2話 旅立ちの時
アタシは手に持っていたレンチを放り投げ、やりかけだったバイクの整備を中断して、その怪しげなフードの男の背中を追っていた。
向かった先は、アーゼリア家の敷地の奥深くにある、古く巨大な地下倉庫だった。
ガラクタと過去の遺物が山のように積まれ、この家の人間であるアタシですら、どこに何があるのか完全に把握しきれていないような埃っぽい迷宮。なのに、前を歩くこの男は、まるで自分の庭を散歩するかのように、一切の迷いなく入り組んだ通路をズンズンと歩き進んでいく。
「ちょっと。なんでアンタは、うちの倉庫を自分の家みたいに歩けるわけ?」
後ろを歩きながら投げかけたアタシの素朴な疑問に、男はピタリと足を止め、少しだけ考えるようなそぶりを見せてから、ゆっくりと振り返って返答した。
「......昔の知人と、ここを拠点にいろいろやってたからね。その名残、って感じかな」
フードの奥から覗くその瞳は、目の前のアタシを見ているようで、全く違うものを見ていた。
何百年も昔の、もう二度と手が届かない遠い遠い場所。アタシなんかには想像もつかないほど重くて、けれどひどく大切だった記憶を引っ張り出すような、そんな遠くを見るような目で、彼は独り言のようにそう呟いたのだった。
埃っぽい空気を掻き分けながら暫く歩き続け、やがてアタシたちは、巨大な地下倉庫の最奥らしき、厳重に封をされた古い鉄扉の前に到着した。
「......俺はここまでだ。後は、運命が君を連れていってくれる」
男はピタリと歩みを止めると、懐から古びた、けれど鈍い魔力の光を放つ重厚な鍵を取り出し、アタシの手のひらに押し付けた。
そして、戸惑うアタシの背中を、トン、と親しい友人を送り出すように優しく前へと押し出した。
「ちょっと、アンタ......!」
慌てて振り返ろうとしたアタシの耳に、暗闇の奥へと静かに遠ざかっていく彼の足音が響く。
その孤独な足音に混じって。
見えなくなるその後ろ姿から、微かに、けれど千年分の途方もない祈りを込めたような声が届いた。
「───────後は任せたぞ、そっちの俺」
誰に宛てたのかもわからないその不可解な言葉を残し、フードの男は一人、どこか寂しげな背中を揺らして去っていった。
薄暗い最奥の空間に取り残されたアタシ。
手のひらに握らされた冷たい鍵の感触と、背中に残る不思議な温もりだけが、あのアタシの心を撃ち抜いた不審者が、確かにここに居たという唯一の証明だった。
◇◇◇◇◇
分からない。あの男が一体誰で、アタシに何を託したのか。そして、この先に何が待ち受けていて、これからアタシは何をすべきなのか。
正直、意味不明なことだらけだ。でも、そんな悩みなんて、今のこの胸の高鳴りに比べたら些細なものだ。
理屈じゃない。アタシの血が、魂が、そう叫んでいる。
───────これはきっと、アタシにしかできないことなんだ
退屈だった日常をぶち壊す、最高に面白くて、最高にロマンのある何かが、この扉の向こうでアタシを待っている。それだけ分かっていれば、今は十分だ。
スゥ、と大きく深呼吸をして、ドキドキと早鐘を打つ心臓をどうにか落ち着かせる。
そしてアタシは、男から渡された冷たい鍵を不自然に空いている壁の鍵穴へと差し込み、躊躇うことなく回した。




