原本
東京地方裁判所。
灰色の空。
湿った風。
七瀬は正門の前で一度立ち止まった。
報道陣のカメラが並ぶ。
フラッシュ。
「コメントを!」
「原告側は虚偽だと主張していますが!」
零が小声で言う。
「真っ直ぐ行け」
七瀬は一言だけ答える。
「法廷で話します」
それ以上は言わない。
中へ。
法廷は想像より狭い。
傍聴席には一般人と記者。
企業側の席には、黒いスーツの列。
中央に法務部長。
目が合う。
感情は読めない。
七瀬は被告席に座る。
隣に国家の男。
後方に零とトウマ。
裁判官が入廷。
起立。
着席。
静寂。
原告代理人が立つ。
「被告は、真正性の不明な資料をもとに、原告の社会的信用を毀損しました」
一拍。
「内部資料と称する文書は、出所不明であり、改ざんの可能性が否定できません」
トウマが小さくメモを取る。
国家の男は無表情。
七瀬はただ聞く。
原告代理人は続ける。
「さらに被告は、当該発信により多額の広告収益を得ています」
傍聴席がざわつく。
「営利目的での誹謗中傷は、公益性を欠きます」
零が歯を食いしばる。
国家の男が立ち上がる。
「被告代理人です」
一瞬で空気が変わる。
「原告は“改ざんの可能性”と述べました」
一拍。
「可能性ではなく、具体的根拠を示していただきたい」
静寂。
原告側が書類をめくる。
「アクセスログ上、当該社員が資料に接触した形跡があります」
「それは改ざんの証拠ですか」
「不正取得の可能性を示します」
国家の男の声は低い。
「取得と改ざんは別概念です」
裁判官が軽く頷く。
七瀬の鼓動が早い。
ここからだ。
国家の男が言う。
「被告側は、本件資料の原本を提出します」
法廷が一瞬凍る。
原告側の視線が動く。
「原本?」
国家の男が続ける。
「社内サーバーに保存されていたデータの完全バックアップです」
一拍。
「ハッシュ値を含め、第三者機関で検証済み」
傍聴席がざわめく。
原告代理人の顔色がわずかに変わる。
「異議あり」
「何についてですか」
「真正性の確認が不十分です」
国家の男は冷静だ。
「確認のため、証人を申請しています」
七瀬の喉が乾く。
裁判官が問う。
「証人とは」
「元社員です」
その瞬間。
法廷の扉が開く。
告発者。
スーツ姿。
痩せているが、背筋は伸びている。
七瀬と目が合う。
一瞬。
微かに頷く。
証言台。
宣誓。
告発者の声は、震えていない。
「本資料は、私が業務上アクセス可能だった社内サーバー内のデータです」
一拍。
「内容は会議議事録および内部評価報告書です」
原告代理人が立つ。
「あなたは解雇されていますね」
「はい」
「懲戒理由は?」
「情報持ち出しの疑いです」
ざわめき。
原告代理人が畳みかける。
「つまり、規則違反をした可能性がある」
告発者は一瞬だけ目を伏せる。
だがすぐ上げる。
「公益通報です」
一拍。
「内部で是正を求めましたが、無視されました」
七瀬の胸が熱くなる。
原告代理人が鋭く言う。
「あなたは被告と共謀していませんか」
空気が張り詰める。
告発者ははっきりと言う。
「していません」
一拍。
「私は、事実を渡しただけです」
国家の男が補足する。
「提出された原本データは、社内サーバーのログと一致します」
モニターに表示。
タイムスタンプ。
改ざんなしの証明。
裁判官が資料を見る。
沈黙。
原告側の弁護士が耳打ち。
法務部長の顔が硬い。
零が小さく呟く。
「刺さった」
だが。
原告代理人が最後の矢を放つ。
「仮に真正だとしても」
一拍。
「文脈を歪めて公表した事実は否定できません」
七瀬の目が鋭くなる。
「具体的に」
国家の男が促す。
「会議記録の一部のみを切り取り、あたかも違法行為が確定しているかのように印象操作した」
傍聴席が再びざわつく。
七瀬の胸が打つ。
これは痛い。
国家の男が静かに答える。
「被告は動画内で“疑いがある”と述べています」
一拍。
「断定はしていません」
裁判官が資料をめくる。
動画文字起こし。
《違法の可能性がある》
《説明責任がある》
断定はない。
原告側の動きが止まる。
審理は一旦終了。
「次回期日を指定します」
木槌。
閉廷。
法廷の外。
報道陣が再び押し寄せる。
「原本提出についてどう思いますか!」
企業側は無言で去る。
七瀬は立ち止まる。
「事実を出しただけです」
一拍。
「判断は裁判所がします」
零が隣で小さく笑う。
「今日は勝ちだな」
国家の男は首を振る。
「中間点です」
トウマがスマホを見る。
「SNSの流れ、完全に変わりました」
《原本提出は強い》
《企業苦しい》
《告発者応援》
だが。
トウマの表情が曇る。
「……企業側、次の準備を始めています」
「何を」
「告発者への損害賠償請求を検討」
空気が凍る。
七瀬の足が止まる。
「まだ追うの?」
国家の男が低く言う。
「見せしめです」
一拍。
「他の社員を黙らせるため」
告発者が静かに言う。
「想定内です」
七瀬が振り向く。
「でも」
一拍。
「原本は、まだ全部じゃありません」
全員が止まる。
「どういう意味」
告発者は静かに言う。
「会議は、録音されています」
風が止まったように感じる。
零が呟く。
「音声?」
「はい」
一拍。
「違法性を示す、決定的な一言があります」
七瀬の鼓動が爆発する。
国家の男が問う。
「どこに」
告発者は短く答える。
「安全な場所に」
第六十二話。
録音データ。
法廷に流れる“その一言”。
崩れるのは、企業か、それとも――。
【第六十一話 終】
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