制御不能
午後七時十二分。
車は首都高速を走っている。
窓の外、夜の東京が流れる。
赤いテールランプが連なり、都市が脈打っているように見える。
助手席に零。
後部座席に七瀬。
車内は静かだ。
スマホの通知だけが、断続的に震える。
《株価 -12%》
《欧州議会で緊急動議》
《差別的アルゴリズムとの批判》
未編集ログは完全に拡散していた。
属性も、数値も、内部コメントまで。
“処理速度優先”の一文も。
零が低く言う。
「タイミングが出来すぎてる」
「俺もそう思う」
七瀬は窓の外を見たまま答える。
内部告発の直後。
企業との面談中。
まるで――会話を盗み聞きしていたかのような速度。
「企業側か?」
「いや」
七瀬は首を振る。
「企業は守りたい側だ」
「なら告発者?」
「そこまで計算できる人間かは分からない」
沈黙。
官邸が近づく。
重い門。
警備。
通されたのは裏口だ。
地下会議室。
以前と同じ場所。
だが空気は違う。
部屋には四人。
例の男。
内閣官房副長官。
外務省幹部。
そして経済産業省の局長。
全員、顔が固い。
「状況は?」
七瀬が座る前に聞く。
副長官が答える。
「最悪だ」
「欧州二カ国が正式に抗議準備」
「国名が出たのが致命的だ」
外務省幹部が続ける。
「差別的アルゴリズムとの見出しが走っている」
「人権問題に発展する可能性がある」
七瀬は椅子に座る。
「拡張は?」
経産省局長が低く言う。
「凍結だ」
「少なくとも表向きは」
重い沈黙。
例の男が七瀬を見る。
「君は関与していないな」
「していない」
即答。
視線は逸らさない。
男は頷く。
「信じる」
副長官が苛立つ。
「信じる信じないの問題ではない」
「世論はあなたを“火付け役”と見ている」
七瀬は淡々と返す。
「火は既にあった」
「私は見せただけだ」
副長官が机を叩く。
「理屈はいい!」
空気が震える。
「外交だぞ」
「数千億の契約だ」
「安全保障だ」
七瀬は静かに言う。
「そして、偏りだ」
沈黙。
例の男が口を開く。
「問題は二つある」
「一つ、精度の欠陥」
「二つ、流出の経路」
「後者の方が深刻だ」
七瀬も同意する。
「内部だけでは不可能な速度だ」
外務省幹部が言う。
「海外サーバー経由だ」
「拡散はボット混在」
零が初めて口を挟む。
「世論操作の可能性」
全員の視線が零に向く。
例の男が頷く。
「我々も疑っている」
「だが証拠はない」
副長官が七瀬を見つめる。
「あなたは今夜、配信するのか」
部屋が静まる。
ここが分岐点だ。
配信すれば、さらに燃える。
沈黙すれば、“逃げた”と言われる。
七瀬は数秒、目を閉じる。
浮かぶのは、白髪の開発責任者の顔。
疲れ切った目。
告発者の一文。
《それでも送ります》
七瀬は目を開ける。
「する」
副長官が眉をひそめる。
「今は沈静化が必要だ」
「違う」
七瀬ははっきり言う。
「今は“整理”が必要だ」
「黙れば、憶測だけが走る」
例の男が静かに問う。
「何を言うつもりだ」
七瀬は答える。
「三つ」
「一、流出には関与していない」
「二、精度の問題は事実」
「三、だからこそ外部監査を急げ」
副長官が言う。
「企業は耐えられない」
「耐えられなければ、もっと壊れる」
静かな対峙。
数秒。
やがて例の男が言う。
「やらせろ」
副長官が睨む。
「責任は?」
「私が取る」
短い言葉。
部屋が決まる。
七瀬は立ち上がる。
その時、経産省局長のスマホが震える。
顔色が変わる。
「……追加流出だ」
全員が凍る。
「今度は契約書」
七瀬の背中に冷たい汗が流れる。
あの会議室。
今日の資料だ。
局長が続ける。
「フェーズ2契約案、全ページ公開」
零が低く呟く。
「盗聴か」
例の男が即座に否定する。
「物理的には不可能だ」
「だが……」
言葉が途切れる。
七瀬はゆっくりと息を吸う。
これは内部告発の延長ではない。
もっと大きい。
誰かが、意図的に崩している。
国家と企業を同時に。
副長官が七瀬を見る。
「あなたを利用している」
七瀬は否定しない。
その可能性はある。
自分の問いが、誰かの武器になっている。
だが。
「だから黙るのか」
七瀬は言う。
副長官は答えない。
沈黙。
例の男が七瀬に近づく。
声を落とす。
「これは外交戦の匂いがする」
「競合国か?」
「可能性はある」
七瀬の喉が乾く。
監視システム。
国際連携。
巨額契約。
潰せば、誰かが得をする。
「君はどこまで踏み込む」
男が問う。
七瀬は一瞬迷う。
だが答える。
「最後まで」
「引き返せないぞ」
「最初からそのつもりだ」
部屋の空気が変わる。
もはや国内問題ではない。
外務省幹部が低く言う。
「海外政府から、非公式接触が来るかもしれない」
七瀬は頷く。
「受ける」
副長官が苦く笑う。
「あなたは外交官ではない」
「知ってる」
「ただの配信者だ」
だが今、この部屋で一番覚悟が決まっているのは七瀬だった。
スマホが再び震える。
差出人不明。
短いメッセージ。
《次は音声だ》
七瀬の心臓が強く打つ。
音声。
何の。
今日の会話か。
それとも――
画面が暗転する。
通知はそれ以上表示されない。
七瀬はゆっくり顔を上げる。
「まだ終わっていない」
誰に向けた言葉か分からない。
国家も、企業も、海外も。
すべてが揺れている。
制御不能。
だが――
ここで舵を放せば、本当に暴走する。
七瀬は官邸を出る。
夜風が冷たい。
遠くでサイレンが鳴っている。
都市はいつも通り動いている。
だが水面下では、巨大な歯車が軋み始めていた。
そしてポケットの中で、
もう一度、スマホが震えた。
今度は――非通知着信。
七瀬は数秒、見つめる。
取るか。
取らないか。
親指が、ゆっくりと動く。
(続く)
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