第6話 空白
翌週も、瀬尾さんは来なかった。
「今日はお休みなのかな」
最初はそのくらいにしか思わなかった。シフトの都合だってあるだろうし、有給を使うことだってあるはずだ。
けれど、その次の週も、また次の週も。
来るのは、まだあどけなさの残る、新人らしい配達員だった。伝票を渡す手つきもぎこちなく、台車のシートも、雑にかぶせられているだけだった。
「お荷物です」
「……ありがとうございます」
サインをしながら、喉元まで出かかった言葉を飲み込む。
――瀬尾さんは。
聞けなかった。仕事なんだから、担当が変わることくらい普通にある。異動かもしれないし、他のエリアに回ったのかもしれない。理由を詮索する権利なんて、自分にはない。
そう自分に言い聞かせても、胸のどこかに小さな穴が空いたような感覚が消えなかった。
――もしかして、あの一言のせいなんだろうか。
商店街でも、時々その話題が出た。
「最近、あの宅配のお兄さん見ないわねえ」
「シフト変わったんじゃない?」
「若い子に代わったわよねえ、感じは悪くないけど」
誰も、はっきりした理由は知らなかった。ただの世間話として消費され、次の話題へと移っていく。それだけのことだった。
一カ月が過ぎ、二カ月が過ぎた。
雨の日、店の窓から商店街を眺めながら、ふと気づく。
新人の配達員の足音は、もっと軽くて、規則的で、あの独特の間合いがない。
その音を耳にするたび、小さく落胆している自分がいた。
――ああ、そうか。
私、瀬尾さんが来るのを、待ってたんだ。
認めてしまうと、急に虚しさが押し寄せてきた。
たった数回、コーヒーを淹れて、少し言葉を交わしただけの相手だ。それなのに、こんなに気にしている自分が、少し滑稽にさえ思えた。
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閉店後、片付けを終えた店の中は、いつも静かすぎるくらい静かだった。
祖母がそうしていたように、最後にカウンターを拭き、その日最後の一杯を自分のために淹れる。それが、この店を始めてからの習慣になっていた。
湯気の向こうに、ふと浮かぶのは、あの日のカウンター越しの顔だった。
――美味しいです。普段、缶コーヒーばっかりなんで。
素直な感想だった。お世辞のうまい人ではなかった。だからこそ、あの一言が今も残っている。
コーヒーを一口飲みながら、傘立てを見る。あのとき貸したビニール傘は、誰も使わないまま、他の傘に紛れて立っている。
(あの人は今、どこの街を回ってるんだろう)
考えても仕方のないことだった。担当エリアが変わったのなら、もう二度とこの店の前を通ることすらないかもしれない。配達員なんて、そういう仕事だ。決まった相手に会い続ける保証なんて、どこにもない。
わかっているのに、閉店後のこの時間だけは、思考がその方向に流れていってしまう。
雨の音が好きだと思っていたはずなのに、最近は雨が降るたびに、少しだけ胸が重くなる自分に気づく。
台車の音を探してしまうから。
かたん、かたん、という音が聞こえないと分かっているのに、それでも耳が探してしまうから。
「らしくないな」
小さく声に出して、自分を笑う。
カップを洗い、電気を消す。二階へ続く階段を上がりながら、今日も一日、誰にも聞かれなかった疑問を、そっと胸の奥にしまい込んだ。
――瀬尾さんは、元気にしてるだろうか。
分からないまま、きょうもまた雨が降り続いていた。




