第六章 君よ知るや東の国
オクタリアはトリトニアよりは東にある。
人口十二万の、割と小さめの国家だった。
女王の治める国、というだけあって、女性の勢いが強い国であった。
そう思って見ると、道行く人々の割合さえも女性の方が勝っているような気がした。男性が決して貧相なわけではないのだが、全体的に女性の体格がトリトニアのそれを上回っているため、女性が幅を利かせているように見えてしまう。上背のある者も多かったし、でっぷりと体格のいいおばちゃんすらいた。
服装はドレスばかりでなく、トリトニアの男のいでたちである丈の短い上衣や、ドレスを真ん中から二つに割って裾で束ねたようなパンツルックの者が目に付く。ムラーラの成人の式の衣装に似ているな、と一平は思った。
確かに、裾がまとわりつかない分、いわゆる男の服装は動きやすい。
オクタリアでは働き手は男女平等、女性が一家の大黒柱であることも珍しくない。いや、むしろその方が多い。
それに従って、国の重要な位置を占める役職にも当然女性が就きやすくなっていた。ムラーラのミラが聞いたら身を乗り出して聞きたがるに違いない。それどころか、このオクタリアまで実際に見聞きしにやってくるかもしれない。
驚いたことに、女王の周りを固める側近たちも全て女性であった。
伴の一人もつけずに使者に立った一平は、女の城にただひとりで乗り込むことになる。
その他の国からの訪問者もどちらかというと女性が多い。この国の事情をよく心得ていて、『郷に入っては郷に従え』という言葉を実践しているのだと思われた。
実際トリトニアからも、今までは女性が使者に立つことの方が多かったという。
この国では混乱と流血を避けるため、世襲制を廃止している。
この国を治めるのは国民の総意によって選ばれた、実力と信頼の篤き者である。
その昔、一族の純血を守るため、王家以外の血が混ざることを嫌ったオクタリア王家は、近親による婚姻を繰り返した。その血のあまりの濃さに、やがて王家には奇形や痴呆などの障害を持った者が多く産まれるようになった。頑固に世襲を守り続けるうちに、ある時王が発病する。精神に異常を来たし、残虐な独裁政治を引き起こした。
王の狂乱に対し一致団結した国民は、これを機に世襲制を廃止し共和政へと急速に移行させた。男性の手による恐怖政治に嫌気がさしていた国民は、投票で女性の王を選び、十年ごとに改選することを決めた。選ばれた女王はそれまでの名を捨て、オクタポーダと名乗る。今回十六世が誕生するオクタリアの女王の歴史は百五十年前から始まったのだ。
十六代目女王オクタポーダ十六世は、オクタリアの宮殿で一平たち他国からの訪問客をもてなしていた。
王位を継いでまだ一週間と経たぬ女王は三十前と聞いていたが、そうは見えなかった。もう既に貫禄がある。四年前に二十九歳だったムラーラのミラよりも五つ六つは年上に見える。
聞くところによると、この女王は辺境の海主の家に生まれたという。海主とはオクタリア独自の呼び方で、いわゆる領主のことだ。七年前にこの家督を受け継いだ彼女は、生まれ持った交際の手腕を発揮して手広い事業を開始。次々と成功を収め、その過程で得た人脈を元にこの度の改選に立候補。領民をはじめとする各地の支持を集めて王位を獲得したという野心家だそうだ。
結い上げた髪から一房ずつ、巻いた髪が両頬を縁取っている。顔立ちはキリッとしてやり手の顔だ。美人と言えないこともないが、目つきに剣呑なものを秘めていて油断のならない雰囲気を醸し出している。夕焼け色のドレスはぴったりとしたもので、まだ衰えるには早い身体の線をくっきりと浮き出させていた。自分の身体に自信がなければ着れないタイプのドレスだった。
各国からの使者が順を追って次々と女帝の前に進み出てゆく。どこの国も大人数だった。一平のように一人で来ている国はなく、少なくとも三人はいた。遠方になるに従ってその傾向が強いようだ。トリトニアはオクタリアからはかなり離れている。これまであまり親交のなかった国だ。
だが、先年新しく点繋道が発見され、トリトニアもぐんと近くなった。国と国とを直接結ぶものではないが、途中にある深い海藻の森を飛び越えるだけでも大幅な時間短縮になる。
十ヶ月前の一平の守人就任の際にも、この道を使ってオクタリアからの使者が間祝いに訪れている。その時は先代のオクタポーダ十五世からの使者であったが、礼儀としてオクタポーダ十六世へもその礼を申し述べねばならない。オスカーが一平を一人寄越したのはそういう意味もあった。
玉座の前に、一平は腰を折り膝をついた。
「お初にお目もじ仕ります。トリトニアの青の剣の守人、一平と申します。わが主、トリトニア国王オスカー三世陛下の名代としてまかり越しましてございます。陛下にはご機嫌麗しく、この度の戴冠を誠に慶ばしく存じ上げる次第です」
口上を述べる一平に向かって、オクタポーダ十六世は静かに頷いた。
「また、前の女王陛下には、私めの守人就任に当たり、大層なお祝いのお言葉を頂戴しましたこと、有り難く承りました。先般の御礼方々、新女王陛下にお祝いを申し述べ、わがトリトニアとの友好の度をますます深めていただくように諮れ、と固く言いつかって参りました。何卒、主より承りましたお言葉をご拝聴いけますよう、伏してお願い申し上げます」
頭を垂れる使者を睥睨し、女王は答える。
「面を上げられよ。わが友よりの志、しかとわれに伝えられい」
「お言葉に甘えさせていただきます」
一平は頭を上げ、女王の顔を正面から見た。
「主はこう言われました。
―親愛なる隣人であられるオクタリアの人民よ。古きを廃し、新しきを擁する新進の民よ。利発で人望篤き女傑を新女王に迎えられたること、心よりお慶び申し上げる。
わがトリトニアとオクタリアとは森を隔て地と水を隔てること五千アリエルを超える。これまではこの距離が双方を寄せ付けず、却って和平を保つに一役買っていたが、これよりは距離に関係なく友好を深められる間柄となれることを祈念している。新女王陛下の新たなご政策の一環に、わがトリトニアとの外交重視の項目を付け加えていただきたくお願いしたい。
これなるはわが自慢の娘婿。―と陛下は仰られましたが、『不肖』の間違いでございます―単身オクタリアへやりたるは女王陛下への信頼の証し。過度なもてなしは不要なるも、よく会談し、互いの懐を温めていただけることを希望する―と」
一旦言葉を切った一平に向かって女王は大きく頷いた。
「オスカー陛下の言われる由、よくわかった。この形式謁見後に、ゆるりと話し合いましょうぞ」
女王の言葉を伏して受け、更に一平は言う。
「友好の証としてお祝いの品を持参いたしました。どうぞご笑納ください」
懐から小さな箱を取り出す。
「真珠の胸飾りでございます。
ご存知のようにトリトニアは真珠の排出国。そして王妃陛下は真珠の加工品造りに秀でたお方でございます。これなる胸飾りはシルヴィア陛下のお手になるもので、トリトニア国内でも滅多に身に付けられる者はおりません貴重品でございます。是非ともオクタポーダ十六世陛下に献上し、戴冠の喜びを分かち合いたいと、主より申しつかって参りました」
見事な品だった。パールが髪に差しいたのよりはずっと大粒の真珠をベースに、細かい真珠がレースの縁取り模様のように連ねられている。
「…素晴らしい品じゃ。両陛下にくれぐれもよろしく伝えてもらいたい。オクタポーダは天にも登るほど喜んでおったとな。かの噂に高い青の剣の守人ご本人をこの地に遣わせてくださったことにもお礼を申し上げたい。思っていた以上の好男子で、オクタリアの宮殿中が色めきたったとな」
いきなり自分のことを持ち上げられて面食らったが、表面は動じず受け応えた。
「お戯れを…」
「いやいや。この後の舞踏会が楽しみだわ。男性が少ないせいもあるがな。ぜひ宮廷中の女性たちを喜ばせてやってもらいたい」
ダンスパーティは苦手だ。パール以外の女性を誘わなければならないのなら尚更だ。一平は言い訳する。
「‥…せっかくですが…私めは妻を亡くしたばかり。悲しみの癒えぬこの身で他の女性を喜ばせることはできかねます。せっかくのご配慮ありがたいと思いますが、今回に限り、私は壁の花とさせていただきとうございます」
一平の意外な反応に、女王は頓狂な顔をする。が、思い直したように言った。
「そうであったな。一平どのは過日奥方を亡くされたのであったか。だが、確かもう二ヶ月は経つと聞いているが。トリトニアではもっと服喪期間が続くのだったか!?」
「いえ。…それでは私が祝いの使者に立つこともままならなくなります。あくまでこれは私の気持ちの問題。女性に対しそのような気分にはなれない、と言うことでございます」
「わらわも女性だが?」
いたずらっぽい。わずかな矛盾を突いてくる。
「陛下は特別でございます。女性としてではなく、一国の君主としてお慶びを申し上げました」
「そなた…相当意志の強い男だの。見事なまでに潔癖だ」
心より感服したかのように女帝は言う。
「…身に余るお言葉…」
「まあいい。別口で楽しんで行ってもらおう。では、後ほど会談でな」
「は…」
ひとまず、大事な謁見は終わった。
女帝はは一平がいたく気に入ったようだった。
年齢的に十ほど年下になるのだが、しっかりしているので老成して見え、歳の割に頼もしいと思う。この若さでトリトニアの守人という重大な地位につくだけの器量をしかと見定めた。
この男が守人としているのなら、トリトニアは安泰だ。オスカー王も確かこの男より若くして王位に就いたのではなかったか。トリトニアではトリトン神が守人を選定すると聞いているが、これほどの若者に国を任せるとは、人生経験豊富なことに勝る何かをトリトニアの人々は身の裡に持って生まれてくるのかもしれない。
いずれにしろ、基盤のしっかりした安定した国だ。トリトニアと事を構えるのは望ましくない。遠方なので領土を拡大する相手としては考えられないが、何かの時に支援をしてもらう同盟国となれればこれほど心強いことはない。
何とかこの男を味方につけることはできないだろうか。
その後の会談で、一平の人柄とトリトニアの様子を知り、オクタポーダは強くそう思うようになっていた。




