22・若さま二人と護衛の主務、幽世の酒宴に巻き込まれるのこと《壱》
大広間に居並ぶ刀の付喪神達はどうやら皆自分の敵らしい。
このーー目の前の男の付喪神一人を除いては。
嫌な予感がさっそく的中して勝丸は心中で思い切り毒づいた。
「護衛? そんなものがいるんだあー」
「ええ、そうです。唐柏さま。各寮に一人ずつ……も、いないような気はしますが、若さまの寮には大御所様のお孫さまがいらっしゃるということですから、当然の配慮だと思われますね。ええ」
ものすごく腰の低い男の付喪神が白拍子姿の付喪神に言う。唐柏、と呼ばれた彼女は乳を揺らしながら手を叩いて喜んだ。
「へええ~そうなんだあ。腕が立つ殿方って素敵。ねえ、雲生?」
「それなりに風格はあるから戦慣れしていそう」
唐柏の隣の付喪神が、まるで品定めでもするかのように扇で勝丸を指す。
「うふふ……雲生、試してみるう?」
「そりゃあね? でもあんなのしか差してないわ」
勝丸の腰の刀を指して雲生。勝丸は脇差に加え、もう一振り長い打刀を差しているのが常である。
「見た限り、大した代物じゃあないわね。数打ち物のなまくらよ」
「腕が立つなら獲物は何だって構いやしないじゃない」
「嫌よ。なまくら刀なんかと鍔を合わせたくない。あんたは鍔がそもそもないからいいかもしれないけど」
「そんなに腕の立つ護衛がついていながらどうしてうちの玉丸が危篤になるの」
姫鶴、と呼ばれた彼女がぴしゃりとそう言うと、楽しげにはしゃいでいた唐柏と雲生も再び勝丸へ刺さる視線を向ける作業に戻ってしまった。
どうやら彼女はこの付喪神たちの中ではかなりの権力者であるらしい。
「だから! 千徳の奴が危篤だなんて情報は一体どこの誰から聞いたんだね、おたくらは。あいつは全然まったくこれっぽっちも危篤なんかじゃねえし、ピンピンしてるから心配しなさんな。こいつにちっとばっかし顔ぶん殴られて青タン拵えただけなんだよ」
うっかり口を滑らせた勝丸が総次郎を指したのが悪かった。刹那、大広間中に付喪神の悲鳴や怒気を含んだ叫びが響き渡る。
「顔を!? 若さまのあの可愛い顔を殴るだなんて!」
「信じられない! 外道のすることだわ!!」
「命を落とすならまだしも、顔に傷なんか残ったらどうするのよ……可哀想に」
中にはしくしくと泣き出す者まで出る始末である。勝丸は大広間の誰にも掛ける言葉がなく、脱力感を覚えてうなだれた。付喪神どもの価値観は全くわからない。
「……傷なんかもうすっかり治っとるがね。元気があまりありすぎて喧嘩になってるんじゃねえか」
すると、最上段の上座に近い場所に座るもう片方――片一方は唐柏であるが――の付喪神が、持っていた大きな朱色の盃を放り投げた。勝丸達が大広間へ入っていた時からずうっと盃を傾けていた付喪神である。
「冗談じゃねえぞ……うちの玉丸はなあ、主上の血を引く唯一の跡取りなんだ。そいつの身に何かあってからじゃあ遅えじゃねえかよ」
いよいよ雰囲気が危ない付喪神のお出ましに、水神切り――と呼ばれた男の付喪神が早速なだめに掛かる。
「高木姐さん、落ち着いてください。大丈夫ですよ、護衛役の方がおられますから。何かあることなんてないんです」
水神切りの言葉に勝丸が頷くと、火車が総次郎と忠郷に耳打ちした。
「あのバカでかい盃傾けて酒飲んでいる奴はさ、長船長光の刀で、高木っていうんだよ。隣の日光も同じ長光だね。長船ってのは上杉の刀剣の最大派閥だから、怒らせると厄介なんだ」
「もう既に事は起きてんだぞ、水神切り! ネタは上がってんだぜ。そこにいる蒲生だ伊達だの二人がうちの御曹司をぼっこぼこのぐちゃぐちゃの袋にしたんだろうが! フルボッコってなあこのことだ!」
やっぱりそうか――総次郎も勝丸と共に深い脱力感を覚えた。
つまり、連中は自分ちの若さまが喧嘩で自分にぶん殴られたことを根に持ってここへ呼び出したらしい。
「そうだそうだ! そこへ座れ! 俺たちが御曹司と同じ目に遭わせてやる!」
高木長光の隣で頭から血煙を立ち上らせている日光長光が手に持った長い刀を突き上げると高木長光もそれに倣った。
彼女の刀は殊更すごい――着ている物もド派手な彼女だが、手にする刀の鞘から柄から全てが鈍い黄金色に輝いている。
「……こいつは相当に酒を呑んでるな……」
呆れたように勝丸。しかし続く高木長光の言葉でさすがに血の気が引いた。
「我ら備前長船で御曹司の敵討ちだ!」
刹那、大広間に集められた付喪神のあちらこちらから勝鬨の声が上がる。皆々手に獲物を携えて立ち上がろうとするものだから、水神切りが慌てて高木長光に駆け寄った。
「ちょ、ちょちょっと待ってくださいよ、姐さん。そんなことのためにこの方々をお呼びしたんですか? ご城代に知れたら怒られます」
「何言ってんだ。それ以外にこいつらをここへ招く理由なんざありゃしねえだろうに!」
「い、いやあ、だって……江戸のお城で若さまが世話になっていらっしゃるご同寮の方々の顔を見たいとか皆さんが言っていたと……ご城代は仰って……」
「そうだそうだ。御曹司をぶん殴りやがった奴の顔を拝んどかねえと」
「丸腰でいらしていただいたお客人に手を上げるなど、まるでだまし討ちのようじゃあないですか。そんな卑怯なやり方……御方に知れたら顔向けできませんよ、僕」
御方ーーその名前が出るや高木長光も日光長光も、途端に言葉を失った。
「もうおやめなさいよ、水神切り。なんだか馬鹿馬鹿しくなってきたわ」
これみよがしにため息まで付いて言葉を掛けたのは、最上段に最も近い場所に座る豪奢な姿の姫君ーー姫鶴である。
「総触れ前に招集を掛けられて一体何事かと思えば、また長船の短慮な妄動……酒飲みの暇つぶしにつきあわされる我ら一文字の苦労も少しは考えてもらいたいわ」
「何だと? お前と山鳥だって玉丸がぶん殴られたと知った時はぎゃあぎゃあわめきちらしていたじゃねえか」
高木長光が差したもう一人ーー山鳥、と呼ばれた付喪神は総次郎や忠郷ともそう歳の変わらないくらいの少女の姿をしている。彼女は姫鶴に負けず劣らず豪奢な着物を纏い、長い黒塗りの鞘に収められた刀を抱え持っていた。
「……主上が《問題ない》と仰るなら、我らそれで良しとすべきだわ」
少女に似つかわしくない暗い表情で山鳥が言った。
「そうよ。まったく……長船というのは数ばかり無駄に多い上にいちいちぎゃあぎゃあやかましいったらないわよ。おまけにすぐ酒盛りを始めるんだから」
「そんなこと言って、山鳥だって御方は《長船の刀》とか言ってたじゃねえか! 澄ました顔しやがったっててめえだってこっち側だろ、山鳥!」
「……あれは前の持ち主たちの勘違い。御方はあたしが長船でないと見抜いておられたもの」
「御方だって始終酒ばっかり呑んでたぞ!」
「御方は特別よ。決まっているでしょ。いちいち引き比べたりしないで。まったく長船というのは切れ味自慢の馬鹿ばかり!」
火車が再び忠郷と総次郎に耳打ちする。
「あの派手な着物の二人はね、一文字の刀の付喪神で……要するに、景虎のめちゃめちゃお気に入りだったんだよ。だから今の持ち主である千徳の親父にも気に入られてる。長船の連中とはとにかく仲が悪いんだ。顔を合わせればすぐこういう感じになるんだからさ」
「……はああ、なるほど。まるでどこかの誰かさんらを見ているようだぜ」
勝丸にじっと見つめられて総次郎は所在なさげに「やかましいんだよ!」と叫んだ。
すると忠郷は強く腕を引かれて後方へぐらりと揺れた。柔らかなものに当たって振り返る。総次郎も気が付いた。白拍子姿の付喪神が二人、こちらを覗き込んで笑っている。
「ねえ、若さま方? 長船や一文字なんて放っておいて遊びましょう?」
「そうよそうよ。一度ああなったら長いのよ」
白拍子の一人が長船派閥と一文字派閥の争いを指して言った。
「お前さん方はどちらの刀派でもないのかね」
「あたしは上秘蔵第五席の唐柏。これは上秘蔵の小長谷部。あたし達は派閥争いなんてそんなくたびれることは御免だわ。みんなで楽しく遊びましょ」
「そんなら、おひねり落としはどう?」
背後から突然声がして総次郎は振り返る。そこには長い髪を編み込んだ付喪神がいて総次郎の顔を覗き込んでいた。
「いいわあ、守家。そうしましょ!」
唐柏が身体を揺らして言う。胸元をくつろげすぎたそこには見たこともない光景が広がっていて総次郎は目のやり場がない。
「ええ~? 鼓遊びが良かったなー」
言うが早いか、小長谷部が守家と呼ばれた付喪神のでかい乳をぽんぽこ叩く。
とにかく大広間はあちらもこちらも見目麗しい女だらけで、おまけに中にはゆるい装いの奴もいるようであるから年若い若君らにとっては教育上非常によろしくないーーと、勝丸は密かに危機感を覚えた。
「俺たちは遊びに来たわけじゃあねえんだよ、お嬢さん方。そろそろ帰り支度でもさせてもらえるとありがたいね」
「さあ? 帰れるかどうかは草間次第ね。今は若さまらと話をしているみたいだから、お沙汰があるまではうちらと一緒に楽しくやりましょう?」
言うが早いか、唐柏が柏手を打つと、畳の上に革の袋と茶筒のようなものが現れた。唐柏が袋に手に入れて中身を見せる。
「おひねり落としはね、言葉通りおひねりを扇子で落とす遊びよ。まずはおひねりを造るのね。こうやって懐紙にーー」
勝丸は言葉を失った。
革袋から唐柏が砂のように無造作につまみ上げたそれは、黄金色に輝く礫――砂金の大粒である。唐柏はそれを懐紙に包んで勝丸の眼前に突き出した。
「あとはこの茶筒の上におひねりを置いて、それを扇子で狙うわけ! 扇子で落とした人がおひねりをもらえるのよう」
「よおおおおおーーーーし! まずは俺だ! 俺からやるぞ!」
総次郎と忠郷を脇に押しのけて勝丸。
「……帰るだなんだと言ってたのはどうしたんだ」
「これだから貧乏人って嫌だわ。金に目が眩むと何をするかわからないもの」
「それじゃあ僕が枕をやるね!」
すると守家はやおら畳の上にどすんとうつ伏せに横たわった。肘を付いて勝丸を見上げると、頭の上に茶筒を乗せる。
「さあ、上手く狙っておひねりを落としてね。枕に当てたら駄目よう」
勝丸に黄金の扇を手渡して唐柏。
「ようし! 任しとけってんだ!」
頭に茶筒とおひねりを乗せた守家は足をばたつかせながら横たわっている。唐柏ほどではないがやはりその着物の胸元は寛がれていて、勝丸は頭の上の的を狙うつもりがどうにも気持ちが削がれていけない。
「おおい! お前さんそれはあれだろ。わざとやってんだろう!」
「ええ? 何が?」
「乳をしまえ、乳を! 視界の邪魔なんだよ! ちっとも的が狙えやしねえじゃねえか!」
「なんだい、出したりしまったりなんて出来ないよ。お前らのだってそうだろ」
「うふふ……男って駄目ね。邪念が多すぎるのよ」
「修行が足りないわ」
「お酒よ! お酒がいるんじゃない?」
小長谷部が柏手を打つとすぐさま用意される手際の良さ。付喪神たちは勝丸に大きな盃を勧めると、手に柄杓を持って樽に入った酒を次から次へ盃に注ぎ続けた。
「大丈夫かなあ……あいつ。付喪神たちは景虎の奴に似て際限なく酒をのみ続けるからね。同じようにしてると起きた時にどえらい悪酔いしてると思うよ」
すると不意に大広間に声が上がって、長船の刀が銘々声のした方を向いた。声の主は総次郎や忠郷らをここまで案内した高瀬長光である。
「大事なことを言い忘れていた」
「大事なこと?」
高木長光と日光長光が振り返る。高瀬長光は忠郷を指して
「長船長光の刀を持っているそうだ」
と言った。
「ええ! そうなのかよ」
「こいつ分かってるじゃねえか!」
高瀬長光と日光長光が叫ぶと、もう一人長光らしき付喪神が後方から声を掛けた。
「どんな奴なんだ? 切れ味は?」
「どんなって言われてもあたしには刀のことなんてよくわかんないわね。付喪神も見えないし。でもとにかく名刀だわ。鉋ごと化け物に憑かれた人間を一刀両断したから、父は《鉋切》と呼んでいたわよ。そもそもは蒲生のお祖父様のものだけど」
すると長船長光の刀たちは何事か叫んで祝いの歌を歌い始めた。
「聞いたか。かなりの名物だぞ、こいつは!」
「酒だ酒! 祝杯をあげるぞ! おおい、じゃんじゃん持ってこいよ!」
途端、大広間は賑々しくなった。
影法師のように薄い人影がどこからともなく大広間へ現れて酒やお膳を運んでいる。よくよく見ればそれは具足を付けた武者姿のような薄い影だ。
高木長光と日光長光は再び大きな朱色の盃を手にしている。そこへ背後から配膳役の淡い影の付喪神たちが盃から溢れこぼれるほどに酒を注いでいるのだ。
「……一体何事なの? これは」
「長船の連中は刃の切れ味が自慢なんだよ。こんなものまで切りましたよ、って実例なんかがあると特に箔が付くらしいね。お前の刀の《鉋切》みたくさ。昔は上杉にも《鉄砲切り》とか《波泳ぎ》なんて号を貰った奴がいて、随分ぶいぶい言わせていたよ」
火車が長船長光の付喪神を数名指した。
「今の蒲生のご当主の祖父というとあれだろ? あの何とかってえらい茶匠の弟子だった奴じゃねえか? やっぱり数寄者にも長船の良さがわかるんだ」
「違いない。存外切れ者だったという話だが、さすがに刀の趣味もいい」
もはやこれは何の集まりなのだーー総次郎が呆れていると、大広間の後方の列を抜け出して付喪神が一人、自分に歩み寄ってきた。
「あ、あのう……」
声を掛けられて総次郎が身構えていると、代わりに水神切りが尋ねた。
「どうしたんです、姐さん」
「いやあ……末座の自分なんかがでしゃばるのもあれな話だけどさ、伊達の家には光忠の刀もあったんじゃあないかなあって……前に噂で聞いたのよ」
火車がぴょんと総次郎の肩に飛び移る。
「付喪神ってのはお喋りなんだよ。噂話ばっかりしてるのさ」
「蒲生のお殿様ってのは元は信長のご家来だったんでしょう? 信長って別に大した奴じゃあなかったけどさ、あたしたち長船光忠のことが好きだったらしいって話を聞いてからちょっと親近感があるのよね」
「失礼ね! 大した奴だったわよ!」
「ああ……親父が持ってるかもしれねえな。めちゃくちゃよく切れる刀と、前に自慢をしていたような……」
「それだよきっと!」
「……確か《燭台切》とか呼んでたぜ。青銅の燭台を真っ二つにしたんだ」
刹那、光忠の刀は悲鳴のような黄色い声を上げて高木長光に駆け寄った。
「ああ! もう、みんな聞いた? 素敵素敵! 素晴らしい切れ味だよう!」
「そら、お前ら乾杯だ乾杯だ! 素晴らしい同胞に祝杯を傾けようじゃねえか!」
――蒲生の名刀に
――伊達の名物に
――我らの同胞に
「……まったく、わけがわからないじゃない。突然こんな見知らぬところへ連れてこられた挙げ句、よくわからない化け物どもと引き合わされたかと思ったら、今度は突然宴が始まるのよ?」
「こいつら気分屋だからね。そもそも軽い気持ちでお前らを見てみたいとか言い出したんだよ、きっと。まあいいじゃないか。夢の中のことと思えばさ」
確かにそうだろうーーここは夢の中には違いない。
宙に灯りが揺れて、人でないものたちが大勢酒を煽り、歌を歌いはしゃいでいる。つい今しがたまで険悪な雰囲気でいた一文字の二振までもが、運ばれてきた何かを摘んで傍らの付喪神が奏でる琵琶の音色を聴いている。
大広間は庭に面していて、外は一面の銀世界だ。足跡もない新雪に大きな銀色の満月の光が輝いている。




