守る側
夜の静寂が、これほど怖いと思ったことはなかった。
七瀬は通話履歴の「非通知」を見つめ続けている。
「あなたの家族は、今どこにいますか」
短い一言。
それだけで、世界の重さが変わった。
零が低く言う。
「脅しだな」
「うん」
声が震える。
国家の男はすぐに動いていた。
「警察には既に連絡済みです。発信元の特定は難しいですが、記録は残ります」
「……家族には?」
「状況は伏せずに伝えるべきです」
一瞬、七瀬は目を閉じる。
巻き込みたくなかった。
だがもう、その段階は過ぎている。
翌朝。
七瀬は実家へ向かった。
母は玄関で驚いた顔をした。
「急にどうしたの」
七瀬は少し笑う。
「ちょっと話があって」
リビング。
テレビが静かにニュースを流している。
自分の名前がテロップに出る。
母は気まずそうにリモコンを置く。
「大変ね」
七瀬は深呼吸する。
「昨日、変な電話があった」
一拍。
「家族のことを匂わせる内容」
母の顔色が変わる。
「危ないの?」
「すぐどうこうはない。でも、警察には相談した」
沈黙。
母はゆっくり言う。
「やめる気は?」
七瀬は答えられない。
言葉が詰まる。
やめれば、家族は安全かもしれない。
続ければ、危険は続く。
「……ごめん」
そう言った瞬間、母が首を振る。
「謝らないで」
一拍。
「あなたが正しいと思ってるなら、それをやりなさい」
目が熱くなる。
「でも」
「守るのは親の役目よ」
小さく笑う。
「子どもが正しいことしてるなら、誇らしい」
七瀬は拳を握る。
逃げない。
もう逃げない。
その頃。
企業本社。
役員会議室。
空気は重い。
「議事録が開示された」
社長が低く言う。
「完全にまずい」
広報責任者が顔をしかめる。
「市場が反応し始めています」
株価チャートが画面に映る。
緩やかな下落。
しかし確実。
「七瀬は和解を拒否しました」
沈黙。
一人の役員が口を開く。
「切り離すべきです」
「何を」
「責任者を」
品質部門の本部長の名が出る。
「個人判断として処理する」
別の役員が反論する。
「議事録に我々の発言が残っている」
空気が凍る。
「誰が漏らした」
誰も答えない。
七瀬の自宅マンション前。
パトカーが止まる。
警察官が周辺を確認する。
零が腕を組む。
「ここまで来るとはな」
「怖い?」
七瀬が問う。
「当然だ」
一拍。
「でも、引かない」
零の目はまっすぐだ。
「お前一人に背負わせない」
トウマも頷く。
「データ面は僕が守る。アカウントのセキュリティも強化しました」
国家の男が言う。
「今後、直接接触の可能性もあります」
「物理的に?」
「否定はできません」
七瀬は苦く笑う。
「動画投稿が、ここまで来るなんて」
その夜。
企業側が記者会見を開いた。
社長が壇上に立つ。
「品質管理体制の不備があったことは認めます」
一拍。
「しかし、組織的隠蔽はありません」
質問が飛ぶ。
「議事録には“発売優先”とありますが」
「文脈の切り取りです」
「七瀬氏への圧力は」
「一切ありません」
画面越しに七瀬は見つめる。
怒りよりも、冷たさが広がる。
「まだ否定する」
零が呟く。
「当然だろ」
国家の男が言う。
「ここで認めれば、損害賠償は天文学的数字になります」
一拍。
「だから、こちらが立証する」
深夜。
トウマが画面を凝視している。
「……おかしい」
「何が」
「内部告発者の社内メール」
一拍。
「削除されています」
七瀬の背筋が冷える。
「証拠隠滅?」
「可能性が高い」
国家の男が即座に言う。
「ログは?」
「残っています。削除日時も特定可能」
「ならば有利です」
一拍。
「訴訟上、心証は大きく悪化する」
零が低く笑う。
「自爆か」
七瀬は静かに言う。
「追い詰められてる」
翌日。
追加証拠として、メール削除ログを提出。
法廷。
国家の男が告げる。
「提出後に、関連メールが削除されました」
法廷がざわめく。
裁判官の視線が鋭くなる。
「原告、説明を」
原告代理人が口を開く。
「通常のデータ整理です」
国家の男が即座に被せる。
「提出命令後の削除は、証拠隠滅の疑いがあります」
沈黙。
裁判官が告げる。
「原告に対し、データ保全命令を出します」
その一言。
空気が変わる。
零が小さく拳を握る。
「流れ来たな」
七瀬は胸の奥が熱くなるのを感じる。
怖さは消えない。
脅しも止まらない。
だが。
法廷は、味方になり始めている。
夜。
七瀬は一人、ベランダに出る。
街の灯りが遠くに揺れる。
スマホが震える。
今度はメッセージ。
《まだ間に合う》
《消せ》
短い文。
七瀬は画面を見つめる。
指が止まる。
消せば、楽になるかもしれない。
家族も、安全になるかもしれない。
だが。
議事録の一文。
削除されたメール。
告発者の震える声。
全部が胸に浮かぶ。
七瀬は返信する。
《消しません》
送信。
すぐ既読がつく。
それきり、返信はない。
風が強く吹く。
零が背後から声をかける。
「後悔してないか」
「してるよ」
一拍。
「怖いし、迷ってる」
振り返る。
「でも、やめない」
零が小さく笑う。
「なら最後まで行こう」
同時刻。
企業内部。
一人の若手社員が、暗いオフィスでPCを見つめている。
議事録。
メールログ。
そして、別のファイル。
未提出資料。
彼は震える指でUSBを握る。
「……これ以上、隠せない」
決意の表情。
第六十八話。
内部からの“第二の告発”。
そして企業側の最終反撃が始まる。
【第六十七話 終】
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