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第五章 怒りの日

「オクタリアの親善使節!?」

 オスカーよりの使いに告げられて、一平は訊き返した。

「オクタポーダ十六世陛下即位祝いの献上役をお願いしたき由」

「それは…守人の役目のひとつだったかな?」

 心許なげに、一平は首を傾げた。

 侍従長のブルッフがすかさず申し述べた。

「親善のための大使のお役目は重要です。国交の大きな鎖のひとつでございますから。国内の重責にある者の中から選ばれるのが常ですので。守人が任命されるのは妥当な線でしょう。陛下自ら出向いてもよいくらいです。ですが、今のトリトニアの現状では陛下が国を離れる事は叶いますまい。よって、わが主どのに白羽の矢が立ったのでしょう」

「オレとて、暇なわけではない…」

 一平はぼそりと呟いて目を転じた。息子の寝台の方へ。


 王の使いは何だかおかしいと思い始めたようだった。

 右宮の主である青の剣の守人の元には何度も使いに来たことがある。新しい守人の一平はこんな物言いをする人物ではなかった。見るからに頼もしい外見は、中から発する清々しいほどに誠実な意志の強さというもので惚れ惚れするほど輝いていた。こんな拗ねた、吐き捨てるような言い方を自分のような者にすらすることはない人であった。これではまるで、王の言葉を皮肉っているようではないか。

 やはり、あの噂は本当であったのかと、使者の胸に翳りがさす。


 ブルッフはあわあわとこの場を取り繕う。

「仕事の調整は私が。うまく厳選して守人どのがお使者に立てるよう取り計います。そう、王にはお伝えください」

 主を差し置いてしゃしゃり出るなど、家臣にあるまじきことだったが、今の右宮においては必要だった。元々尊大な質ではない一平は部下の態度に不快を表すことは滅多になく、言葉遣いを改めさせたりすることもなかったが、これでは守人本人の返答を尊重しているとは言い難い。しかし一平はその道理についても無頓着でいた。

「主どのは少々過労気味でしてな。頭が朦朧としておられるのだ。気にせず、私の申したことのみお伝えください」

 こそこそと耳打ちちしてブルッフは使者を送り返した。

 使者は思った。

 勿論だ。『オレとて暇なわけではない』と守人が言ったなど、口が裂けても言えるものか、と。



「…どういうつもりだ?…」

 一平が尋ねた。

「…は?…」

「祝いの席になど、オレは行かないぞ」

「一平どの!」

 拒否の言葉をぶつけられたブルッフは目を剥いた。

 使者の手前、体裁を取り繕ってくれた侍従長を立てて、あの場で一平は何も言わなかった。了承の意味にとっていたが、実はそうではなかったのか!?

「何を仰られます?国王陛下からのご勅命ですぞ」

「返答したのほおまえだ」

(それは、私に行けということか?)

 ブルッフは青くなった。

「先ほど申し上げましたが、調整はできます。ご都合はつけられるのです。右宮に籠っておられるより、外でご任務に就かれた方が気も晴れるのではありませんか?」

「オレにはすることがある」

「すること…と申しますと?」

「こいつの面倒を見てやらねばならぬ。他国になど出向いている暇はない」

 一平の眼差しは、静かに愛息の寝顔に向けられていた。


「アスラン…さまのことでございますか?」

「……」

 ―他に誰がいる!?―

 口に出さなくても、一平の全身がそう語っていた。

「少々おかわいそうですが、乳母も元気でおります。一週間ほどです。お預けになっては!?」

「この子にはこの先ずっと母がいないのだ。一週間とはいえ、父親までそばにいなくなってはもっとかわいそうではないか」

「……」

「オレは行かぬ。アスラン同行でよいなら話は別だが」

「一平どの!」

 ブルッフは泣きそうだった。体格のいい立派な男がこんなふうに駄々をこねるなんて契約違反だ!と思った。

「アスランはオレの子だ。パールが生命をかけて守った息子だ。この子のことはあいつに任されている。オレの一番大事な責務だ…」

 一平の声は静かだった。

 眼差しにもその仕種にも、どんな母親にも負けないほどの愛情が込められていた。

 ブルッフは、またしても頭を抱えた。



 説得にやってきたのはオスカーだった。

 王自ら右宮へ出向くのは珍しい。

「陛下…」

 流石に、国王の前ではそうそう落ち込んではいられない。

 というより、習性だ。オスカーに認めてもらうために、特にオスカーの前では一平は気を張り詰めて過ごしてきた。つまらぬぼろを出してはならないと、パールの伴侶に相応しい男であると認めてもらえるよう常に努めてきた。パールの求婚者でしかなかった頃の緊張感は、いまだにオスカーに対する度に自然と湧き上がってくる。


「あまり気乗りがせんようだな」

 単刀直入に、王は切り出した。

「…え…」

「オクタリアの使節のことだ」

「はい…まあ…」

「無理難題を吹っ掛けるつもりはないが…私はぜひおぬしに行ってもらいたい」

「……」

「おぬしはもう立派にトリトニアの柱のひとつだ。パールはもういないが、これからも共に国を守ってゆく立場にあることは変わらない。おぬしと共に背負ってゆけるのなら私はこの上なく心強い。このオスカーの右腕として、諸国におぬしの存在を認めさせたいのだ。人の口に戸は立てられん。本人を見てもらうのが一番だ。違うかね?」

「いえ…」

「オクタリアの女王は国民の中から選抜されるそうだ。有権者が投じた票の獲得数が一番多い者が王位に就くのだ。従って、国外の者には見識のないことが多い。実際私も会ったことはないし、噂でしか為人を知らん。おぬしに…見定めてきて欲しいのだ。その眼力で…」


  ―おまえには眼力もあるんだな―

 何年も前に言われた言葉が蘇った。

 ムラーラのミラが、一平にそう告げた。武術の師匠だ。

 彼女の採った行動を、額面通りに受け取らなかった一平の直感と、真実を真っ直ぐ見抜かんとする姿勢を評して言った言葉だった。

 一平に対してそういう感想を抱いていたのはミラだけではない。この義理の父親に当たるオスカーも、とうの昔に彼のそういう資質を見抜いていた。オスカーこそその才能を最も高く身につけた一人だったが。

「私が行くべきなのだが、今はそうもいかぬ。察してくれようぞ」

「陛下…」

「おぬしをおいていないのだ。適切な地位と能力を兼ね備えた者は」 

 身に余る言葉だった。



 オスカーの口から賛辞の言葉を聞くこと―決して初めてではなかったが、それは一平にとってこの上ない喜びであった。いつ、いかなる時にも自分は見られている、試されている、と意識し続けた彼の健闘を称え、努力を評価してくれるのは、オスカーによる褒め言葉をおいて他になかったのだ。

 オスカーの許可と祝福のないままにパールをわがものとしたとて、それは本当の幸せとは言い難い。パールの生まれ持った王女という身分としがらみは決してパールひとりのものではないのだ。何十人、何百人、何千人というトリトニアの人々の祝福と期待を受けて、パールはこの世に生を受けたのだから。ぽっと出の何の身分もない男が横からかっ攫って済む問題ではなかった。


 何の色眼鏡もかけずに一平そのものを丸ごと見て受け入れてくれたパールとその周りの人々に、後ろ足で砂を掛けるような真似はしたくなかったし、してはならなかった。一平はパールの存在そのものに付随してくる全てのものを丸ごと受け入れる道を選んだ。パールが大事なものを何も失うことなく、幸福になれる術を模索した。その結果彼の道はトリトニアに留まり、守人となり、パールを守る道へと定まった。

 そのためには、修錬所の教授やオスカー王の認定が不可欠だったのだ。

 だが、その励みとなったパールはもういない。


「陛下…オレは…オレはパールを守りたかったんです。この国より…人々より…何よりもパールを…。パールさえいれば、オレはそれでよかったんだ…」

 空しくて虚ろな気持ちが押し寄せ、一平はまたしても愚痴をこぼしていた。

 オスカーならばこの心の痛みをわかってくれるのではないかと、心の奥で甘えていたのかもしれない。

「…感謝しているよ。おぬしには…。おぬしなしではパールは存在しなかった。私どもの元へ愛しい娘を帰してくれたのもおぬし。数々の試練から娘を救ってくれたのもおぬし。あの子に愛する喜びを教えてくれたのもおぬしだ」

 オスカーはせつせつと言葉を発する。心底からそう思っていることがわかる。


「…守れ…なかったんだ…。あれほど…誓ったのに…。どうしてオレは、パールの盾になってやれなかったんだろう?どうして、パールひとりがあの力を授かり、力尽きなければならなかったんだろう…。オレの方に、あの力があったなら、あいつを救えたのに…。あんなか弱い身体で、堪えきれないような使命を、神はなぜあいつに課したんだ」

「おぬしのせいではない。おぬしはおぬしにできることを、力一杯行なったではないか。それで何万という民が救われたのだ。自分を責めるな」

「でも…パールは救えなかった…」


 何万人もの人が助かっても、一番必要な人がいない世は一平にとって何の意味もない。

 オスカーは項垂れる一平の傍らに屈み込む。

「人はいつか…必ず死ぬるのだ。早いか遅いかの違いだ。それまで、どう生きたかが重要なのではないかね?」

 正論だ。正論だが…。

「パールは幸せだった。おぬしを愛し、愛されて、数々の喜びを知って逝った…。おぬしがパールを幸せにしたのだ。おぬしはパールの幸せを守ってくれた。私はそう思う…」

(パールの…幸せを!?…守った!?…オレが?…)

「おぬしのような男に、それほど思ってもらえる娘を、私は誇りに思うぞ」

「陛下…」


「使者にはただ一人で立つがよい。悲しむなとは言わぬ。だが、泣くだけ泣いたら以前のおぬしに戻ってくれ。おぬしに惚れ、頼りにしているのはパールだけではないということを、忘れてくれるな」

「……」

「アスランは、私とシルヴィアが預かろう。さすがに乳は出ぬから乳母の世話にはならねばなるまいが、我らとて、アスランのじじばばぞ。孫にかける愛情はおぬしには負けていないつもりだが!?」

 国王にそこまで言われて否とは言えなかった。

 何より、独り旅、というのが今の一平には有り難かった。


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