるものの腹を抱えて笑っている。
「おやめなさいよ、守家。昔の主人を辱めるなんて楽しすぎるわ」
「楽しいだろ? 楽しいならいいじゃんか!」
「駄目よ。癖になるから」
雲生がぴしゃりと守家に言った。
「あんたは……つまり、お祖父様の刀だったの!?」
「そうだよ。お前のじいさまが信玄の奴にビビって御方に献上したのがおいらってわけ」
「残念だったわね。そのままお家にいたら今頃天下人の刀だったのに」
「はあ? 冗談キツイよ。おいらはきれい好きなんだ」
再びドッと笑いが起きて忠郷はイライラと水神切りに尋ねた。彼は徳用守家の言葉に盛り上がっていない。自分と総次郎とを眺めてニコニコしている。
「……あんたはずっと上杉の刀なの?」
「おお、これは失礼を。手前は長船兼光の刀の化身です――どうぞお見知りおきくだださいまし。水神切り、などという不名誉な号を賜っております」
水神切りはそう言うと二人に腰を折って深く頭を下げた。
「なるほど。あんたたちの好きな《◎◎切り》の名物というわけね」
「どうもすいません……徳用守家のことを悪く思わないでやってくださいまし。我ら付喪神というのは持ち主こそが全てなんです。だから、自分だけが知っている主上の秘密というのはとにかく嬉しくってねえ。自分が主上の特別になれたようで、とにかく自慢したいものなんですよ」
火車がこっそりと総次郎に耳打ちする。
「お前も気をつけなよ? 付喪神ってのはどこでどうお前の秘密を見ているかもわからない。おまけにどうしようもないほどお喋りなんだからね。そのくせ悪気もないってんだからたちが悪いよ」
総次郎は強く頷いた。上杉の刀に付喪神がいるならうちの刀にだっていそうな気がする。例えばそう、自分の刀にも。
「どうしてあんたは他の奴らのように女の姿をしていないの? そういうのって自分の好きには出来ないわけ?」
「貴方様も寝間着姿はまるで女性のように思えますね。その仕草、喋り方……髪が長くてお顔立ちも整っていらっしゃる」
忠郷が身体を硬直させ、言葉を詰まらせているのが総次郎にも見て取れた。
明らかに動揺している。
「貴方方くらいの年頃の人間がおよそ自らの意思で以てそういうことをなすっているとは思えませんね。子供というのは育った環境で作られるものだ。おそらくあなたはそういう風に育てられたんじゃあないですか?」
「……どういうことだ?」
水神切りが総次郎を見て言った。
「よくある話ですよ。赤ん坊や子供というのは身体が弱くてすぐに死んでしまうんです。男児というのは特にそうだといいますね。女児よりも病を得やすい男児は幼い頃にばたばたと死んでしまう。これは男の体内には陽の龍脈の気が多いせいですね。陽の龍脈には活性を伴う力がありますから、病も悪化しやすいんです。だから――」
病を欺く為に、子供に女のフリをさせるんです。
「……女のふり?」
「そうです。病魔の目を欺く習慣ですね。そんなことで騙せるかとお笑いかも知れませんが、少なくとも生まれてよりずっと自らのことを女と思い込めば、体内の龍脈の比率は間違いなく変わりますーーこれは匂いが違うので我らのような存在には一発でわかる。大事なことは自らがそうと思い込むことなんです」
「……そうよ。仕方のないことだわ」
確かに、この付喪神の言う通りだーー総次郎は忠郷の姿を見つめる。
下ろした長い髪に白い寝間着姿の彼は初対面であれば女と間違えるかもしれない。いつもはそんなことは思いもしなかったから気が回らなかったけれども。
「蒲生の当主は代々短命……おまけに父も幼い頃は身体が弱くて、お祖父様には跡取りにはなれないと言われていたの。父も母も生まれたあたしを心配してそのように育てた……女の方が丈夫に育つからという、わけのわからない理由のためにね」
「よくある話ですね。ご両親があなたのためを思いなすったことです。ですが、あなたは今もこうしてご存命なのですから、ご両親の判断は正しかったじゃあないですか」
「こんなことがよくあるだなんて冗談じゃないわね」
忠郷は自嘲気味に笑いながら言った。
「驚くじゃない? 父が死んだら突然あたしが次の当主にと白羽の矢が立ったのよ? 女が藩主になんかなれるわけないと抵抗したわ。なんてことない話よ……あたしは女じゃあなかったの。お前は本当は男だからと言われて藩主になんかならされて、いつの間にやら嫁まで決められていたわ」
忠郷は総次郎を睨み付けると
「……父が死んで、一夜であたしは全てを失ったの。何もかも全てを取り上げられて望まぬものを押し付けられて……あんたや千徳のような人間を見るといらいらするわ」
と言った。
「そんなのはお互い様だろ。俺もお前みたいなナヨナヨした人間を見てるとぶん殴りたくなるぜ。なるほどな……納得じゃねえか。どうりで武芸の授業に一度も参加しねえわけだ」
いつもなら千徳が仲裁に入る険悪な空気感。代わりに二人の間に割って入ったのは水神切りだった。
「好敵手というのは良いものです。競い、争うことが出来るのは相手あればこそ。素晴らしいじゃあありませんか。我らの若さまにもそういう相手が出来たんですねえ」
「素晴らしい? 他人と争うことの一体どこがどう素晴らしいのよ」
水神切りは大広間を見渡して言った。
「若さまは二代目さまの唯一の和子様です。ご兄弟はおらず、年の近い親族もなく、上杉の家は自分が後を継ぐより他ない……如何に忠臣多かれとはいえ、たった独りでその重き荷を背負わねばならぬ孤独な苦しみは、我々には到底計り知れないものです」
だからこそ、と水神切りは言葉を続けた。
「同じ境遇の皆様がこうして好敵手として存在してくださることで、きっとそれは孤独な戦いではなくなります。己の敵は己自身――御方はいつだってそう仰っておいででしたよ。だけど、いつもいつも自分自身とばかり対峙していたら気が滅入ってしまうでしょ。孤独な戦いだから。でも御方にとっての信玄公のように、二代目さまにとっての三郎景虎殿のように、自分の傍に絶対に負けられぬ相手がいるというなら、存外楽しいじゃあないですか」
楽しい?
忠郷も総次郎も考えを巡らせたがよくわからない。
水神切り、と名乗った付喪神は確かに楽しげにしてはいるけれども、少なくとも総次郎も忠郷も同寮の二人を好敵手と思ったことはないし、一処に集められて甚だ迷惑としか思っていなかった。
「くそう……ぜんっぜん当たりゃしねええ!」
勝丸は何度めかの投扇の末にがっくりと項垂れた。枕役の守家が「へたくそー」と笑う。
「なんだと! お前さんがそんなもんおっぴろげてるからじゃねえか! 邪魔なんだよ! とっととしまえ!」
すでに勝丸は相当酒を呑まされていてろれつがあまり回らない。だのに未だ盃には並々と酒が注がれ続けているのである。
盃を空にしたらいけないーーそれは上杉の酒宴の鉄の掟だった。
「ねえ、唐柏? どうでもいいけどこいつ……」
勝丸の傍に寄ってきたのは雲生という付喪神だ。畳の上に崩れ落ちている彼の首筋に顔を寄せると、
「……なんだか……狐狸の匂いがしない?」
と眉を顰めた。
「いやだ、狸が化けてるのかしらあ」
「うへえ! こいつ狸だよ!」
勝丸の周囲でやいのやいのとおひねり落としを眺めていた無派閥の付喪神達が悲鳴をあげる。
「馬鹿だな、てめえらも! 狸じゃねえって俺は!」
しかし勝丸の言葉は姦しい付喪神たちの悲鳴に掻き消されてちっとも効果がない。
すると彼は腰から脇差を抜くと、ぎらりと天へ翳した。
「――そんなにたぬきたぬきと言うなら見せてやる! いつものように呼べばここへもくるかもわからんしなあ!」
そう言って立ち上がると、勝丸は酒を満たした盃を蹴飛ばした。酒がこぼれた畳の上を狙い、思い切り脇差を突き立てる。
「そうら、酒をくれてやったぞ! 出てこい糞だぬきめ!」
すると一瞬、大広間の畳の目が虫のようにざわざわ動き始めたのがわかって、忠郷は二度三度と目を瞬かせた。畳が大きく波打ち、もこもこと盛り上がった次の瞬間、まるで土竜のように畳に顔を出したのは両の瞳が天と地とばらばらに向いた狸の首だった。
「うおあ……こいつはえらくでかい狸だなあ。こんな大狸はおいらも初めて見るよお」
うんしょ、とまるで穴蔵から出てきたような素振りで現れた狸は古びた三つ巴紋の陣羽織を羽織り、背に編笠を引っ掛けている。
「かなりの年月を生きた名のある主ですね、きっと。でなければ案内もなしに幽世に出入りなんて出来ませんよ」
「見なよ、水神切り。狸のあの金玉! ちょーでかい! あんなに大きくっちゃまともに歩けやしないよ」
そう笑い飛ばした火車を尻目に、狸は悲鳴を上げて離散する付喪神達を追いかけ回し始めた。
確かに股の間のそれはかなり邪魔そうではあるものの、器用にそれを持ち上げて軽快に走り回る狸は存外身軽だ。
「こらああ! 枕役がいなくなっちまったじゃねえか! 俺はまだおひねりを諦めちゃいねえんだぞ!」
勝丸は未だおひねりを狙っている。畳の上に置かれた茶筒に自らおひねりを準備し、扇子で以てそれを狙う。しかし酔っぱらいの手はちっとも的に定まらない。
「ちきしょう……だんだん的が二重にブレてきやがった。あいつらめ、さてはおかしなまじないをかけてやがるな……俺に黄金を取られまいとしてんだ」
「単なる呑みすぎじゃないかねえ?」
さすがにそろそろ帰りたいーー総次郎と忠郷が無言で顔を見合わせる。
いつの間にか狸は勝丸の姿に化けて長船派閥の面々と呑み比べを始めてしまい、付喪神を大勢侍らせて宴の主の座に収まっていた。




