第三話:天命回帰《セレスティアル・リバース》
リーヴェンの街へ入る門には、二十人ほどの列ができていた。
荷馬車を引く商人。籠いっぱいの野菜を背負った老人。剣や弓を携えた冒険者らしき一団。
その服装も、馬車の造りも、石壁の上に立つ兵士の鎧も、私には何もかもが珍しかった。
「リゼット、あの人、腰に剣を二本も下げてる」
「双剣使いでしょう」
「本当にいるんだ……。あっちは杖! 魔法使いかな?」
私が指差した先では、長いローブの男が杖を肩に担ぎ、退屈そうにあくびをしていた。
リゼットが私の手をそっと下ろさせた。
「大きな声で指を差してはいけません」
「ごめん」
「それと、あまり珍しそうに見回さないでください。田舎から出てきた者と思われます」
リゼットが小さく息をついた。しばらく待っていると、列が進み、私たちの番が来る。
門をくぐった先には検問用の机がいくつも並び、兵士たちが手分けして旅人を調べていた。私たちは一番手前側の机にいる兵士のところへ呼ばれた。
「身分証を」
リゼットは首から下げていた金属板を差し出した。
兵士が表面に刻まれた文字を確認する。
「冒険者見習いのリゼット・アルノー。今朝から……森へ行っていたのか」
「はい。薬草採取の依頼です」
「そちらは?」
兵士の視線が私へ向く。
「マナです」
「身分証は?」
「これしかなくて」
私は生徒手帳を差し出した。
兵士はそれを受け取り、表と裏を何度も確認した。顔写真と私を見比べ、眉間にしわを寄せる。
「何だ、この文字は」
「私の国の文字です」
「どこの国だ?」
「日本です」
「ニホン……聞いたことがないな」
兵士は隣にいた同僚へ生徒手帳を見せた。そちらも首を傾げる。
リゼットが一歩前へ出た。
「森の中で出会いました。本人の話では、気づいたときには森にいたそうです。私がフォレストウルフに襲われた際、助けていただきました」
「フォレストウルフ?」
奥の机で書類を見ていた年配の兵士が、顔を上げた。
「外縁部に出たのか?」
「はい。北門から一時間ほどの場所です」
「倒したのか」
「彼女が魔法で」
門兵たちの視線が、一斉に私へ集まった。
私は反射的に笑顔を作る。
「どうも」
「杖も触媒も持っていないようだが」
「なくても使えます」
兵士たちの警戒が一段階上がった。リゼットが慌てて口を挟む。
「マナは、遠方から来た魔法使いです。本人にも説明できない事情があるようですが、少なくとも私に危害を加える意思はありません」
「その根拠は?」
「私を助けるためにフォレストウルフと戦い、その後も街まで同行してくださいました」
年配の兵士が椅子から立ち上がった。
「森の方角で大きな音がしたと報告を受けている。あれも君か?」
「たぶん」
「どんな魔法を使った?」
「火の魔法です」
「術名は?」
私は視線を逸らした。
「独自の魔法なので言ってもわからないと思います」
「独自とは?」
「故郷に伝わる、古い魔法です」
「古い魔法……」
年配の兵士は私を不審そうに見ていたが、やがて息をつき席についた。
「身分を証明できない者を、そのまま街へ入れるわけにはいかない。通常なら保証人を立ててもらう」
リゼットが私を庇うように前に出た。
「私が保証します」
「君が?」
「はい」
「見習い冒険者に保証人としての資格はない」
「そう、ですか……」
リゼットが唇を噛む。私は肩に提げた鞄を見下ろした。
中にあるのは教科書とノート、筆箱、体操着、水筒。財布には五百円。異世界で役に立つものは、ほとんど入っていない。
「冒険者ギルドへ連絡してください。フォレストウルフ討伐の確認と併せて、彼女の仮登録を申請します」
「ギルドが身元不明者を受け入れるとは限らんぞ」
「構いません、私が説明します」
「ちょっと待って」
話が大きくなり始めた。
「私、ただ街に入りたいだけなんだけど」
「だからこそ、能力を示す必要があります」
「なるべく目立たず入る話じゃなかった?」
「状況が変わりました。私一人では保証にならないようなので……」
年配の兵士がやれやれといった様子で部下へ指示を出そうとした、そのときだった。
門の外から、馬の蹄が激しく地面を叩く音が聞こえた。
「道を空けろ!」
誰かが叫ぶ。
列に並んでいた人々が左右へ退き、一台の荷馬車が猛然と門へ駆け込んできた。
車体の側面には矢が刺さっていた。
御者の男は額から血を流し、荷台では女性が幼い男の子を抱き締めている。
「治癒術師を! 誰か、この子を!」
馬車が止まるより早く、女性が荷台から降りようとした。
足をもつれさせ、子供を抱いたまま地面へ倒れかける。門兵が駆け寄って支えた。子供はぐったりしていた。
脇腹から血が流れ、衣服が赤黒く染まっている。私は、考えるより先に動いた。
「見せて!」
女性の前へ膝をつき、子供の傷口へ手を当てる。
深い傷だった。傷口を塞ぐだけでは足りない。失った血を補い、損傷した内臓を元へ戻し、体力まで回復させる必要がある。
「何をするつもりです!」
門兵が私の肩を掴もうとする。
「治せる!」
「治癒術師なのですか?」
女性が縋るように私を見た。
「違うけど、大丈夫」
「そんな――」
「マナ」
リゼットの声が飛んだ。私は振り返る。
リゼットは、私の目を見て一度だけ頷いた。
「やってください。私が周囲を下がらせます。見たところ今から街に入ったのでは間に合いそうにありません」
「わかった」
私は子供の体へ意識を集中させた。命を繋ぎ、傷ついた体を元の形へ戻す魔法。
簡単な言葉でも駄目。この子を救えるほどの力を引き出すには、それに見合う名前と詠唱が必要になる。
周囲には大勢の人がいる。全員が見ていた。私は大きく息を吸った。
子供の胸へ片手を置き、もう一方の手を空へ掲げる。
「彼方に満ちる聖なる光よ! 巡りし命の輪を手繰り寄せ、傷つきし者へ今一度、完全なる息吹を与えよ!」
私の周囲に、金色の光が集まり始めた。
見守っていた者たちが息を呑む。
「天命回帰!」
光が弾けた。金色の粒子が子供の体を包む。
裂けていた皮膚が塞がり、流れていた血が止まった。青ざめていた頬へ血の気が戻り、浅かった呼吸が穏やかになる。
数秒後、子供が小さく咳き込んだ。
「……お母さん?」
女性の目から、涙が溢れた。
「そうよ。ここにいるわ!」
子供を抱き締め、何度も名前を呼ぶ。私はその場に座り込んだ。
「よかった……」
「マナ」
リゼットが子供の様子を確認し、驚いたように目を見開く。
「傷が完全に消えています」
「ちゃんと治った?」
「ええ、その点は問題ありませんが……」
リゼットは子供の全身を見た。そこには傷一つない。
「あの重傷を一瞬で治したうえ、体力も回復しているようです」
「ちょっと強くしすぎたかな」
「ちょっとという範囲ではありません。高位の神官でも、これほどの治療は不可能です」
私の周囲で、ざわめきが広がった。
「今の光は何だ」
「神聖魔法か?」
「あんな呪文、聞いたことがないぞ」
周りの人々はちょっとした騒ぎになっていた。
年配の兵士が、呆然と私を見ている。助けを求めていた女性が、私の手を両手で握った。
「ありがとうございます。ありがとうございます……!」
「頭を上げて。助かって、本当によかった。でも、今日はゆっくり休ませてあげてね」
「何とお礼を申し上げれば……」
「お礼なんていいよ。それより、何があったの?」
女性の表情が凍った。
「街道で、襲われたんです」
「魔物に?」
「いいえ。人です」
私は息を止めた。
「十人ほどの男たちが、倒れた木で道を塞いでいました。護衛の方々が戦ってくれて、私たちの馬車だけは逃げられました。でも、後ろにはまだ、もう一台……夫と、娘が乗っています」
「場所は?」
「北の街道です。荷を捨てて、馬を全力で走らせて……十分ほどです。護衛の方々が、馬車を背にして守ってくれています。でも、いつまで持つか……」
私は立ち上がった。リゼットが腕を掴む。
「お待ちください」
「待てないよ」
「状況がわかっていません。人数も、装備も、魔法使いがいるかどうかも不明です」
「見に行けばわかる」
「そういうところです!」
リゼットは声を上げたが、すでに私は門の外へ向かっていた。
フォレストウルフを倒したときとは違う。今度の相手は人間だ。魔法を使えば、傷つけるかもしれない。加減を誤れば、殺してしまうかもしれない。
怖くないはずがなかった。それでも、今この瞬間にも助けを待っている人がいる。
すぐに背後から、リゼットの足音が追いかけてきた。
「せめて作戦を聞いてください!」
走りながら振り返ると、リゼットは少し困ったような表情で叫んだ。
「まず敵を見つけても、一人で飛び込まないこと! 可能なら結界で人質を守り、拘束魔法を使います!」
「わかった!」
「本当にわかっていますか!?」
「たぶん!」
「不安しかありません!」
***
二人が門を飛び出していく。
残された門兵たちは、しばらく声も出せずにその背中を見送っていた。
やがて年配の兵士が我に返る。
「追跡隊を出せ! 冒険者ギルドにも連絡しろ!」
部下たちが慌ただしく動き出す。
机の上には、マナの生徒手帳だけが残されていた。




