境界線の上で
1 討論の舞台
場所は都内スタジオ。
医療系ニュース番組の特番。
テーマは明確だ。
《医療機器RX9 ― 0.8秒は問題か》
出演者は四人。
・七瀬
・東和メディカル技術責任者
・大学病院心臓外科医
・医療安全学の教授
零は観覧席の後方。
トウマは配信モニターで数字を追う。
国家の男は来ていない。
だがメッセージだけ来ている。
《言葉は選べ》
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2 最初の火花
司会が口火を切る。
「七瀬さん、今回の動画は医療現場に波紋を呼びました。目的は?」
七瀬は静かに答える。
「断定ではありません」
一拍。
「仕様が“基準内”であっても、改善余地があるのではないか、という問いです」
技術責任者がすぐに被せる。
「当社の製品は国の承認を得ています。安全性試験も十分に行っています」
穏やかな声。
だが固い。
七瀬は頷く。
「その通りです」
会場が一瞬ざわつく。
否定しない。
責めない。
続ける。
「だからこそ、内部で検討されていた補正案の理由を知りたい」
教授が口を挟む。
「改善案が存在すること自体は企業として当然です。
それを“危険”と結びつけるのは飛躍では?」
正論。
七瀬は一瞬目を閉じる。
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3 専門性の壁
心臓外科医が冷静に言う。
「0.8秒が直接死亡原因になるか?
単純化できません」
モニターに症例グラフが映る。
「血圧低下は術中に起こり得る。
他の因子も複雑に絡みます」
七瀬は頷く。
「その通りです」
司会が問う。
「では、七瀬さんの問題提起は何ですか?」
スタジオが静まる。
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4 境界線
七瀬はゆっくり言葉を選ぶ。
「“因果関係が証明できないから議論しない”」
一拍。
「それでいいのか、です」
空気が変わる。
「改善案が内部で議論されていた。
その事実は、リスク認識があったことを示すのでは?」
技術責任者が少しだけ声を強める。
「リスク評価は常に行っています。
しかし、それは“危険”を意味しません。
基準を満たしている」
七瀬は真正面から見る。
「基準は、絶対ですか?」
一瞬。
責任者が黙る。
教授がフォローする。
「基準は科学的根拠に基づきます。
ですが、完璧ではない」
心臓外科医も頷く。
「医学は常に更新されます」
七瀬は静かに言う。
「ならば、更新は止めるべきではない」
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5 攻撃
司会が踏み込む。
「しかし七瀬さんの動画で、不安を感じた患者もいる。
手術を延期した例も報告されています」
零が席で拳を握る。
七瀬は動じない。
「その責任は、重く受け止めています」
会場が静まる。
「だから断定しなかった。
だから専門家の検証を求めた」
視線をカメラへ。
「恐怖を煽るためではありません。
透明化のためです」
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6 予想外の言葉
ここで心臓外科医が言う。
「私は現場の医師です」
一拍。
「0.8秒で患者が亡くなったとは思いません」
七瀬の胸が揺れる。
だが次の言葉。
「しかし」
「低血圧域での反応速度が速い方が望ましいのは事実です」
スタジオがざわつく。
「改良は歓迎します」
技術責任者が僅かに表情を崩す。
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7 内部告発の是非
教授が問う。
「内部メールの公開は倫理的にどうか。
企業機密では?」
七瀬は即答しない。
「公益性があると判断しました。
命に関わる可能性がある情報は、閉じられるべきではない」
責任者が強く言う。
「その判断をするのは誰ですか?
あなたですか?」
静寂。
七瀬は正面を見る。
「最終的には、社会です」
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8 決定打
司会が速報を読み上げる。
「本日、東和メディカルはRX9の遅延補正アップデートを正式発表」
スタジオが一瞬止まる。
責任者が頷く。
「継続的改善の一環です」
だが事実は事実。
0.8秒は短縮される。
七瀬は深く息を吐く。
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9 終幕
討論終了後。
控室。
零が駆け寄る。
「勝ったな」
「違う」
七瀬は首を振る。
「越えなかった」
「何を?」
「断定」
静かに続ける。
「踏み越えたら、俺は終わる」
零が笑う。
「ギリギリだったぞ」
「いつもだ」
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10 夜の配信
七瀬は短いライブをつける。
「今日、討論がありました」
コメントが流れる。
《冷静だった》
《医者も認めてた》
《企業動いた》
七瀬は言う。
「今回、僕が学んだのは」
一拍。
「専門性と向き合うことの重さです」
「煽るのは簡単。
疑うのも簡単。
でも、踏みとどまるのが一番難しい」
コメントが静かになる。
「改善は決まりました。
でも検証は続きます」
そして。
「忘れないでください」
一瞬止まる。
「基準は更新される」
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11 影
配信終了。
スマホに通知。
国家の男から。
《よく越えなかった》
《だが、次は越えさせられる》
《新しい案件がある》
《医療より重い》
《国家そのものだ》
画面が暗くなる。
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第八十話。
国家案件。
数字ではなく、法そのもの。
七瀬は“正義”の定義を問われる。
【第七十九話 終】
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