侍女と騎士とそれから
最終話までお読み下さりありがとうございます。
途中、(もう結果がわかったし後はいいわ)と思われる箇所があるかもしれませんが、最後の方に需要はないかもしれないのですが、甘々シーンを入れました。
少し長いのですが、最後までお読み頂ければうれしいです。
ヒューイッドの激しい攻撃にケインはバランスを崩し、彼の馬は怯えたように足を止めてしまった。
それを見たヒューイッドは、一旦攻撃の手を止め、自身の馬をわざと後退させる。
しかしそれは決して、弱った相手への情けなどではなかった。
それどころか、全く逆の理由だった。そう、いかにこの弱い相手を惨めに、そして自分は勇ましく華麗に見えるように、観客の視線を意識した彼の演出だったのだ。
ヒューイッドはケインを馬鹿にしていた。事実、彼は余裕綽々で戦っている。
反対にケインは、素人のわたしから見ても、ヒューイッドに攻撃を仕掛ける隙さえ見つけることが出来ないようだ。
悔しいけれど、明らかにヒューイッドの方が上手だった。彼に狩られる為に、ケインは立ち往生している。
ヒューイッドが動く。
まるで舞台は整ったとでも言いたげに。彼は、大きな雄叫びのような掛け声を上げ、力強く拍車を掛けた。
彼の馬はスピードを上げて、一直線に獲物へと向かって行く。
会場内の観客達は、派手な演出をするヒューイッドに酔ったような声援を送った。
彼はここで、一気に勝負をつけようとしたらしい。途中で槍を脇に挟んで持つと、体を低くする。そして、馬のスピードを生かしたままケインに突っ込んでいった。
「ヤアァァァ!」
ヒューイッドの大きな掛け声が、兜を通してまで響き渡った。
「ワアアアアアッ!」
彼の声に合わせるかのように、会場の興奮も最高潮に達していく。
「キャアァ!いやあぁ!」
ケインの負けを予想して、彼を応援していた黄色い悲鳴も聞こえてきた。
止めて・・
わたしは声が出なくなる。
顔の前で硬く両手を握り締めて、目の前の試合を見つめるしかない。
ヒューイッドの槍に突かれて、落馬し動かなくなったケインの姿が浮かび声にならない悲鳴が出た。
ヒューイッドとケインの馬がぶつかった。
観客は声援を止めて、息を詰め試合の行方を見守っている。
ケインの体が押されたように動くと、彼の槍が手から離れ落ちていった。
嘘?・・いや!
わたしは両手を一層強く握り締める。力を入れすぎて手が白くなっていた。
ケインは自分へと突き出された槍をギリギリで避けると、それを強く掴み強引に引っ張る。そして、ヒューイッドの槍を掴んだまま、馬の向きを変えて素早く走らせた。
彼の馬は怯えて足を止めていた訳ではなかった。ヒューイッドが向かってくるのを、逃げもせず待っていたのだ。手綱を引く主の命に従って、静かな闘志を燃やしていた。
ヒューイッドは槍を引っ張られて体が前のめりになり、勢いもついていた為ケインの切り返しに咄嗟に反応出来なかった。
彼は、ケインが反撃してくるとは思っていなかったに違いない。ケインの行動は相手の油断を誘うため、わざと振る舞っていたものだ。
それにまんまと騙され、対戦相手は戦意喪失したと信じていたのだろう。
だから普段の彼なら、多分してない大きなミスを仕出かした。油断して隙を作るという、絶対してはいけないミスを。
ヒューイッドはそのまま体のバランスを崩し、走り去る馬から滑り落ちる。
一瞬の出来事だった。
ケインが、抵抗がなくなった相手の槍に気付き、馬を止め振り返った。
ヒューイッドは落馬したあと、怪我をしたのか地面に倒れたまま動こうとしない。
「キャアァァァッ!」
若い女性達の嬉しげな叫び声が、静まりかえった会場に響く。
「勝者、ケイン・アナベル!」
彼の勝ちを宣言する審判の声が、観客の、今までで一番大きな歓声にかき消されていた。
よかった・・・
わたしは安堵して、ほっと息を吐いた。
会場の熱の籠ったざわめきの向こうに、審判から勝者への祝福を受けるケインが見える。
彼はどこにも怪我をしてないようで、堂々とした姿で馬上にいた。
だが、やがて焦れたように落ち着きがなくなる。そして、審判の勝者を称える口上もそこそこに、いきなり馬を降りた。
彼の名前を叫び喜んでいた観客も、そんなケインの行動に唖然とする。
ケインは慌てて注意をしてくる審判を軽く手でいなすと、兜を脱いで周囲を見回した。
彼が兜を外して顔を見せると、黄色い声が更に大きくなる。
どうしたのかしら?
ケインは、彼の前に笑顔で走り寄って来る娘達を、適当にあしらって歩き始めていた。その目には彼女達など映ってないようだ。
フェミニストとは思えないほど、冷たい対応である。少女達が悲しげな声を投げ掛けるが、彼は無視して足を進めていた。
「まあ、勝者の騎士様はえらく麗しいお顔立ちなのね、リシェル?」
母がびっくりしたように呟く。
「ええ、そうね・・」
わたしは口の前で結んでいた両手を離した。きつく握り締めていたから、お互いの指の後が残っている。手を離すと少しだけ震えた。
これから、どうしよう・・・。
「ねえ、リシェル。あなた途中であの騎士様を凄い声で応援していたけれど、お知り合いなの?」
母の声が聞こえた。わたしは自分の手を見ながら、ぼんやり答える。
「ああ、彼はエミリアナ殿下の護衛騎士なの。わたしは殿下の侍女長だから、主を同じくしているので頻繁に顔を合わすのよ。だから勿論知っているわ。」
そんな関係も、今となっては悩みの一つだけど・・・。
「本当に、それだけ?それだけで、あんなに必死で応援をしたの?」
母はしつこい。何故そんなことが気になるのだろう。母の顔など見たくない。いや母だけじゃない、父もこの会場にいる全ての人間も、そしてケインは今最も見たくなかった。
わたしは俯いて、自分の手を睨み付けたまま言い捨てた。
「そうよ。赤の他人とは言え、殿下の騎士だもの。応援するのが普通でしょう?」
赤の他人・・その言葉が胸を突き刺す、自分で言って傷付くなんておしまいだ・・。
「でも、でもね、リシェル?その騎士様が・・」
母はまだ言っていた。
わたしはカッと怒りが湧いてくる。
もう、充分でしょう?これ以上、他に何と言えば納得出来ると言うの?
「いい加減にしてよ、お母様!他にどんな理由があると言うの?それとも、何?わたしが応援したら可笑しいとでも言うの?」
わたしは苛立ちを声に含ませ怒鳴りながら、母の方へ顔を上げた。
顔を上げた視線の先に、ケインがいた。
彼は、眉間に皺を寄せて、痛ましげな表情を浮かべこちらを見ている。
唇は僅かに開いているが、何かを言いかけて結局言えずに、微かに動くだけだ。
朝、綺麗に整えられていた筈の髪の毛は、先程の試合で汗と共に乱れ緩やかに崩れていた。
彼の額から、一筋の汗が頬を伝って落ちる。
見たくないと望んだ筈の人なのに、いざ彼を見つけてしまうと、浅ましい程にわたしの目は彼を捉えて離さない。
どんな彼の表情も、仕草も、全て逃したくないと魅了されてしまうのだから。
「・・リシェル殿」
ケインが掠れた声で、わたしの名前を呼んだ。
彼は躊躇うように言葉を続ける。
「聞かせて・・くれないか?誰を、応援していたのか・・」
ケインが・・、わたしをずっと拒絶したように無視していた人が、その瞳の中にわたしを映し見つめていた。
わたしは頭が熱くて、熱でもあるみたいにぼうっとなり、何も考えられなくなる。
「・・君の声が聞こえた。死なないでと、大声で叫んでる声が・・・」
彼は一歩近付いてくる。
「あれは、誰のためだったんだ?・・僕のためだと、自惚れてもいいのか・・?」
ケインが泣きそうな顔をして笑った。
切なくて胸がどうにかなりそうだった。
「リシェル」
横で別の誰かがわたしを呼ぶ。
ハッと気付いて辺りを見ると、いつの間にか、試合を見ていた観客達の視線を集めていたことに気が付いた。
あれほど、ざわめいていた人々の声が全く聞こえなかったのは、皆が静かにことの成り行きを見ていたからだったのだ。
わたしは気が動転して馬鹿みたいにキョロキョロとしてしまう。
わたしの名前を呼んだのは父だった。父は心配そうにこちらを見ている。
その目が、公衆の面前で娘が恥をかかされるのは許さないと、ケインに一際厳しい視線を向けた。
ケインは父の視線に気が付くと、瞳を伏せてわたしの前にひざまづく。
それから訳も分からず混乱しているわたしの手を取り、顔を上げて静かに告げてきた。
「リシェル殿、どうか、僕を許して欲しい。君との誓いを破り傷付けてしまったこと、自分を許せないほど後悔してる。・・僕は、浅はかで思慮の足りないどうしようもない未熟者だが・・、君を心の底から大切に思っている。君の許しが欲しいんだ・・」
「嘘よ!」
わたしは、ケインの言葉が理解出来なかった。
何、今・・何て言ったの?
「もう!お芝居はいいのよ!そんな偽物の言葉なんか貰っても、誰も喜びはしないのよ?」
何なの、これ?いったい何がしたいの?
「言っておくけど、わたしは故郷には帰らないの。ううん帰れないのよ。ここにいるしかないの、あなたの直ぐ近くにずっといるしかないのよ!」
ケインの目が見開く。
「・・それは、誠か?」
何よ、今更後悔したって遅いわ。明日の朝には城中から注目の的よ。
「本当よ!ねっ、しまったと思ったでしょ?早まったことしてしまったわね、お生憎様。だけど、わたしのせいじゃないわよ?あなたが勝手に、罪滅ぼしだか何だか知らないけど、去って行く女を気の毒がって情けをかけたのが間違いだったんだから。」
だが、彼の顔には悔やんでいる様子など、どこにもなかった。
「何故、そんな悲しいことを言う?僕は君が・・ここに留まってくれるのが嬉しいのに?」
ケインはわたしから目を反らさず、鮮やかな笑顔で見つめてくる。
イライラした。何故こんな意味のないやり取りを、延々としなければならないのか?
どうして、わたしをそんな目で見るのよ・・。
「あなたこそ何を馬鹿なこと言ってるの?もういいのよ、嘘なんかつかなくても!」
「何故、嘘だと?」
「えっ?」
「何故、全て嘘だと決めつける?」
ケインは寂しげに表情を曇らせた。
「嘘って言うか・・、元々お芝居だったじゃない?あなたは・・誰にも・・ひゃっ!ちょっと、何を?」
彼がいきなりわたしの手に優しく口付けをした。心臓が止まるかと思うほど跳ねる。
「嘘ではない」
彼が射るような視線を向けてきた。射竦められて体が動けなくなっていく。
「・・あの日、君は泣いていた。」
ケインはポツリと口にした。
「あの日?」
「君が婚約者と別れた日だ。」
「えっ?」
・・見ていたの?
わたしは彼の告白に取り乱して慌てる。
「え、どこから?・・まさか、全部、とか・・?」
あの場に、わたし達以外の誰かがいたなんて、思ってもいなかった。どうして、そんな・・。
ケインはわたしの咎めるような視線に体を硬くする。
「信じてくれ、盗み見るつもりはなかった。君達に気付かれないよう離れようとしたんだ。・・だが、彼が少しの差で先に立ち去ってしまい、顔を会わすのはまずいので時間をずらそうと待っていたら、君が・・・」
ケインは言葉を切って息を吐く。
「泣いてたんだ」
思い出した、あの日こと。フェルナンドの前で懸命に我慢した涙、背中を見せて立ち去る彼の後ろ姿に堪えず出てきた涙。
「正直、驚いた。我ら護衛騎士の前では君はいつも気丈だった。悪いところは全て指摘される。表面だけ見れば君は恐い存在だ。」
何よ・・それ、失礼ね・・。
「だが、僕は知っている。君がただそう振る舞っているだけなのを。君が必死で隠している弱い部分を、僕以外の誰にも悟られたくなかった。」
我が儘だなと、ケインは寂しげに笑った。
「僕に出来るのは、君を笑わすこと・・残念ながら、怒らしてばかりだったが・・それでも、良かった。少なくとも泣いてないだろ?」
彼は眩しそうにわたしを見る。
わたしは慌てて目を反らした。こんな告白を聞いてしまったら、恥ずかしくて目なんか合わせていられない。
「だが、さすがにマルグリット陛下に、君とのことを聞かされた時は無理だと思った。僕は君に嫌われている。そんな、僕では役には立たないとね。」
「でも・・あなたは受けてくれたわ。」
わたしの声を聞いてケインは嬉しそうに笑った。
何故、そんな顔をするの?
わたしのことをどう思っているのか、聞いたら教えてくれるの?
「僕は君には相応しくない男だ。だが、この話を受ければ、僅かの間だけでも近くにいられる。」
「あなたは・・・」
心臓がうるさいくらい早く動いていた。胸が痛くて、このまま本当に死んでしまうかもしれない。だけど死んでもいいからどうしても聞きたい、あなたは・・。
「・・わたしをどう思っているの?」
遂に、言ってしまった。わたしは目を硬く閉じて彼の返事を待つ。
ケインが体を動かすのが分かった。彼はわたしの手を力を込めて握ると、熱い声で囁く。
「好きだ・・」
彼はわたしの手を握ったまま、自分の方へ軽く引っ張る。しっかり足に力を入れておかないと、このまま彼の上に倒れ込みそうだ。
それから、とても真剣な目をして聞いてくる。
「君は?・・君は僕をどう思う?」
ねえ、あなたもわたしの答えを待ってるの?
だけど、そんな彼を見てると、今朝の冷ややかな横顔を思い出して涙が溢れてきた。
「馬鹿、・・・大好きに決まってるじゃない・・あなたが、冷たくわたしを無視した時、わたしが・・どんなに悲しかったか、知ってる?・・」
わたしの体は強い力で抱き締められた。鎧ごしの固い胸が、体をしっかりと受け止めて離してくれない。
「すまない、本当にすまなかった・・」
ケインの心地よい声が耳をくすぐり、柔らかい黒髪や熱い唇がわたしの頬や首筋を優しく撫でていく。
彼の全てが、わたしを癒してくれていた。
「ワアアアァァ!」
「おめでとう、二人とも!」
「いいぞー!アナベル!」
その時、周りで急に大きな拍手と歓声が上がる。
驚いて顔を上げると、沢山の人が笑顔でこちらを見ていた。
いつしか馬上試合は中断されており、次に出場する騎士も兜を取り外し、黙って見守っていたようだ。
観客達の中にいる父や母も、そしてケインを慕う女性達も皆、思うところはあるのだろうが温かい視線を向けてくれている。
わたし達は茫然と、こちらを見つめる視線に曝されていた。
そうだ、ここは馬上試合の会場で・・・。
つまりは、衆人環視の直中と言うことで・・。
「いや!」
馬鹿だわ、わたし・・一度お父様が気付かせてくれたのに・・。
わたしが彼の肩に顔を隠すようにしがみつくと、ケインは微かに笑い声を上げながら、わたしの気持ちが落ち着くまで頭を優しく撫でてくれた。
「すまない、本当にすまない、リシェル殿・・」
すまないすまないと、何度も何度も謝りながら。
*
それから、ーーー
今年の生誕祭でのこの出来事が切っ掛けで、その後何年、何十年にも渡って、語り継がれる逸話が生まれることになる。
その逸話は、元の出来事に尾びれや背びれが派手に付きまくり、全く別物に変貌して伝説と化していくのだが、勿論、現在のわたし達にそんなことが想像出来る訳がない。
そして、その伝説が後世の人々に、生誕祭の恋人達という名で親しまれることになろうとは、分かる筈もなかった。
だが、そんな大層な伝説まがいのことではないが、わたし達にも知り得た事柄もある。
それは、ーーー
あの、公衆の面前でのケインの告白でわたし達が結ばれたことにより、若い騎士達の間にそんな告白方法がそれ以降大流行したことだ。
彼らはわたし達にあやかり、わざわざ他人の前で意中の女性に求婚するようになった。
その告白の仕方は一大ブームとなり、やがて城下の騎士以外の民にも広まっていく。
余談だが、次の年の馬上試合には、騎士が大勢ケインの真似をして羽目を外し試合が度々中断された。
その有り様に大変立腹された陛下により、試合中の告白禁止条例なるものが公布されることになるのだが、これも、今現在のわたしには預かり知らぬことである。
では、何故えらそうに語ってくるんだ?、などとは深く追求しないで貰いたい。
大人の事情ということで、寛大な心で見逃して頂くことをお願いする。
わたし達は、生誕祭での花形行事である馬上試合を、個人的な理由で中断させるという大失態を犯した。
当然、平素なら処分を受ける事例だったが、王妃を始め多くの女性の支持を得て何と厳重注意のみの、お咎めなしとなった。
王妃の涙ながらの嘆願に、国王陛下も何も言えなかったそうだ。
大変ありがたいことだが・・後々が少し恐い気もしてくる。気にし過ぎだろうか?
それから、わたしは城に残って王女の侍女長をそのまま続けることが正式に決まり、故郷に帰る父と母を見送った。
二人が、めでたいことが重なると喜びながら帰って行ったのは、つい最近のことである。
そして、
わたしに、また普段の生活が戻って来たのだ。
以前と同じ王女の侍女長として、おませでわがままなお転婆王女と出来損ないの二人の侍女を守りする日々。
ふふふ、嬉しいのか嬉しくないのか微妙なところね・・・。
「リシェルったら、また笑っているわ。」
「本当に。侍女長は気が付けば、にやけた顔をしていて気味が悪いです!」
「まあ、キャリー、あなたもそう思ってたの?」
「勿論です、エミリアナ様もですか?」
「ええ、そうよ。ずっと気持ち悪い顔だと思ってたわ!」
「あの・・エミリアナ様、それからキャリー、わたしも侍女長がこの前、グフッグフフフッと実家の父に似た笑い声を上げているのを聞きました。」
「まあ、ルイーズ、それ本当?」
「はい、わたし恐ろしくて恐ろしくて・・・」
「やっぱり、プリンスは騙されているのよ。わたし達でリシェルを見張ってケインを守りましょう!」
「畏まりました。エミリアナ様!」
「エミリアナ殿下」
わたしは、部屋の隅で二人の侍女とコソコソ話をする王女の背後に、すっくと立った。
三人は、ソファーの陰に屈み込んで隠れるように話をしている。ここは、言わずと知れたエミリアナ王女の部屋の中である。
「何よ?」
王女は剥れた顔をして見上げてきた。
それにしても、隠れていたくせに聞こえよがしなのはどういうことかしら、この悪ガキ三人娘め。
「全部聞こえておりますよ。陰口は本人の前では仰らない方がよろしいかと・・。」
わたしの言葉に、王女はニヤリと意地の悪い笑顔になった。
ムッ、やる気?
わたし達が戦闘体勢に入ったことを敏感に察知したキャリーとルイーズが、そうっと部屋の反対側へと避難を始める。
「陰口じゃないわ。だって本人に聞こえるように言ってたのですもの。強いて言うなら表口ね?」
「相変わらずしょうもない屁理屈を仰ってますね?そのように可愛げのない態度ばかりをとっておいでですと、素敵なプリンスを掴まえることは出来ませんよ。」
わたしがフンッとばかりに鼻で笑って宣言すると、王女は「まあ!」と顔を真っ赤にした。
「リシェル、あなたは、自分に可愛げがあるからプリンスを掴まえたとでも言う気なの?」
「そのようなつもりはありませんでしたが、そう聞こえてしまわれたなら、そうなのでしょうね。」
わたしの横柄な言い方に、王女は更に頬を膨らませて、ベエッと舌でも出しそうな勢いで捨てゼリフを吐く。
「なんて、図々しいの・・リシェルのどこに、可愛げがあると言うのかしら?」
そして悔しそうにプイッと横を向いた。
勝った!
わたしはニンマリとほくそ笑む。
八歳の少女と張り合うなんて、自分でも呆れる程大人げないことは分かっているのだが、情けないことにわたしは王女にしてやられることが多い。わたしの方が十六も年上なのに・・。
だから、このくらい許して頂けるわよね?
だけど、やっぱり不敬が過ぎるかしら?
王女の可愛い睨み顔をニヤニヤ顔で受け止めていると、キャリーが来客を告げに来た。
「エミリアナ様、ケイン様がお目通りをと仰せですわ。」
王女とわたしは驚いて、一時休戦とばかりに目で合図を送る。
(リシェル、この続きはまた今度よ!)
(承知しました)
王女は軽く咳払いをすると、キャリーに目配せをしてケインの入室を促した。
わたしは内心とても緊張していた。
彼に会うのはいつ以来?あっ、昨日以来か・・馬鹿だなわたし、毎日会ってるじゃないの・・たとえ仕事中でチラリと姿を見るだけとはいえ・・。
わたしが独りツッコミを心の中でしている間に、ケインが部屋へと入って来る。
今日の彼は甲冑の装いではなく、珍しく軽装をしていた。
薄いシャツの上に金糸で縁取られた濃い緑色の膝丈のローブを羽織り、腰のところで止めたベルトには剣を下げている。足には茶系の脚衣と革のブーツを履いていた。
ケインは微笑を浮かべて王女の前に進み寄ると、片膝をつき目を閉じてその手に口付けをする。
わたし達は、そんな彼の洗練された一連の動作に、目を奪われて言葉を失っていた。
ああ、もう、格好いいんだから・・・。
そうだ、今となっては、わたしも素直に認めよう。以前は意地を張って、絶対彼を格好いいなどとは思わなかったけれど・・・。
ケインの低い声が部屋に響く。
「殿下にはご機嫌麗しくおいでで、恐悦至極にございます。」
「ケイン、あなた今日はお休みなの?」
王女が彼の服装を見て不思議そうに尋ねた。
休日も王女の前では甲冑姿が多い彼にしては、本当に珍しいことだ。
「はい、今日は休暇を頂いております。」
ケインはにっこりと微笑む。
「ですが実は、マルグリット陛下に召喚の命を受けており、この後陛下の元へ伺う予定です。」
「お母様のところへ?」
王女は眉間に皺を寄せムスッとした顔になった。
「じゃあ、・・もしかしてゆっくり出来ないの?」
「はい、残念ながら」
「もう、お母様ったら・・ケインはわたしの騎士なのに、何かといったら呼び出して・・」
王女は露骨に嫌な表情を浮かべて、王妃への文句をブツブツ呟いている。その顔は不満げであっても、年相応で可愛らしい。
ケインは目を細めて王女を穏やかに眺めていたが、急に頭を下げると真面目な物言いで願い出た。
「つきましては、侍女長殿をお借りしたい。陛下に、共に来るよう仰せつかっておりますので。」
*
「リシェル殿、こっちだ。」
ケインは王女の部屋を退室すると、わたしの腕を引っ張って急ぎ足で階段を降りて行く。
「え、マルグリット様のところへ行くのでしょう?」
王妃の間は王女の部屋と同じ階にあるのだ。なのに彼は下へと降りていってる。わたしは彼の行動の意味が分からなかった。
「勿論伺うが、何も今すぐでなくともよいだろう?」
「どういう意味よ?」
わたしが呆気にとられているうちに、ケインはどんどん足を早めて遂には外へと出てしまった。
「ねえ、他に何か用事でもあるの?」
わたしは前を歩く彼の背中に声を掛けた。
ずっと掴まれている腕が熱い。いったいどこへ向かっているのだろう?
「そうだな、大事な用事がある。」
ケインが足を止めて振り向いた。いつの間にか見慣れた場所に来ていた。
「ねえ、ここ・・」
「ああ」
彼がわたしを連れて来たのは、初めて彼の口から過去について教えられた場所だ。生誕祭の前に警護をしていた彼の横に座って話を聞いた、あの倉庫の裏だった。
ここはあの日と同じで誰もいない。薄暗く光は差さないが、静かで落ち着ける雰囲気がある。
誰からも忘れ去られたような場所、だがわたしにとっては特別なところ・・。わたしは思わず唇に手をやる。
「ここなら、誰にも邪魔をされずに済む。それに僕にとっては、思い出深い場所だ。」
ケインはわたしの瞳をじっと見つめていた。
まさか、同じことを考えている?
恥ずかしくて目を反らしてしまった。分かってる、どうしようもない意気地無しだ。
「こんなところに何の用事があるのよ。嘘を付かないで!」
わたしの子供じみた態度に、彼も溜め息と共に視線を反らす。
「用事ならあるさ。君と二人きりになるという、大事な用事が。」
「なっ・・」
わたしは火が出そうな程顔が熱くなった。きっと、真っ赤になってるわ。
「こうでもしないと、二人きりになれない。休みも違うし、すれ違ってばかりだ。」
「まさか、マルグリット様の話もデタラメだったの?」
「それは、本当だ。ただ、急いで行く必要はなかったが・・」
ケインは頭を掻きながら罰が悪そうに呟いた。
「呆れた、あなたはお休みかもしれないけど、わたしは違うのよ。ちゃんと職務を果たさないといけない身の上なの、分かるでしょう?それにちょっと頼りない部下もいるし・・・責任があるの!」
呆れた嘘付きはわたしだ。
彼の行動が嬉しいくせに、照れ臭くて憎まれ口をきいてばかり。
わたしは緩む顔をケインに見られたくなくて、彼に背を向けた。
「君は相変わらず、お堅い」
ケインの馬鹿にしたような声が聞こえる。
「何よ、あなたが柔らかすぎるんっ・・!」
「だが体は、柔らかい・・」
耳に彼の吐息混じりの声が響く。
気が付けば、わたしは後ろから抱き締められていた。布越しにケインの逞しい胸や腕が感じられる。
「やっと、生身で君に触れることが出来た。」
噛み締めるような声だった。ケインの深い想いが、わたしの心を打ちのめす。
彼の熱い息が、髪や首筋を掠めていった。
「な、何を・・しているの?」
胸の動機が尋常じゃない。血が逆上せたような頭へと全部集まったように感じられて、手指や足には力が入らない。このまま崩れ落ちてしまいそうだ。
「何を?・・抱き締めてるんだ、君を」
ケインがわたしの肩に顔を埋めてくる。彼の唇に、服を通して口付けされているようだ。
「温かくて、柔らかい。本当の君はそんな女性だ」
ケインはわたしの肩を抱く腕に更に力を込めた。心臓がドキンと飛び跳ねる。
もう、駄目。これ以上は立っていられない。少し離れて貰わなければ。
「お・ねが・・、離して・・」
けれどわたしの口から漏れた言葉は、酷く頼りないものでしかなくーー。
「嫌だ、何のためにこんな格好をしたと思う?」
「えっ?」
「君に直接触れる為だ。いつも鎧越しで味気無かった。」
「そっ・・」
本音は、わたしもそうだ。固い鎧の上からではなく、直にあなたの体温を感じたかった。
だけどその感触は、想像以上にまずい事態に追い込んでくる。わたしの初な心臓はとても持ちそうにない。
「心臓の音がする」
「えっ?だ・・だって・」
嘘、やっぱり聞こえてるの?そ・・そうよね、こんなに大きな音で激しく騒いでいるんだもの。
「違う、君のではない」
彼の声が掠れて途切れる。
「僕のだ。僕の心臓・・」
「本当に?」
わたしは驚いて彼の腕から逃れ、背後を振り向いた。力強く閉じ込められていると思ったのに、何故か簡単に振りほどけた彼の腕。
ケインは赤い顔をして横を向いていた。彼は片手で口元を覆うと情けない声を上げる。
「急に振り向くな。驚くだろ。」
「え?だって・・」
「顔を見ていたら言えないこともある。向こうを向け。」
「何よ、それ・・」
もしかしてあなたも、わたしと同じだったの?
胸がいっぱいで震えていたの?
恥じらって横を向く彼に、フェミニストで女性の扱いに手慣れていた以前の面影はない。わたしは、強張った顔が解れていくのが分かった。
「ねえ、その格好でマルグリット様にお目もじするの?」
ケインは突然変わった話題に付いていけず、目を丸くする。
彼は自分の服装を見ながらぼやいた。
「変か?僕の持っている中では上等な部類なんだが・・」
「いいえ、とても似合ってる。素敵だわ。」
わたしがにっこりとして告げると、彼は驚いたように息を飲んだ。
「・・そう素直に出られると調子狂うな。」
たまにはわたしも主導権を握ってやらなきゃ。いつもいつも、わたしばかり翻弄されるのは面白くないもの。
「だけど、どうするの?」
「どうする、とは?」
「もう、鈍いわね、マルグリット様よ!陛下のお話はきっとアレよ?」
わたし達は生誕祭が終わってからというもの、頻繁に王妃に呼び出されていた。出される話題はいつも同じで、それは・・。
「ああ・・そのことか」
ケインは苦笑してわたしを見る。
「君はどう思う?陛下は色好い返事をするまで、きっと納得されないだろう。」
「そんなこと分かってるわよ。わたしより、あなたが大変でしょう?マルグリット様はあなたを責めていらっしゃるんだから・・」
「夫婦になれか・・」
ケインは視線を反らすと、溜め息のような声を出した。
「陛下も罪なことを仰るな。」
ケインの言葉に胸が疼く。
マルグリット様の話とは結婚のことだ。王妃はまるでわたし達の親のように、夫婦にならないのか?、早く結婚を決めないのかなどと言って彼をせっついていた。
わたしは黙って成り行きを見守るしかない。彼が躊躇っているのが分かり、寂しくなってくるけれど。
以前、まさにここでケインはわたしに言ったのだ。誰とも一生結婚する気はないと、だが勿論そのことを王妃は知らない。
「君は、どうしたい?」
突然、ケインがわたしに質問を振ってくる。
「どうって何が?」
彼は、わたしの返事に呆れたような顔をして口籠った。
「・・こんな男の元へ来てくれるのか?」
「え?」
それって、もしかして・・・?
「あなたは、誰とも結婚しないと言ったわ。」
今のは、何?
わたしは震えそうな口元に手をやる。
「ああ、だが相手にもよる」
「どういうこと?」
「君は、お金がないことなど気にしないと言った。」
彼は前髪に手をやり、パラパラと目を隠すようにほぐす。目の下の頬はまた赤みを帯びてきて、声は小さくなっている。
「好きな男が出来たら・・君は・・」
「嫌よ、そんなの!」
わたしは大きな声で叫んだ。ケインが傷付いたような顔をして見ていた。
「ちゃんと求婚してくれなきゃ・・、なし崩しなんて嫌、はっきり言って!」
「リシェル・・」
ケインは白い歯をこぼして破顔すると、わたしの両手を包むように持った。
そして目を閉じて息を吸うと、厳かに声を出していく。
「ずっと君の側にいて、いつまでも君を守っていこう。心から、愛してる。どうか僕の元へ来てくれないか?」
それから下を向いて、神聖なものに触れるかのように、両手にこわごわと優しくキスを落とす。
わたしの前で高い背を窮屈に屈めて、俯いている黒髪の頭が、酷く頼りなく見えてしまった。
「ねえ、わたしだって好きな人の側にいて、その人をずっと守りたいのよ。いいえ、絶対守ってみせるわ。」
ケインは顔を上げると怪訝な顔をする。
「守るのは、男の役目だと思うが・・」
彼はまるで分かっていない。守るとは、何も身体的なことばかりではないのだ。わたしは精神的にあなたを深く包み込んで、悲しみや苦しみから防いであげたいの。
だが、わたしの気持ちを知らない彼は、腑に落ちないとでも言いたげに首をかしげた。
「まあ、いい。・・それで、答えは?」
「その前に」
わたしは彼を睨み付ける。
「まだ何かあるのか・・」
彼はがっくりと項垂れた。そんな表情も新鮮で魅力的だ。
「女性に優しいフェミニストの『プリンス』はどうするの?このまま続けていくの?」
ケインはホッと安心したような笑顔になる。
「何かと思ったらそんなことか・・、勿論続けるさ。プリンスとか言うのは正直遠慮したいが・・」
わたしはめまいを覚えた。
なんですって、それどういうこと?それがたった今、求婚した相手に言うことなの?
彼は照れ臭そうに目を伏せた。わたしがケインを見据えているのを、誤解したみたいだ。
ちょっと全然魅力的じゃないわよ、その顔。
「信じられない。あなた、この先も以前のように振る舞うつもりなの?性懲りもなく色んな女性に色目を使って、モテようって魂胆なわけ?」
そんな人だとは思わなかった。ちゃんと聞いておいて正解だったわ。うっかり情にほだされて承諾していたら、この後ずっと泣きを見るところだったのよ。
わたしはつむじを曲げて横を向いた。本当はケインの前から走って逃げたかったけど、彼がギュッと思ったより強く手を掴んでいて出来なかったのだ。
ケインは虚をつかれたような顔をしていた。
「リシェル・・」
彼は甘い声でわたしを呼ぶ。何よそんな声、今さら出しても無駄なんだから。
「他の人は関係ない。僕が言いたかったのは・・大切な、たった一人の人だけに、という意味なんだが・・」
「それって、誰なの?」
わたしが慌てて彼の方を向くと、ケインは意地の悪い目で見つめ返してくる。そして余裕たっぷりの笑顔で囁くのである。
「今、僕の目の前にいる人だよ。だが・・」
「・・何よ」
彼は片目をつぶってクスリと微笑んだ。
「君がそんなに嫉妬をしてくれるなら、以前と同じく全ての女性にでもいいかな?」
えっ?・・何よ、それ?いつもいつも、人の心を乱して・・。
わたしは彼に手を取られていて、赤い顔を隠すことも出来なかった。唇を震わして抗議の声を上げるしかない。
「酷いわ!」
「酷いのは君だ。散々焦らしておいて・・。君は気付いてないようだが、そんなところはかなり人が悪い。」
ケインはムスッとしたように言い返してきた。
だが彼はふうっと息を吐くと、表情を和らげて熱の籠った目で見つめてくる。褐色の潤んだ瞳が、切なく揺らいでわたしの視線を離そうとはしないのだ。
彼の僅かに開いた唇が動いた。
「リシェル・・それで、返事は?」
わたしも、いつかはあなたを惑わしたい。
そしてわたしに狼狽えて、途方に暮れるその顔を見てみたい。
でも今は、ーーー
胸に溢れるこの気持ちを、素直にありのまま伝えたい。
「勿論、『はい』よ。愛してるわ!」
わたしだけのプリンス!
わたしは彼の手を降りほどいて、その広い胸に力いっぱい飛び込んだ。
それから彼は、うっとりするような微笑みでわたしを受け止めた後、甘くて蕩けるような優しい口付けをくれたのだった。
最後までお付き合いありがとうございました。
この話は、わたしが書いている拙い話の中では、一番多くの方に読んで頂けた話です。
わたしも途中悩んだりもしましたが、最後まで飽きることなく楽しく書けた話でした。
今はとても感無量です。
ありがとうございました。
ご感想とか頂けると嬉しいです。
活動報告の方に裏話的なことを呟いておりますので、ご興味のある方はお読み下さい。
それでは、また!




