録音
録音がある。
その一言が、頭の中で何度も反響する。
七瀬は編集室の椅子に座ったまま、動けなかった。
零が先に口を開く。
「本物か?」
告発者は静かに頷く。
「会議室のICレコーダーです」
「なぜ録った」
「自己防衛です」
一拍。
「会議が終わるたびに、議事録が“修正”されていました」
トウマの目が鋭くなる。
「改変?」
「ニュアンスが消される」
国家の男が低く問う。
「録音は何分」
「約二時間」
重い。
二時間分の爆弾。
七瀬の喉が鳴る。
「決定的な一言って」
告発者は迷わず言う。
「“数字は後から合わせればいい”」
空気が凍る。
零が低く呟く。
「それは……」
「品質試験の会議です」
一拍。
「基準値を下回った製品について」
七瀬の背中に冷たい汗が流れる。
もし本物なら。
全てが変わる。
国家の男が現実に引き戻す。
「法廷で使うには条件がある」
「違法録音?」
「社内会議です」
一拍。
「あなたは当事者ですか」
告発者は即答する。
「はい」
「ならば証拠能力は高い」
零が小さく拳を握る。
「勝てるな」
国家の男は即座に否定する。
「まだ早い」
一拍。
「内容を確認してからだ」
ノートパソコンに接続。
小さなスピーカー。
全員が無言になる。
再生。
ざらついた音。
紙の擦れる音。
誰かの咳払い。
そして。
《基準値、下回ってます》
若い声。
《誤差の範囲だろ》
別の声。
《しかし、このまま出荷すれば――》
沈黙。
低い声が割り込む。
《数字は後から合わせればいい》
一瞬、空気が止まる。
《試験報告書の表現を調整しろ》
《大事なのは発売日だ》
録音は続く。
懸念の声。
押し潰す上司の声。
七瀬の指先が白くなる。
零が呟く。
「アウトだろ」
トウマは冷静に言う。
「文脈を精査する必要があります」
国家の男も頷く。
「切り取りと言われないよう、全体を出す」
七瀬は深く息を吐く。
これは刃だ。
だが両刃。
「出す?」
零が見る。
国家の男が答える。
「法廷に提出する」
一拍。
「公開は、その後だ」
七瀬は迷う。
今すぐ出せば、世論は一気に傾く。
だが。
感情で動けば、また“炎上ビジネス”と言われる。
「順番を守る」
七瀬は言う。
「法廷から」
国家の男が小さく頷く。
一週間後。
第二回口頭弁論。
法廷は前回より人が多い。
記者も増えている。
原告側は、余裕を装っている。
だが法務部長の目は硬い。
国家の男が立つ。
「被告側は、会議録音データを提出します」
空気が一変する。
原告代理人が即座に立ち上がる。
「異議あり!」
「理由は」
「違法取得の可能性があります」
国家の男は淡々と答える。
「証人は会議の参加者です」
一拍。
「当事者による録音は違法ではありません」
裁判官が告発者を見る。
「あなたが録音しましたか」
「はい」
「目的は」
「記録の保全です」
静寂。
裁判官が短く言う。
「再生してください」
法廷に、ざらついた音が広がる。
咳払い。
紙の音。
そして。
《数字は後から合わせればいい》
法廷が凍る。
誰も動かない。
続く。
《試験報告書の表現を調整しろ》
《大事なのは発売日だ》
傍聴席がざわつく。
原告側の弁護士が顔をしかめる。
法務部長の手が机を強く握る。
録音終了。
沈黙。
裁判官が問う。
「原告、この発言について」
原告代理人は立つ。
「文脈が不明確です」
一拍。
「“合わせる”とは、統計的補正を意味する可能性があります」
零が小さく舌打ち。
国家の男が即座に反論。
「その直後の“報告書の表現を調整”という発言と併せて解釈すべきです」
一拍。
「品質数値の改変を示唆していると考えるのが自然」
裁判官は資料を見つめる。
長い沈黙。
空気が重い。
七瀬の鼓動が耳鳴りのように響く。
やがて裁判官が言う。
「証拠として採用します」
その一言で、空気が崩れた。
原告側の表情が固まる。
零が小さく拳を握る。
トウマの目が光る。
だが。
原告代理人はすぐに立て直す。
「仮に問題発言があったとしても」
一拍。
「被告が公表した時点では、事実は未確定でした」
七瀬の胸が打つ。
ここだ。
国家の男が静かに言う。
「未確定であっても、公益性があれば許容される」
一拍。
「消費者に危険が及ぶ可能性がある以上」
法廷は再び沈黙。
裁判官が期日を告げる。
閉廷。
外に出ると、空気が違った。
記者の質問が変わる。
「企業側の品質管理体制に問題があったのでは?」
企業側は無言で去る。
七瀬は空を見上げる。
曇り空。
だが、わずかに光が差している。
零が言う。
「流れはこっちだ」
トウマは冷静だ。
「まだ決着ではありません」
国家の男が低く言う。
「追い詰められた組織は、最後に最も危険な手を打つ」
その瞬間。
告発者のスマホが震える。
画面を見る。
顔色が変わる。
「どうした」
告発者は、ゆっくりと言う。
「……実家に記者が来ています」
七瀬の血が引く。
「住所は公開していないはず」
零が低く言う。
「リークだ」
国家の男の目が冷たく光る。
「戦いは法廷だけではない」
一拍。
「次は、私生活を壊しにくる」
七瀬の拳が震える。
怒り。
恐怖。
だが。
告発者が静かに言う。
「続けます」
一拍。
「ここまで来たら、止まりません」
七瀬はゆっくり頷く。
「守る」
自分に言い聞かせるように。
第六十三話。
企業、裏の工作。
告発者の家族への圧力。
そして七瀬は、最大の決断を迫られる。
【第六十二話 終】
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