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第四章 神は勇者を守りたまう

 自分では埒が明かないと判断したミカエラは、話をオスカー王の方に持って行った。

 一平本人のためにできればオスカーの耳に入れたくなかったが、仕方がない。

 一大決心をして相談に出向いたのだが、何とオスカーは既に一平の変貌を知っていた。乳母からの報告によって。

 一日中乳母に任せきりにしていたアスランを、ある日一平が突然自分の部屋へ連れ戻し、乳の時間に飲ませに連れてくる他は全て一人で世話をしている、との報告を受けていたのだ。


 パールの生前は、アスランの部屋は夫婦の部屋の続き部屋であった。一平はそれを突如元に戻したのだ。誰にも、何の相談もなく。

 一番面食らったのはアスランの世話をしていた乳母である。今回の乳母の職というのは、オスカー王直々に賜った仕事であり、契約していた責務を全て果たせないとあれば、職務怠慢で馘首、ということになりかねない。よそから耳に入るよりは自分で事情を申し述べた方がよい、との判断から直訴に至ったのだ。これも気配りの行き届いた一平の人柄からは考えられない出来事だった。


 オスカーには一平の気持ちはわからぬものでもない。それどころか、他の誰よりも一平に近い気持ちを抱いていたかもしれない。パールはオスカーにとっても失いたくない宝だったのだから。

 少女時代の終わりの、可愛くてどんどん美しくなってゆく数年間を共に過ごせなかったオスカーには、心残りが多かった。しかも、死んでしまったと思っていた娘がやっと帰ってきた時には、既に娘の心には一人の男が住んでいた。揺るぎのない存在として。信頼と尊敬と、愛を捧げるに値する誠実な男は、パールの心に占める父親の座を凌駕していた。


 父親にとって娘の想い人がどれほど複雑な存在であるかはどこの世でも同じだ。娘の成長を感慨深く思うと同時に、可愛い娘の心を奪った男には憎しみすら感じるものだ。オスカーもそうだった。

 だが、パールの選んだ男はオスカーにとっても興味深い、心底男惚れするような男だった。国を治める立場にあるオスカーにとってはまたとない逸材。手元に置き、育て、力を貸してもらいたい。次代の守人の資質を持つ勇気ある若者だった。

 いずれ嫁に出すのであれば、この男より頼りになる者はいまい。更に、トリトニアの柱の一つとして手元に繋ぎ止めたい。二つの望みはオスカーの中で見事に合致した。

 そしてオスカーが手を貸すまでもなく、一平は己の力で自分の希望をその手に掴み取ったのだ。

 

 ふたりのそばで、或いは一歩離れたところで、オスカーは娘たちの恋の行方を見守り続けてきた。何よりもまず娘に幸せになってもらいたかった。

 そして娘は幸せを手にした。婚約してから一年足らず、パールはトリトニア中の幸せを一心に集めたように美しく輝いていた。

 夫となった一平が同じように幸せでなかったはずはない。彼から滲み出る意欲も豪胆さも優しさも、パールの愛を糧として育っているのだと、オスカーは見てとっていた。

 だからパールのいない今、一平から輝きがなくなっていくのは当然なことのようにも思えた。



 だが、彼はまだ若い。

 このまま人生に絶望して生きる力を失ってしまうには一平は若過ぎた。

 正直あまり嬉しくはないが、後添えをもらって新しく人生を踏み出すことのできる年齢だ。その上能力も高く、人柄、容姿共に申し分のない男だ。募集をすれば花嫁希望者はごまんと集まるだろう。

 それだけの魅力のある男だ。守人の資質を有する彼がこのまま終わってしまうはずはない。

 これは一時の気の迷いだ。気持ちが弱っているだけだ。何かのきっかけが、時が、必ず解決してくれるとオスカーは信じたい。

 周りが作為的に何かを仕掛けても多分埒は明かない。

 これは一平自身の内なる敵との闘いだ。他人にはこれを回復させる手段はない。

 オスカーはそう考え、ミカエラにも思ったままを告げた。


「しかしこのままでは右宮の就業に支障が出ます。何より士気の低下がおそろしい」

 ミカエラはオスカーに憂いを告げる。

 一平の管轄下にある右宮は武人の宮。配下は主にトリトニア軍の軍人たちである。その親分が腑抜けでは軍の名折れ、国の恥であった。

 オスカーは提案する。

「しばらく、ここを離れさせよう」

「…と、申しますと?」

「傷心旅行を、勧めようと思う」

「傷心旅行…ですか!?」

 失恋の痛手を癒す目的で、人々が時折とる手段である。諸国遍歴の長かったミカエラにも少しは覚えがある。


「それは奴のためには名案かと思いますが、右宮の方はどうします?そのように女々しい目的では休養理由の正当性にも欠けますぞ。いずれにしても士気は下がりましょう」

「名目など、いくらでも考えるさ。私の命で使者に立たせる」

 戦の指揮など、守人が右宮を留守にする例はよくあることである。

「…どのようなことで使者に立てるおつもりですか?王よ」

「なるべく遠方がよいと思うが。…オクタリアはどうであろう?新女王の即位式が近い。祝いの使者をしてもらっては?」

「なるほど…」


 ポセイドニア十国のひとつ、オクタリアは女王の国である。彼の国では王位の任期が決まっていて、その度投票によって女王が選ばれるという。先頃第十六代のオクタリア女王が決定し、二週間後に挙行される即位式に招かれた矢先であった。

「しかし…祝いの席、というのはどうでしょう。なにしろあの鬱状態だ。先方に失礼な態度と受け取られねばよいが…」


 ポセイドニアには喪に服す、という考え方はなかった。近しい人の死は悲しいものだが、人はそれでも生きてゆかねばならない。どんなに辛く悲しくとも、なるべく早く平常時の生活に戻り、与えられた生命(いのち)を精一杯生きることこそ美徳だと思われていた。

 子孫を増やすために、それこそ連れ合いを亡くしてすぐに再婚することも少なくない。世間も、それを取り立てて責めたり不快に思ったりすることもない。気持ちの切り替えができないことは身に危険を呼び寄せ、確実に死に繋がることである。決して互いの愛情が薄いということではない。


 だから、妻を亡くしたばかりの一平が慶事の使者に立つことはここではおかしなことではなかった。喪が明けるのは一年経ってから、という風潮の日本に生まれ育った一平には馴染みにくい感性だ。二ヶ月も経つのにうじうじしている一平の方こそ、人々の目には異様に映り、自分たちとはどこか違うのだと首を捻らせることになっていた。

 死の間際にパールが一平の吐き出すべき心の内を抑え込んだことなど、人々には知る由もない。そのため、今頃になって嘆き悲しんでいるのだということも。



「レレスクの状況視察も必要な時期だが、あそこも一平どのにとってはパールを思い出させる国であろうし、ガラリアにしても同じこと。ジーやテトラーダとは定期的に連絡を取る役目の者が他におるしな。間者というわけにもいかぬだろうし」

「はあ…」

「遥か彼方、太平洋のムラーラとも親交を持ちたいものだが、そこまで長い間一平どのにトリトニアを離れてもらうわけにもいかぬ」

「ごもっともですな…」


 一平とパールが旅の途中で滞在したという幻の国ムラーラ。

 生活様式に似通ったところのある彼の国の話を、オスカーは一平にせがんで聞き出していた。

 そこには二人にとって初めての師匠となった人々もいる。訪れれば歓迎してくれるであろうし、一平にとっても懐かしく嬉しいことだろう。そして、昔馴染みがトリトニアの重要人物だとわかれば、友好関係を結ぶことすら可能なのだ。

 だが、今はだめだ。

 そんな所へ派遣したら、それこそ彼はトリトニアへ帰ってこないかもしれない。オスカーにはそんな気がした。


「どこぞで妖物が暴れ回っているというような情報はありませなんだか?それこそ奴には適任。化け物退治なら一平どのの右に出るものはおりませんからな」

「残念ながら…と言うのも奇妙な話だが、今はまだ妖物どももあの災害から立ち直りきっていないのだろうよ」

「そうするとやはり…オクタリアの件しかありませんか…」

「ないこともないが。…武人にわざわざしてもらうような用向きではないかな!?」

「名目はいくらでも考えると仰ったではありませんか」

 オスカーがあまりにあっさり言うもので、ミカエラの声は呆れて大きくなった。

「適当な口実があるのだ。よいではないか」

「適当…ですかねえ…」

 いまいち疑問が残るミカエラである。


 旧友でもあり、長年共に守人としてトリトニアを預かってきたこの王には、多分にお気楽なところがある。物事を楽観的に見ることで、時世の流れを自分が思う方向へと引っ張って運を味方につける。そういう生き方をしてきた男だ。王族という血筋が物事に対する不安を打ち払い、揺るがぬ自信として彼を支えているのかもしれない。見ようによっては軽率で、愛嬌のある男であった。

「曲がりなりにも一平どのはトリトン神にこれと見定められた男だ。今はああでも、いざという時には本来の力を発揮してうまくやってくれると、私は期待しているのだがな」


 確かに今はいざという時ではない。大きな『いざ』は二カ月前に片がつき、やり残された仕事も大方目処がついたから彼はこうなのかもしれない。

 今の一平にはやるべきこと、しなければならないこと、彼でなければ成し得ないことに取り組ませる必要があるのだ。その点はミカエラにもよく理解できる。

「ダメ元だ。早速、祝いの品を取り計らおう。おぬしもよい知恵があったら何なりと申し出てくれ。それと、一平どのが不在の間、ブルッフの補佐を頼むぞ。いろいろと力になってやってくれ」

「かしこまりました。不詳の弟子と言わざるを得ない状態になり、面目次第もござらん。王のお手を煩わすなど、恐縮至極で…」


 言いながらミカエラはポリポリと頭を掻いた。

「なに。一平どのはわが娘婿。義理ではあるがわが息子だ。そして、どんなに尽くしても返せぬほどの恩がある。気にするな」

 穏やかに、オスカーは八歳も年上のミカエラの逞しい肩を叩いた。

 そして寂しそうに呟いた。

「あれが生きていれば、何も問題なかったものを…」

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