第十三章 恋とはこんなものかしら
「ただいま。…あれ?お客さんかい?」
「フォース…。お帰りなさい。‥いいのよ、この人はほっといて」
「こいつか!怪しいな。怪しいぞ!!」
キャロは目を飛び出させてじろじろとフォースを検分する。
「うるっさいわねっ」
「おい、おまえ!サンドラの婚約者っていうのは本当か!?」
誰が見ても失礼な態度で突っかかってくる。
キャロを値踏みするように見ていたフォースは単刀直入な質問を向けられて一瞬固まった。
「あたしの言うことが信用できないっていうの?」
フォースに奥へ行ってと目で訴えながら、サンドラは対抗した。
「おれは諦めないぞ。騙そうったってだめさ。おまえを抱くまでは…」
「いやらしいこと言わないでっ」
「何か…疑われているのか!?」
フォースが尋ねる。
「この人…あたしがこの人からの求婚を受け付けない口実にあなたを婚約者だと偽っていると言うの」
「そうか…」
そういうごたごたした経緯がサンドラにはあったのかと、あの言葉はこういう意味だったのかと、フォースは溜飲を下した。
「証拠を見せてみろ、証拠を」
「証拠と言われても…」
婚約だけでは結婚証明書のようなものがあるわけもない。しかもここは海の中だ。文字文化はない。
困り顔のサンドラから目を移し、キャロはフォースの方にも迫ってくる。
「サンドラを抱いたのか?もうやっちまったのかよ!?」
下衆な言葉を耳にしてサンドラが切れた。
「ちょっとどいてっ!!」
キャロをフォースのそばから突き飛ばし、フォースの腕をとった。
「いい?見てなさい」
伸び上がり、口づける。あまつさえ、見せつけるかのように男の首に腕を回し、熱い抱擁スタイルをとった。
「うぎゃ〜〜〜」
ショッキングな光景に尻餅をつき、キャロは喚いた。
「はっ…はっ…離れろっ!!サンドラはおれが…うわあ、おれがあ…」
キャロのトーンが上がったのは、事情を察して肚を決めた男がサンドラの腰に腕を回して抱き寄せたからである。
「おっ…おっ…覚えてろ〜〜」
常套文句を残し、キャロは消えた。
その気配を察し、真っ赤になってサンドラが身を離す。
「ごっ…ごめんなさい…」
しどろもどろで謝るが再び抱き寄せられた。
「!?」
「まだ気配が残っている。人を謀るのなら芝居は最後まで続けるものだ」
サンドラの頭の上から声が降る。
「…!!…」
「あなたがいやでなければ、今しばらくこうしていよう。あやつが完全に視界から消えるまで」
サンドラは頷いてフォースの胸に身を預けた。
捨て台詞を残して消えた者が再び現れない確率は一割に満たない。
勿論キャロもそうだった。
海主のサムソンはそれなりに力のある人物だったが、末っ子には手を焼いていた。どこで育て方を間違ったのかと常々頭を悩ませていた。
海主の館には通常使用人が置かれている。家族それぞれに身の回りの世話をする者が付けられているので、キャロも自分付きの召使いを持っていた。オクタリアでは、こういう職に就くのは男性の方が多い。
キャロの召使いはタイタンと言った。どこかの伝説に出てきそうないかにも強そうな名前だ。
名前だけではなく、力もあった。召使いは護衛も兼ねているので体格もなかなかだ。年は親子ほども離れている。
キャロが赤ん坊の頃から海主に従事し、成長するのを目にしてきている。出来の悪い子ほど可愛い、と俗に言うが、わがまま放題のキャロに振り回されながらもタイタンはキャロが可愛い。そして大事な主人であった。
そのタイタンにキャロは命令を下す。あの男を始末しろと。
始末、と聞いてタイタンは目を剥いた。いくら何でもそれは行き過ぎだ。自分の手を汚さないにしても殺人を命じることは犯罪である。
キャロもどうしてもそうしたかったわけではない。興奮のし過ぎ、言葉の綾である。
「キャロさま。それはいくら何でも…。このタイタンも罪人にはなりたくありませんゆえ…。少々懲らしめるくらいが関の山かと…」
「ばか。当たり前だ。決闘でもよかったけど、あいつはおまえに比べると弱そうだったからな。明らかに弱い奴を決闘で負かしたんじゃ意味がないだろ?」
「勿論、それは不名誉です」
「だからちょっと痛い目に合わせてやってくれよ。サンドラに手を出すとただじゃ済まないことを思い知らせてやれ」
「キャロさまは本当にサンドラさまに惚れ込んでいらっしゃるのですね」
「いい女だぞ。あいつは。年上だが、だからこそいいこともある」
何を想像しているのか、キャロはいやらしい笑いを口の端にのぼせた。
計画はそれほど間を置かずして実行された。
サンドラの家の近くは人気が少ない。こういう計画を立てるには格好の場所が無数にある。だが慎重を期せばミップモップの森の中の方がよい。サンドラがよく森の中で装飾品の採集をしていることをキャロは知っていた。週に一度は出掛けることも。二人が共に森に入ってゆく頃合いを見つけるのは容易かった。
その日の早朝。タイタンは海藻の茂みの影でフォースを待ち伏せし、腰の中剣を構えて躍りかかった。
「何をするっ!!」
背後から振り下ろされた刃を、フォースは一瞬のうちに見切った。
剣を制されてタイタンの巨体が身動きできずに固まる。
やや腰を屈めた姿勢のままフォースは問うた。
「何故あってオレを狙う?見れば知らぬ顔、貴様に殺される正当な理由は身に覚えがないが…。誰に頼まれた?ガラリアか?レレスクか?それとも…」
「お…おれは…」
「口が利けるのなら言うがよい。言わぬとあらば、貴様は自身の剣で生命を落とすことになるやもしれぬぞ」
フォースの気迫は真剣だった。既に右手はタイタンの手から中剣を取り上げて持ち主の喉笛を狙っている。
「さあ。…どうする?そうは見えんだろうが、オレはこうと決めたら躊躇いはせぬぞ」
「……」
忠義者のタイタンはキャロの名を出すべきかどうか迷っていた。特に口止めされたわけではないが、暗黙の了解、という言葉もある。
だがタイタンは迷う必要などなかった。彼を仕向けた張本人のキャロが現れて名乗り出たからだ。
「タイタンを離せ」
「キャロ!!」
声がするのとサンドラが叫ぶのとはほとんど同時だった。
「…やはり…貴様か…」
「おれで悪いか」
キャロは悪びれない。
「しつこいのは女性に嫌われるぞ」
「おまえに言われたかない」
「そんなに…オレを亡き者にしてまでサンドラを手に入れたいか」
一平には見えていた。キャロがこのようなことを企てた理由が。
「サンドラはおれの女だ。もう半年も前から目をつけてたんだからな」
「いつから、というのは大きな問題ではないな。こういうことは当人の気持ちが大切だ」
「気持ちなら誰にも負けねえさ。特におまえのような八方美人にはな」
タイタンからの調査報告で、フォースが村人の誰に対しても愛想が良く、そのせいもあって女性たちの羨望の的になっていることをキャロは知っていた。
「おれはサンドラを大事にする。おれと一緒になれば何不自由なく暮らせるんだ。こんな村外れの寂しい暮らしから脱して幸せになれる」
「親の金に頼ってね」
サンドラが嫌味を言う。何の仕事もせずに遊び暮らしているキャロの財布は親である海主―ひいては汗水垂らして働く領民―の金なのだ。キャロと一緒になってその金を浪費するのなど、サンドラには絶対に肯じえないことであった。
フォースも言う。
「何不自由なく暮らすことが真の幸せだと思うのか?」
「当たり前だろう。金も物もないよりはあった方がいいに決まっている」
―哀れな―
と、フォースは思った。どういう育ち方をしたのか知らないが、そんなことを真に幸せだと信じている、その心の貧弱さが男の憐憫の情を誘った。
幸せとはそういうものではない。王宮の何不自由ない暮らしを提供されても、心が満たされなければ何の充実感もなかった。心から望むものがあれば、それを得ようというエネルギーが湧いてくるものだし、それが困難であればあるほど手に入れた時の喜びは大きい。幸せは目に―特に他人の―見えるものではないのだ。
フォースはそんなことを考えていた。
「もういい加減にしてよ。あたしはあなたと結婚する気なんかないんだから帰って!」
サンドラが焦れて言い捨てる。
「おれよりこいつの方がいいと言うのなら、おれの納得する理由を提示しろ。遠方に行っていたと言うが、金はあるのか?職は?」
「一文なしでサンドラの手伝いをしているヒモのような男です。村の女たちの注目の的で、それで泣かされた男もいると聞いています」
横からタイタンが口を挟んだ。事実であるので反論するのは無駄だろう。
「ちったあ顔もいいかもしれないが、そいつはサンドラ、後々悶着の元だぞ。モテすぎる男ってのは女にひとりじめできるもんじゃない」
「余計なお世話よ。じゃあ、男としての力はどうなの?フォースは用心棒も務まるほどの腕があるわ」
「おれには必要ないものだ。タイタンがいるしな。こいつより強いってんなら、考え直しもしようが」
「では、お相手しよう」
フォースが徐に立ち上がった。
サンドラが顔色を変える。フォースが剣を手にしているのが不安を煽った。
「だめよ。剣は。大怪我をするわ。下手すると命も危険に…」
サンドラは剣というものにあまりいい感情を持っていない。それも言うのも、彼女の父も兄も人並みに剣は扱えたが、十年前の妖物の襲撃の際、自らの剣で手傷を負い、父の方はそれが元で亡くなっているのだ。父を助けようとした兄も、力及ばず妖物の餌食となっていた。
剣があるだけでは己の身を守れない。持っていたがために、そのせいで命を落とすことだってある。サンドラはそういう不信感を剣に対して抱いていた。
この男に剣で命を落としてほしくない。それを知ってか知らずか、フォースは言う。
「これは中剣だ。オレの大剣とではどのみち不公平だろう。…預かってくれ、サンドラ。…素手でやる。いいな?」
最後の言葉はキャロとタイタンに向けられた。
「キャロさま…」
「……」
主人の意向を窺うタイタンに、キャロは言った。
「負けたら承知しないぞ」
「は……」




