〔67〕もっと上手くなりたいな、と思ったとき ✪
ちわ。
もっと上手くなりたいな、と思ったときにみなさんはどうしていますか? て話。
絵を描いていて「もっと」と貪欲になったときに、イラストを描くことについて書かれたブログや動画を見るのですが、よく目にするのは『模写とトレース』かなって。
線画を描けない自分にとって"トレース"―もとの絵をなぞって描く―は、全くと言っていいほどに意味がない。スマフォで描くので、だいぶ拡大して描かなければいけないだろうと思う。たぶん、自分で今どこの部分を描いているかさえわからなくなるので、上手くなるための練習法にもならない。だから、トレースはいまだにやったことがない。
そして、"模写"―見たものを描き写す―は、楽しい。ま、模写したものの通りに描けない腕なので、何が楽しいかというと観察することが楽しい。性格…と言ったら駄目なのかもしれないが、子供のときから観察するのが好きなので自分にはきっと合っている練習法なのだろうと思う。線が描けなくても完成作さえ模写になっていればいいしね。模写になってない絵ができ上がりますが(笑)
あらゆるものの形や色の仕組みを考える有効なものだと思います――と、ブログやら動画やらを眺めて納得するのであります。
文章でも模写して――ていう練習法があるみたいですよね。やっている人もいるのかな〜と思うんですが、文章の模写だと何の練習になるのかがちょっとわからなくて…。
ただ、つきまとうのが『著作権』問題!
許可を貰っていたり、もとのモノを描いた作者さんがどうぞと自ら言っていたならいいのですが。模写にもならない模写しているので問題にもならないことがちょっと寂しいですけども、また、アディアは著作権に入らないとか。
アディアは仕方がないことかもしれない。それに自分で思いついたことだと思っても、探せばすでにあった……なんてことも。まっさらなものを生み出すことは本当に難しいものだと思うのですが、まあ、むかつくもんはむかつくというのが本音であります。…うん。
何を自分のものにするか、練習法にするかは人それぞれで、捉え方もその人となりになるでしょうが、「上手くなりたい」「自分で納得出来るものを描きたい」と思ったとき、その結果について何か一つでも重みがかかったら、一度立ち止まり、じっくり作品と自分の心を見直さなければいけないのかもしれない。
そして、そういう場面に出会してしまったら、やさぐれる前に自分で悩んで作ったもの、自分自身に誇りを持って創作したいです。
『ゴーストオブツシマ』を昨日クリアしてね、「武士としての誉れとは」ってことについて最初から最後まで問われるんですが、うーん、難しいしそういうこっちゃねーよな話ですけども「自分の作品を投稿する覚悟」は持っておかなければいけないんだろうと思いました。世に出ている、誰かしらには見られている自分の行動を――
もっと上手くなりたいと思ったときに、「自分の作品です!」と誇らしくいたい。
以上です。




