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第十九章 見よ、勇者は帰る

「世話になった。オレはトリトニアに帰る」

「フォース…」

 真剣で毅然とした眼差しを向けられてサンドラは何も言えない。

「オレには全うしなければならない任務がある。怠ったら、オレはもう二度と彼女に会うことができなくなる…」

 当然だ。青の剣の守人に大切な任務があるだろうことはサンドラにも想像できた。だが、彼女、とは!?

「たとえ何年、何十年かかろうと、オレはもう一度パールに会いたい。会って、この胸に抱き締めてやりたい。あいつの声を、微笑みを、今一度独り占めしたい。…互いの姿形が変わってしまっても、オレは必ずパールを見つけ出す…」

(どういうこと?パールティア姫は死んだのではないの?あなたの言い方だと、まるでまだどこかで生きているように聞こえるわ。姿形が変わるって…歳をとってしまうっていう意味!?)


「戯けたことを言っていると思うだろう?死んだ人間を相手に何を世迷言を、と」

 自嘲気味の微笑みを浮かべ、一平は問い掛ける。その口調と内容から察するところ、彼は妻の死を事実として認識しているらしい。では最前の言葉の意味は?

「トリトン神は約束してくれた。必ず会わせてくれると。オレが自分の責務を果たして死んだら。それまで待ってくれると」

(死んだら!?…では、あなたの言うのは来世で、という意味なの?)

「そんなのだめよ!死ぬなんて!あなたはまだ若いのに!」

 思わずサンドラは叫んでいた。この男が死ぬことなど考えたくもない。


「何も今すぐ死ぬと言っているわけじゃない。オレの責務は一年や二年で全うしきれるような類のものではないからな」

「でも、それまではもう他の誰とも交わらないつもりなんでしょう?あなたのような優秀な逸材を後世に残さないなんて大きな損失よ」

「そのような考えはオレは持たぬ。オレは異端児だ。純粋な海人ではない。オレの子孫には徐々に薄れてはゆくだろうが、地上人の血が混じるのだ」

「え…!⁈」

 そう言えば、そんな噂を聞いたことがあるような気がする。トリトニアの青の剣の守人は地上生まれだと。その時には、そんなばかなことがあるはずがないと相手にもしなかったが。

「それに…全く残さぬわけではない。既に息子がいる。トリトニア王家の血を引く、大事な大事な息子だ」

 それも聞いていたはずだった。この男の口からも聞かされていた。


「アスランを立派に育て上げなければならない。物心つく前に母親を亡くしたハンディをものともしない男に育てたい。オレが見てやらなければ…。パールの、代わりに…。それがあいつの願いでもあるのだから…」

「奥さんの遺言だから?だからひとりで育てるの?後添えももらわずに?そんなのエゴだわ。人はひとりでは生きられないのに。誰も好きにならないでと言い残すことはひどく残酷なことよ」

「パールを悪く言わないでくれ。あいつはそんなことは言ってないし、望んでもいない。ただ、アスランを頼む、と。自分に注いでくれたと同じ愛情を、残してゆく息子に掛けてやってくれと言いたかっただけなのだ」

「……」

「オレは息子に残りの人生を捧げる。アスランが幸せな一生を送れるよう、全力でトリトニアを守る。それがオレの新たな生き甲斐だ」


 一平ははっきりと言い切った。かつては愛しいパールを守りたい一心でトリトニアのために力を尽くしてきた。生き甲斐だったパールを失った絶望の底で、やっと彼は新たなる光を見出したのだ。二人の愛の証し、息子のアスランが、希望の光となって彼の目の前で光を発している。

 アスランは、生ける屍のようだった一平の未来に希望を繋ぐ橋渡しの役目を担ってこの世に生まれてきたのだ。



 フォースは爽やかだった。迷子の子どものように心細げではあったが、芯が強く誠実で優しい人柄は記憶のあるなしにかかわらず魂の奥底から滲み出ていた。体格に見合った腕力と武力を持ち合わせていることもすぐに明らかになった。接する者の咎も過ちも、些細なことと受け止めてくれる絶大なる包容力を、日を追う毎に強く感じるようになった。

 たとえ一平を拾ったのがサンドラ以外の女性であっても―いや、男性であったとしても―やはり一平に心惹かれ、惚れ込むことになったであろう。

 

 底知れぬ強さを秘めていながらどこか寂しげな記憶のない男―。だからこそ、なんとかしてやりたい、心の隙間を埋めてあげたい、とサンドラは思ったのだ。

 だが、今のフォースには頼りなげなところは微塵もない。自分より大きな身体なのにもかかわらず守ってやりたいと感じた危うさが、きれいさっぱり消え去っていた。

 そんなことを思うのは僭越だったと、己の傲慢さを顧みらざるを得ない。


 一体自分はいつからこんなに図々しい女になってしまったのか。

 先程のやりとりにしてもそうだ。

 愛妻を失って悲嘆に暮れている男に追い討ちを掛けるかのように、その死を繰り返し強調して言い聞かせた。

 なんと人の心を顧みない、思いやりのない行為を自分はしてしまったのだろう。

 フォースを自分のところに繋ぎ止めたい一心からだったが、その結果がこれだ。彼は見事に自分自身を取り戻し、サンドラの元から去ろうとしている。


 自業自得だ―とサンドラは思った。

 こんな冷たい女の元に、こんな素晴らしい男が居着くわけがない。

 自分にはフォースの望みを妨げる権利などない。誰にも、他人の夢や希望を邪魔する権利などありはしないのだ。

 わが子の元で教育に勤しみ、平和の維持のために尽力する―それがフォースの望みなのなら、ここは黙って見送るべきだ。彼にとって、その望みと両天秤に掛けられるほどの存在感は自分にはない。少しでも心にかけてくれているのならともかく、この男の心の中にサンドラの入り込む隙間など全くないことはよくわかっていた。



 サンドラは、物騒だからと無理やり預かっていた一平の大剣を黙って物入れから引っ張り出した。当時一平の着ていた服も、破れ目を丁寧に繕われてそこにある。

 そうして見ると、ずいぶんと立派なものだ。縫い取りやデザインが異質なのでオクタリアの人ではないと思っていたが、今頃になって頷ける。

 布の手触りも見たことがないほど滑らかで、かつ丈夫そうだ。一般庶民にはまず手に入らない高級感は、知識がなくとも感じ取れるものだ。ましてサンドラは服の縫製を生業としている。王族、或いはそれに並ぶ地位の高い人の召し物だったのだと、今でははっきりわかる。


(ばかなサンドラ…)

 サンドラは自嘲する。

 所詮は手が届かない人だったのに。どうしようもないほど好きになって、また逃げられることになるとは。

 つくづく懲りたのではなかったのか。クレインに愛想を尽かされて出て行かれた時に。その同じ過ちをまたしても繰り返すことになろうとは。

 サンドラは青の剣の守人の衣装を畳み直し、大剣を添えて一平に差し出した。

 一平が穏やかな眼差しでサンドラとその手の上にあるものを見る。

「…ありがとう…」

 静かな言葉と共に、サンドラの手は軽くなる。

 五キロ以上ある大剣が主人の元に帰ったのだ。一平は手早く衣装を身に付け、大剣を剣帯に収めた。


 ずしりとした重みを背に感じ、身の引き締まる思いを一平は味わった。武人としての感覚が蘇ってくる。思わず目を閉じ、感慨深げに瞑想に入った。

 眼裏(まなうら)に蘇る。トリトニアでの数々の出来事が。六年ぶりで得た家族、愛しい妻子の面影が。

(今、帰るよ。アスラン。待っていてくれ、パールも…)

 意思を固めた一平は、動じぬ目でサンドラを見た。

 片膝を折り、深く一礼した。

「この恩は決して忘れぬ」

「いいえ、忘れて」

 サンドラは言い放つ。

「あたしのことも忘れて。あたしもあなたを忘れるわ。でないと…かわいそすぎるでしょう!?このあたしが…」

 涙が出そうになったが堪えた。

 サンドラの辛さが嫌というほど伝わってくる。


 一平は神妙に言った。

「…すまぬ…」

「おつとめを…立派に果たされますよう祈っているわ。あなたなら心配いらないだろうけれど」

「……」

「今度は迷っちゃだめよ。もっと大事なものまで失ってしまうわよ」

「ああ…」

 パールの記憶という、彼にとって何よりも大切なものを取り戻した一平には、恐れるものなど何一つとしてなかった。



 サンドラの家を出て見上げると微かな光を感じた。海上に、星が瞬いているのだ。

 一平がひと掻きする毎に、その光はわからぬくらい少しずつ光度を増してゆく。

 彼は海上に出て泳いだ。トリトニアの方向を示す目印の星をはっきりとその目で確認するために。

 傍らに、まだ尾鰭のある珊瑚色の髪の少女の魂を感じながら。


 ―大好きだよ。一平ちゃん。パールはずうっと、一平ちゃんのそばにいるからね―


  (トリトニアの伝説 外伝12 パールの瞑想曲 完)

愛しい人と死別しても人は生きていかなければなりません。

一平をこの地に導いたパールを失ってなお、彼にはしなければならない役割と責任が限りなく残されていましたが、それはむしろ救いだったのかもしれません。

この話は外伝ではありますが、彼らの出会いの根幹が語られています。

そしてこの世界のからくりが。

第九部と言っても過言ではないストーリーを読んでいただいてありがとうございました。


次回はこの一年程後、パールの弟キンタ王子が主人公です。

準備ができましたら投稿いたします。

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