訴状
封筒は、想像よりも薄かった。
白。
無機質。
東京地方裁判所の文字。
七瀬はしばらく開けなかった。
机の上に置いたまま、ただ見つめる。
零が口を開く。
「開けるぞ」
「うん」
国家の男が手袋をはめるように静かに封を切る。
紙が一枚、二枚、三枚。
トウマが素早く写真を撮る。
「請求額は」
国家の男が目を走らせる。
「……五千万円」
空気が止まる。
零が低く吐く。
「本気だな」
七瀬は数字を見つめる。
現実感がない。
だが、次の一文で、背筋が冷える。
《被告は、虚偽の事実を摘示し、原告企業の社会的評価を著しく低下させた》
「虚偽?」
七瀬の声がかすれる。
トウマがページをめくる。
「争点を限定しています」
「何に?」
「“内部資料の信頼性”」
一拍。
「告発者の信用を崩す構成です」
国家の男が頷く。
「こちらの証拠が“捏造の可能性がある”と主張している」
零が顔をしかめる。
「それは無理筋だろ」
「無理でも、疑念を作れば勝てる」
国家の男の声は冷たい。
「民事は“疑わしきは被告不利”になり得る」
七瀬の喉が乾く。
内部資料。
あのPDF。
ログ。
会議記録。
もし一部でも改ざんと認定されれば――
「告発者は?」
七瀬が問う。
トウマのスマホが震える。
メッセージ。
《会社から事情聴取を受けました》
《端末提出を求められています》
零が低く呟く。
「潰しにきた」
国家の男が言う。
「端末を押さえられれば、データ改ざんの疑いを作れる」
「でも実際は?」
「わからない」
その一言が重い。
七瀬は立ち上がる。
「会う」
「誰に?」
「告発者に」
零が即答する。
「危険だ」
「でも今、孤立させたら終わる」
トウマが静かに言う。
「接触記録も監視されている可能性があります」
国家の男が考える。
一拍。
「私が間に入る」
「?」
「弁護士名目で面談」
零がわずかに笑う。
「合法ルートか」
「当然です」
夜。
小さな喫茶店。
告発者は、以前より痩せていた。
目の下に濃い影。
カップを持つ手が震えている。
「……すみません」
第一声。
七瀬は即座に言う。
「謝らないで」
告発者は俯く。
「会社は、私が資料を外に出した証拠があると言っています」
「あるの?」
「……アクセスログは残っていると思います」
零が息を呑む。
「それはまずい」
国家の男が静かに聞く。
「データの加工はしましたか」
告発者は首を振る。
「していません」
一拍。
「でも、PDFにまとめました」
トウマが即座に反応。
「元データは?」
「サーバー内にあります」
国家の男の目が鋭くなる。
「重要なのはそこです」
一拍。
「原本が存在するかどうか」
告発者が震える声で言う。
「削除されるかもしれません」
七瀬の心臓が強く打つ。
もし原本が消えれば。
企業は言う。
《存在しなかった》
零が机を叩きそうになるのを堪える。
「バックアップは?」
告発者は躊躇する。
長い沈黙。
やがて、小さく言う。
「あります」
全員が顔を上げる。
「外部ストレージに」
七瀬の胸が熱くなる。
「どこに?」
「……言えません」
零が眉をひそめる。
「信用してない?」
告発者は首を振る。
「違います」
一拍。
「私が捕まったとき、誰も知らない場所にある方がいい」
国家の男が小さく頷く。
「合理的です」
七瀬は告発者を見つめる。
「あなたを守る」
告発者は苦く笑う。
「守られる立場じゃないです」
一拍。
「もう、覚悟はしています」
空気が重い。
翌朝。
企業側が記者会見を開くと発表。
零がテレビをつける。
壇上に並ぶ役員たち。
中央に、法務部長。
「本件は、事実無根の誹謗中傷です」
一拍。
「内部資料とされる文書は、真正性が確認できません」
トウマが呟く。
「来た」
法務部長は続ける。
「当社は、必要であれば刑事告訴も検討します」
七瀬の拳が握られる。
刑事。
告発者への圧力。
零が低く言う。
「脅しだ」
国家の男は首を振る。
「本気かもしれません」
一拍。
「名誉毀損は親告罪だが、不正アクセスや営業秘密侵害なら別」
空気が冷える。
七瀬のスマホが震える。
告発者から。
《今、総務に呼ばれています》
短い。
それだけ。
七瀬の呼吸が浅くなる。
「行く」
「無理だ」
零が即答。
「会社内だぞ」
トウマが冷静に言う。
「今動けば、証拠隠滅の口実を与える」
国家の男が七瀬を見る。
「あなたがやるべきことは一つ」
「何」
「訴状への反論準備」
一拍。
「感情ではなく、証拠で殴る」
七瀬は目を閉じる。
怖い。
だが。
ここで崩れれば、全部終わる。
目を開ける。
「やろう」
数時間後。
トウマが画面を指す。
「見てください」
社内掲示板のリーク。
《本日付で、社員一名を懲戒解雇》
名前は伏せられている。
だが。
七瀬のスマホが鳴らない。
メッセージも来ない。
零が呟く。
「……まさか」
その瞬間。
知らない番号から着信。
七瀬が出る。
息が荒い声。
「……終わりました」
告発者。
「解雇、です」
沈黙。
七瀬の胸が締め付けられる。
「でも」
一拍。
「原本は、無事です」
その言葉で、空気が変わる。
国家の男が静かに言う。
「これで戦える」
七瀬は震える声で言う。
「ごめん」
告発者は即座に否定。
「違います」
一拍。
「これで、もう守るものはありません」
静かな決意。
「証言します」
零が目を見開く。
「法廷で?」
「はい」
電話が切れる。
部屋は静まり返る。
七瀬はゆっくりと椅子に座る。
企業は、カードを切った。
だが同時に。
最大の証人を生んだ。
第六十一話。
第一次口頭弁論。
告発者、出廷。
そして法廷で提示される“原本”。
戦いは、公開の場へ。
【第六十話 終】
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