割れ目
メールは午前三時に届いていた。
件名は空白。
本文は一行だけ。
《直接会って話したい》
添付ファイルなし。
署名なし。
だがIPを追うと、企業の本社ビル近辺。
国家の男が淡々と言う。
「高確率で内部」
零は腕を組む。
「罠の可能性は?」
「ある」
一拍。
「だがリスクを取らない内部告発者もいない」
七瀬は画面を見つめる。
昨日の電話と同じ匂い。
揺らぎ。
企業の“中”が軋み始めている。
トウマが言う。
「会うなら準備が必要です」
国家の男が頷く。
「場所はこちらで指定」
「録音?」
「当然」
七瀬は一瞬、考える。
内部告発者。
守らなければ、潰される。
だが利用しなければ、何も変わらない。
「会う」
短い決断。
翌日。
都内の小さな貸会議室。
窓は曇りガラス。
入室は時間差。
七瀬と零が先に入る。
国家の男は別室。
トウマはオンライン待機。
ドアが開く。
現れたのは、三十代前半の男性。
スーツは整っているが、目の下にクマ。
「……はじめまして」
声がかすれている。
名乗らない。
七瀬も聞かない。
「資料、送ったのあなた?」
男性は頷く。
「全部ではない」
一拍。
「一部です」
零がじっと観察する。
手が震えている。
本気で怖がっている人間の震え。
七瀬が静かに言う。
「なぜ?」
男性は少し俯く。
「最初は正しいと思ってました」
一拍。
「炎上を抑えるのは必要だと」
だが。
「最近は違う」
「何が?」
「基準が変わった」
国家の男がイヤーピース越しに呟く。
「具体を引き出せ」
七瀬は頷く。
「どう変わった?」
男性は唇を噛む。
「“誤情報”じゃない」
一拍。
「“不都合”です」
空気が凍る。
零が低く言う。
「証拠は?」
男性はカバンからUSBを出す。
躊躇。
「出せば、終わります」
七瀬は見る。
「あなたが?」
「はい」
一拍。
「部署も、立場も」
トウマの声がイヤーピース越しに届く。
「守秘義務違反で解雇は確実」
七瀬はUSBを見つめる。
重い。
武器。
同時に、人の人生。
「なぜ私に?」
男性は言う。
「討論を見ました」
一拍。
「逃げなかった」
七瀬は何も言わない。
男性が続ける。
「社内で言っても、無理でした」
「上は?」
「知ってます」
一拍。
「でも、数字が優先」
株価。
スポンサー。
ブランド。
零が静かに問う。
「内部で賛同者は?」
男性は迷う。
「数人」
一拍。
「でも名前は出せない」
当然。
国家の男が指示。
「ファイル内容確認」
零がノートPCに挿す。
フォルダが開く。
社内チャットログ。
会議資料。
タイトル。
《影響力抑制優先リスト》
七瀬の名前がある。
他にも、数名の配信者。
横にランク。
《優先監視A》
零が息を吐く。
「ビンゴ」
だが問題はここから。
出せば、爆発する。
企業は全面戦争。
出さなければ、訴訟は長期化。
トウマが言う。
「法廷に提出すれば証拠能力は高い」
国家の男。
「ただし出所を守れるかが鍵」
男性が言う。
「匿名で」
「難しい」
一拍。
「データの経路で特定される可能性」
男性の顔が青くなる。
「家族がいます」
七瀬は目を閉じる。
これだ。
理想と現実の亀裂。
零が小声で言う。
「どうする?」
七瀬は男性を見る。
「あなたは、何を望んでる?」
男性は即答しない。
長い沈黙。
「変わってほしい」
一拍。
「全部じゃなくていい」
「でも、今のままは嫌だ」
震える声。
七瀬はゆっくり言う。
「あなたを守る方法を探す」
零が一瞬、七瀬を見る。
甘い、と言いたげ。
だが七瀬は続ける。
「すぐには出さない」
一拍。
「法廷で使う準備をする」
国家の男が頷く。
「証拠保全手続き」
トウマが補足。
「公的ルートに乗せれば、内部告発者保護の枠組みも使える可能性」
男性の目に、わずかな光。
「本当に?」
「保証はできない」
七瀬は正直に言う。
「でも、無茶はしない」
男性は深く頭を下げる。
退出。
ドアが閉まる。
沈黙。
零が言う。
「賭けだな」
「うん」
「裏切られる可能性もある」
「ある」
七瀬はUSBを見る。
「でも」
一拍。
「もう一人で戦ってない」
トウマが静かに言う。
「企業の中も割れている」
国家の男が低く付け加える。
「割れ目は広がる」
だが。
その夜。
ニュース速報。
《企業、情報漏洩の内部調査開始》
零が画面を見せる。
「早い」
七瀬の胸が締め付けられる。
男性は大丈夫か。
まだ何も出していない。
だが“動き”があったことは察知された。
スマホが震える。
未知の番号。
七瀬は出る。
息が荒い。
「……監視されているかもしれない」
あの男性の声。
「社内で、データアクセス履歴を洗っている」
冷たい汗。
国家の男が即座に言う。
「今すぐ通信を切れ」
「証拠は消していません」
男性が言う。
「でも時間がない」
通話が途切れる。
七瀬の手が強く握られる。
零だ。
「落ち着け」
国家の男が言う。
「次の一手を間違えるな」
トウマの声。
「守ると決めたなら、覚悟を」
企業の中で何かが動いている。
内部告発は、常に血を伴う。
七瀬は静かに言う。
「引かない」
一拍。
「でも、急がない」
戦いは法廷だけではない。
人の人生が、賭け金になる。
それでも。
割れ目は、もう見えている。
第五十四話。
内部告発者、特定の危機。
保護か、暴露か。
決断は、より冷酷さを要求する。
【第五十三話 終】
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