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第十八章 愛しきものはかく語りき

 ―神!?―

 今までの数々の不思議な出来事は、皆この声の主によって導かれたものなのだ。この声の主が、一平とパールを会わせ、力を与え、そして使役した。自分の目的のために。

 自分は操られていたのだ。神の力によって。

 そうと気づかぬままに、神の手で翻弄され続けてきたのだ。

 そしてその結果、パールは死んだ。


(仕組まれたものだったのか?あの出会いも、数々の試練も、パールがオレを慕ってくれたことも、守人となれたことも!?)

 パールを好きになったことも、自分の意思ではなかったのだろうか?自分はただの操り人形か!?

 一平が考えていることは声の主にはお見通しらしい。

「それは違う。守人になれたのはおまえの力。素質は与えることはできてもそれを自分の力として身につけるのは人の意欲、やる気が無くては叶わない。

 努力と忍耐、そして夢や希望を持つことを両立できた者だけに備わるのだ。われは種を蒔いただけ。水をやり、光を与え、自力で育つための最小限の手伝いをしただけだ。それ以上の介在は、われら神にも許されておらぬ」


 やはり神なのか?トリトニアの守護神トリトンと向き合っているのはほぼ間違いない。

 それなら訊いてみよう、と一平ほ思った。

「ではパールが…パールがオレを選んでくれたのは…オレを好きだと言い続けたのは…あなたの仕業ではないと?オレはあなたに恋愛ごっこを演じさせられていたわけでないと、断言できるのか?」

「神とて全能ではない。心はいじれぬ。圧力を加えることはできても、人にそれを撥ね返すことができないわけではない。

 屈するのは容易い。抵抗するのはエネルギーのいることだ。その代わり、達成すれば大きな力となる。おまえは常にそうしてきた。だから今のおまえがいる。われは満足だ」

「オレのことは…どうでもいいんだ。パールは…パールの生きた意味は?ただ、多くの人々を癒し尽くすためだけにあったのか?」

 大きな成功の裏には犠牲がつきものだとはよく言われる。その通りだと思う心も一平の中には存在する。

 だが、なぜそれがパールなのだ?よりにもよって、一番無垢で汚れのない、一平の一番大切な娘なのだ?


 誰より幸せになっていい娘だった。周りの人を幸せにする稀有な存在。その彼女が、一平ひとりに心を捧げてくれたことこそ、信じられないくらい幸せだった。一平の言動に一喜一憂するパールを幸せにしてやれるのは自分だという自負もあった。けれど、その自信は見事に打ち砕かれたのだ。あの災厄によって。

「一平よ。あの娘は幸せだった。伝説(いいつたえ)にあったであろう?勇者に至福へと導かれし時、徴生まれ出で、と。至福の時を、あの娘は体験したのだ。おまえの腕の中で。おまえが彼女を幸せにしたのだ。

 不幸の中で、パールティアは死んでいったわけではない。

 思い出せ。あの娘の今際の際の言葉を」


 一平の脳裏に蘇る。限りなく甘美な懐かしい声が。

 ―パール、迷子になってよかった―

「『よかった』と、パールティアは言ったのだ。おまえに会えたことが幸せだったと。おまえを愛し、愛されて、おまえの子をこの世に送り出して幸せだったと、あの娘は言いたかったのだ」

(オレだって同じだ。おまえに会えて、オレは自分を肯定することができた。おまえと過ごしたこの六年足らず…オレはどんなに幸せだったろう…。けれど、もう終わった。おまえのいないこの世など、光のない闇夜に等しいではないか)


「命の火が消えるのが早まるのがわかっていて、あの娘はおまえに施術をした。なぜだ?」

(そうだ。なぜ?なぜ、パールは…)

「パールティアは永遠の平安を求めた。おまえの腕の中で、穏やかな鼓動を聴くひとときを求めた。それがあの娘の一番幸せな時間だったからだ」

(パール…)

「おまえの涙よりおまえの微笑みを、おまえが悲しむより笑ってくれることを、あの娘は願った。おまえの勇姿を見、優しい眼差しでおいでと呼んでもらえることが、あの娘の一番の望みだったのだ」



 一平が何かに対して憤っている時、必ずと言っていいほどパールはそれを宥めようとした。自分が自己嫌悪に陥っている時でも、一平が一言『おいで』と言って抱いてやれば、気持ちを整理して前向きに考え直すことができた。この声は何ひとつとして間違ったことは言っていない。

「今のおまえの姿を見たら、さぞかし嘆き悲しむことだろう」

 一平ははっと目を瞠いた。

(パールが悲しむ?パールが泣く?)

(オレを見て?オレのせいで?)

 ―一平ちゃんはきっといいパパになるよ―

 ―パールにしてくれたみたいにいっぱい教えてあげて―

(パール!!)

 ―アスラン坊やをお願いね―


 そうだった。一平にはしなければならないことがあったのだ。アスランの世話を、パールから託されたのではなかったか。

 勿論、世話はしていた。この旅には同行できなかったが、ひところは、他の誰にも指一本とて触れさせないような気迫をもって赤ん坊の世話に専念していた。まるでそれがパール本人であるかのように。

 だがそれは間違っている。パールは確かに死んだのだ。彼女の忘れ形見ではあっても、アスランはパールではない。赤ん坊をを死んだパールの身代わりにしてはならない。それは間違った育て方へと繋がる。パールが望んだのはそういう盲目的な愛情ではなかったはずだ。


 アスランは地上人とのクォーターだが、間違いなくオスカー王の血を引く王族だ。それなりの育て方をしなければならない。いずれキンタに子どもができれば問題はないが、もしもの時にはアスランが王位に就くことも十分あり得るのだ。父親の一平の責任は重大だ。

 ここで生まれ育ったのではない一平はトリトニアの常識を身につけるのに随分苦労した。今でもまだ完全とは言い難く、引き続き勉強の必要はあると常々感じている。

 アスランには自分以上になってもらいたい。それが何の身分も地位もなかった一平をそばに置き、娘婿として認めてくれたオスカー王への恩返しであり、忠義でもあった。


 五ヶ月前にそういう覚悟をしたことを、一平はやっと思い出した。

「わかったか、一平よ。生きよ。どんなに辛くとも。おまえには力があるはず。後世に伝えねばならない役目が。果たして後、死ぬがよい。それまで、待っていてやろう。あの娘を転生させるのを」

「えっ!?」

「必ず、会わせてやろう。来世で。あの娘に。探すがいい。気の済むまで」

 声はだんだん小さくなっていった。

「ま…待ってください!…それは…それは一体どういう…。世界には来世があるのですか?オレが責務を果たして死んだら、またパールに会わせてもらえるのですか?」

 答えはもう返ってこなかった。

 世界は再び、一平の周りで輝き出した。



 トリトンの壁が、突如光を失い消滅した。

「帰らねば…」

 唐突に漏れた一平の呟きに、サンドラははっとする。

「もうひと月もトリトニアを留守にしていることになる。アスランには母がいないのに…」

 そう言って今回の使いを固辞したことも、一平は思い出した。

「ブルッフがさぞかしやきもきしていることだろう。いや、ブルッフだけではない。陛下をはじめ、右宮の皆も心配しているだろうな。帰り着くはずの頃合いに守人が帰ってこないとなると…」

 側近の心情や立場を思い遣っている自分に気がついて、一平は思わず苦笑した。

 今では冷静に見ることができる。自分がどれほど投げやりで自分勝手な言動をして周囲の者を困らせていたか。


 笑っている場合ではないと、一平は思い至る。

 一刻も早く帰らねば。自分が生きて無事にいることをトリトニアに知らせ、償いをせねば。

 人々に心配をかけた償い。余計な仕事を増やしたであろう償い。国民を不安に陥れた償いだ。

 既に手遅れかも知れない。

 出立する時の一平の精神状態では、訪問先で何があってもおかしくなかった。

 新女王の前でとんでもない失態をやらかす可能性も、暗殺者の手にかかる可能性も、そのままトリトニアを見限って放浪の旅に出てしまう可能性も。

 

 それらの可能性がありながら、オスカーは敢えて一平ひとりに大切な道行きを課した。

 心から信じ、最悪の事態を覚悟した上でなければできない決断だ。

 実際、望んでこうなったのではないが、一平はオクタリア訪国直後に姿をくらませてしまったのだから。

 守人の一平はトリトニアには戻らぬと判断して、とっくに次の守人の選定に入って着任してしまったとしても無理はない。


 遠征で何週間か右宮を空けることはあったが、それも所在がはっきりしていればこそだ。

 勿論、連絡役のリーフィーシードラゴンは付けられていた。遠距離通信のできる小さな使役魚だ。だがそれも、一平が道を踏み外したと同時に消息を絶っている。

 今更トリトニアに戻っても歓迎されない場合もあり得た。国宝を預かる役職だ。長い間空席にすることは国の存続に破綻を呼び起こすと伝えられていることも、一平は知っていた。 

 今彼が戻ることは、もしかしたら国に混乱を招くことになるかもしれないのだ。

 だが、それでも戻らねばならなかった。

 思い出した以上、役目を蔑ろにはできない。

 それは一平のポリシーであり彼の良心が許さないのだ。


 一平は己に厳しすぎるとよく言われる。

 それこそが守人たる資質に必要なことだった。自分を律することができない者に他者を律し、統率することはできない。

 皮肉なことに、一平の最大の望みは叶わなかった。

 愛するパールを守ること。この命と引き換えにしてでも、パールさえ守れればそれでよかったのに、力及ばずパールは先に逝った。十六歳の若さで。

 

 一平は恨んだ。

 過去にやきもちを妬いたことはあったが、他人を心底憎いと思ったことはなかった。この手にかけた人々ですら、殺したいほど憎くて刃を向けたのではない。パールを蹂躙したガラティス王にしても、駆け引き上、一旦は命を絶つのを思い止まった。

 だが最愛のパールを手の届かないところへ奪われて、一平は恨んだ。

 彼が崇めるべき神、自分を守ってくれているはずのトリトン神を。

 だが守護神は言った。パールは幸せだったのだと。一平に出会い、愛し愛されて、幸福と安らぎの中死んでいったのだと。そして必ず来世で会わせてくれると。だから役目を果たせと。

 生きる希望の光を、トリトン神は与えてくれたのだ。

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