第二の声
深夜二時。
オフィスフロアは無音だった。
自販機の低い駆動音だけが、空間に残る。
若手社員・高坂は、パソコン画面の光に照らされていた。
議事録フォルダ。
メール削除ログ。
そして、もう一つ。
《市場出荷優先計画・改訂版》
それは、七瀬がまだ手にしていない資料だった。
ページをスクロールする。
赤字の一文。
――検査不合格率3.2%は許容範囲と判断する。
高坂の喉が鳴る。
3.2%。
数字は小さい。
だが母数が違う。
年間出荷数は数百万。
計算は、彼でもできる。
数万単位。
不具合品が、市場に出る。
「……狂ってる」
さらに下へ。
内部チャットの抜粋。
〈この数値なら炎上しても持つ〉
〈損失はリコールより安い〉
高坂の指が止まる。
心臓の鼓動が速い。
USBを差し込む。
コピーが始まる。
進捗バーが伸びる。
50%。
63%。
79%。
エレベーターの音が鳴った。
高坂は凍る。
足音。
近づく。
廊下を曲がる気配。
100%。
コピー完了。
USBを抜く。
モニターを閉じる。
足音は、隣の部署で止まった。
笑い声。
酔った役員たち。
「危な……」
高坂は深く息を吐く。
決めた。
逃げない。
翌朝。
七瀬の自宅。
インターホンが鳴る。
零が警戒する。
「誰だ」
「高坂と申します」
七瀬と零が目を合わせる。
国家の男もすぐ到着する。
ドアを開ける。
スーツ姿の若い男。
顔色は悪い。
「僕……内部の人間です」
部屋に入る。
高坂はUSBを差し出す。
「これを出してください」
七瀬は黙って受け取る。
「なぜ?」
高坂の目が揺れる。
「最初は、従うしかないと思ってました」
一拍。
「でも、削除命令が出た時に分かったんです」
「何を」
「守るものが違うって」
零が静かに聞く。
「覚悟はあるのか」
高坂は震えながら頷く。
「あります」
「名前、出るぞ」
「それでも」
七瀬はUSBを机に置く。
重い。
物理的な重さより、意味の重さ。
「ありがとう」
高坂は初めて、少しだけ笑った。
トウマがデータを解析する。
「本物です」
即答。
「改訂版計画書。検査基準緩和の内部合意も入ってます」
国家の男が目を細める。
「決定打だ」
「出しますか?」
零が七瀬を見る。
一瞬の沈黙。
七瀬は言う。
「出す」
だが国家の男が制止する。
「待ってください」
「なぜ」
「今出せば、企業は“個人暴走”で切ります」
一拍。
「裁判で正式証拠として提出する方が効果は大きい」
七瀬は考える。
視聴者のために即公開するか。
法廷で最大効果を狙うか。
零が低く言う。
「今回は法廷だ」
七瀬は頷く。
「分かった」
同日午後。
企業本社。
緊急会議。
「第二の漏洩者がいる」
社長の声は荒い。
「ログは追えているか」
「特定中です」
「急げ」
広報が言う。
「株価が急落しています」
画面には赤い数字。
「記者が嗅ぎ回っています」
沈黙。
一人の役員が言う。
「強硬策を」
「具体的に」
「七瀬を潰す」
空気が固まる。
「名誉毀損で追加提訴。過去動画も徹底精査」
「揺さぶりをかける」
社長がゆっくり頷く。
「やれ」
夜。
七瀬のチャンネルに新たな動画が上がる。
タイトルは淡々としている。
《進展の報告》
七瀬はカメラを見据える。
「現在、裁判は新段階に入りました」
数字は言わない。
資料も見せない。
「詳細は法廷で明らかになります」
一拍。
「脅迫も受けています」
コメント欄が荒れる。
心配と怒り。
支援の言葉。
スーパーチャットが流れる。
零が横で呟く。
「守られてるな」
七瀬は画面を見つめる。
自分一人ではない。
数日後。
法廷。
国家の男が提出する。
「追加証拠です」
改訂版計画書。
チャットログ。
検査基準緩和の合意記録。
原告側の顔色が変わる。
「異議あり」
「理由は」
「取得経路が不明確」
国家の男が即答する。
「内部告発です」
法廷がざわつく。
裁判官が資料をめくる。
沈黙が長い。
「……これは重大ですね」
その一言。
企業側席に緊張が走る。
「原告に説明を求めます」
原告代理人が汗を拭う。
「一部の部署判断です」
「経営判断ではありません」
国家の男が低く言う。
「社長承認の電子署名があります」
静寂。
社長の顔が白くなる。
閉廷後。
廊下。
高坂が遠くで見ている。
七瀬が近づく。
「後悔してない?」
高坂は首を振る。
「怖いですけど」
一拍。
「正しい側に立てた気がします」
七瀬は小さく頷く。
「ありがとう」
だが、その夜。
七瀬のスマホに通知。
ニュース速報。
《七瀬、過去動画で誤情報か》
企業側が反撃に出た。
過去の一本を切り取り、拡散。
SNSが荒れ始める。
零が画面を見る。
「来たな」
国家の男が冷静に言う。
「情報戦第二ラウンドです」
七瀬はゆっくり息を吐く。
守る側になった。
だが攻撃も激しくなる。
それでも。
「全部、正面からやる」
目は、揺れていない。
第六十九話。
過去動画の真偽。
信用崩壊を狙う企業の情報戦。
そして“世論”が揺れる。
【第六十八話 終】
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