もう一つ法定
訴状は、静かに届いた。
封筒は分厚く、無機質で、感情がなかった。
午前十時三分。
七瀬の部屋のテーブルに置かれたそれは、ただの紙の束のはずなのに、空気を重く変えた。
零が無言で中身をめくる。
「名誉毀損、業務妨害、損害賠償請求……」
一拍。
「請求額、三千万円」
七瀬は小さく笑う。
「現実味ある数字にしてきたね」
国家の男が淡々と補足する。
「脅しとしては妥当」
トウマが静かに言う。
「払えない額ではない。だが、重い」
重さは金額だけではない。
“個人が企業に訴えられた”という事実。
それ自体が、抑止力になる。
零が言う。
「メディアは?」
国家の男。
「すでに数社が記事化準備」
一拍。
「見出しは決まっている」
その日の昼。
ネットニュースが並ぶ。
《企業、七瀬を提訴》
《公開討論後、法廷へ》
《和解拒否の末》
コメント欄は再び荒れる。
《やりすぎ》
《企業怖い》
《自業自得》
分断は、より鮮明になる。
七瀬は画面を閉じる。
「これが“見せしめ”」
国家の男は否定しない。
「効果はある」
一拍。
「他の配信者は様子を見る」
実際、同業の数人は距離を置き始めていた。
《法的リスクは怖い》
《中立を保ちたい》
孤立。
それが企業の第二の狙い。
トウマが言う。
「法廷は長い」
「うん」
「だが、もう一つある」
七瀬が顔を上げる。
「もう一つ?」
「世論の法廷」
零が頷く。
「毎日開廷中」
SNS。
ニュース。
切り抜き。
スポンサー候補。
すべてが判断を下し続ける。
国家の男が言う。
「企業側は法廷外広報を強化」
実際、同時刻。
企業公式アカウントが投稿。
《誤情報から従業員を守るための法的措置》
“従業員”。
巧妙な言い回し。
攻撃対象を“企業”から“働く人”へずらす。
零が吐き捨てる。
「うまい」
七瀬は静かに言う。
「感情を動かすワード」
一拍。
「私も動かさないと」
夜。
ライブ配信。
同接は減らない。
だが空気は違う。
緊張。
不安。
七瀬はカメラを見る。
「訴えられました」
コメントが一斉に流れる。
《大丈夫?》
《怖い》
《応援》
「三千万円です」
ざわめき。
七瀬は続ける。
「でも、後悔はしてない」
一拍。
「動画は消さない」
チャットが加速。
《無理するな》
《戦え》
《やめとけ》
七瀬は言う。
「これは私一人の話じゃない」
一拍。
「削除基準がブラックボックスなままなのが問題」
トウマが裏で見守る。
零がコメントを監視。
国家の男はメディア動向を追う。
「寄付とか募るの?」
コメントが流れる。
七瀬は一瞬迷う。
資金は必要。
だが。
「まだしない」
一拍。
「自分で立てるうちは、自分で立つ」
強がり。
だが本音。
配信後。
零が言う。
「本当に大丈夫か?」
「わかんない」
七瀬は正直に答える。
「でも、今はまだ」
トウマが言う。
「法的戦略は?」
国家の男が説明する。
「争点は三つ」
一つ、事実の真実性。
二つ、公益性。
三つ、意見論評の範囲。
「勝てる?」
「可能性はある」
一拍。
「だが時間がかかる」
年単位。
七瀬は息を吐く。
「その間、活動は?」
「影響は出る」
実際、スポンサー候補の一社から連絡。
《今回は見送り》
理由は書いていない。
だが明白。
リスク回避。
零が言う。
「干され始めてる」
七瀬は苦笑する。
「想定内」
だが、心は少し削られる。
三日後。
新たな動き。
匿名の内部資料が届く。
企業の削除基準マニュアル。
詳細。
《炎上予兆段階での予防的措置》
《影響力上位アカウントを優先監視》
国家の男が眉をひそめる。
「本物の可能性高」
零が言う。
「出す?」
七瀬は資料を見る。
出せば、企業はさらに強硬になる。
だが。
出さなければ、訴えられ損。
トウマが静かに言う。
「これは爆弾です」
一拍。
「法廷で出すか、世論に出すか」
七瀬は目を閉じる。
法廷は時間がかかる。
世論は即効性。
だが、信用も削る。
国家の男が言う。
「慎重に」
「うん」
七瀬は立ち上がる。
「すぐは出さない」
一拍。
「検証する」
零が頷く。
「賢明」
戦いは感情だけでは続かない。
冷静さが必要。
夜。
七瀬は一人で画面を見る。
フォロワー数は微増。
だが、敵も増えている。
DM。
《応援してる》
《会社辞めたくないけど本当は言いたいことある》
小さな声。
確実に届いている。
法廷は始まる。
だが、もう一つの法廷――
世論は、毎日判決を出す。
無罪も、有罪も。
その中で、立ち続けるしかない。
スマホが震える。
未知の番号。
またか。
七瀬は一瞬迷い、出る。
低い声。
「資料、受け取りましたか」
凍る。
「誰?」
「味方です」
一拍。
「まだ、あります」
通話が切れる。
零が見る。
「誰だ?」
七瀬はゆっくり言う。
「内部」
国家の男が低く言う。
「企業の中が、割れている」
戦場は広がる。
法廷の内。
法廷の外。
そして、企業の中。
第五十三話。
内部告発者、接触。
守るか、利用するか。
選択は、さらに重くなる。
【第五十二話 終】
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