第十二章 珊瑚色の髪の乙女
サンドラの主な仕事は街の衣装屋に納める服の縫製だ。
その合間に近所の人やサンドラの腕を頼みにする人からの注文を受け付けている。
だがたまに大きな仕事が舞い込むことがある。王宮からの発注だ。女王のドレスを作ったことも一度や二度ではない。
そうなると凝ったデザインのドレスは作り上げるのに時間がかかるので、他の仕事は後回しになってしまうほどだ。
今サンドラが携わっているのはその大仕事であった。グリーンのグラデーションの美しい布で裾の長いドレスを作っていた。デザインの方はそれほど派手ではないが、仕立ての終わったドレスに縫い付ける付属品の方により手間がかかる代物だ。
なにしろ、裾周りと胸周りに数限りないほどの夜光虫の甲羅を縫い付けなければならないのだ。それも一つ一つが手作業である。勿論、夜光虫はサンドラ自ら採集に赴いて用意する。
夜光虫はその名の如く、夜目にも光る海の生き物である。ドレスに縫い付ければ服の主が動くのにつれてキラキラと光を乱舞させるので、煌びやかで美しいドレスが出来上がるのである。
その夜光虫の縫い付けが佳境に入っていた。期限までにはまだ些か余裕があるらしく、サンドラはまだ修羅場の様相を呈してはいない。
外仕事の終わったフォースが家の中に入ってきてサンドラの作業を面白そうに眺めていた。
「なるほど。そのようにして作るのか。ただ綺麗だと思って見ているだけだったが、作る方は大変根気のいる仕事なのだな。…オレの捕まえたやつは使い物になっているか?」
夜光虫は夜の方が活動中だし見つけやすい。用心棒がてらフォースに同行してもらって採集に赴いたのは先々週のことだ。フォースにとっては物珍しい、面白い体験だったとみえ、サンドラをほったらかして夜光虫集めに夢中になっていた。
夜光虫と言っても、地上の民がよく知っている一、二ミリほどの淡紅色の生き物ではない。五ミリほどの大きさの、甲羅から繊毛の生えているカニとクラゲのあいのこのようなものだ。夜闇に青白く光る甲羅をひとつひとつ外してスパンコールのようにして使う。
「ええ、勿論よ。助かったわ。ほら、まだこんなにいっぱいあるの。もう一枚注文が来てもいいくらい…」
サンドラの指し示す器には、粒揃いの夜光虫の甲羅が小さな山になってきらきらと、星屑のように輝いていた。
フォースは褒められた子どものようににこにことして、再びドレスに目を移した。
「あいつも、こういうドレスを持っていたな。きらきら光るものが好きだったからお気に入りの一着だった」
フォースは懐かしげにふっと笑んだ。
「夜光虫に限らず、光り物やガラクタ集めもやめられなくて、まるでカラスだと揶揄ってやったことがあったっけ」
「カラス?」
サンドラには意味不明の単語だ。フォースは即答する。
「鳥の名だ。真っ黒でふてぶてしいやつだ。日本では当たり前のように目にする身近な鳥だ。自分の巣に光り物やガラクタを収集する習性があるんだ」
「ニッポン?」
これも聞き慣れない。
「国の名だ。ポセイドニアではない。地上の国だ。オレはそこにいた」
「フォース!!」
サンドラは思わず大声を出していた。フォースは何について喋っている!?
「!?」
当のフォースはサンドラの様子が急に変わったのにただ面食らうのみだ。
「あなた…。気づいていて?あなた自分の経験を語っているわ。思い出したの?以前のことを!?」
「え…」
言われてフォースは口ごもった。自覚がない。だが、自分が何を口走ったのかはわかっている。口にしたことも絵空事ではないと確信できるものがある。自分は確かに日本という国にいたことがあるのだ。海の水ではなく、空気に包まれた地上の国に。
カラスというのはその国の一般的な鳥だ。ガーガーといううるさい鳴き声も、ゴミ置き場に群らがったり電柱に止まったりという光景もありありと思い描くことができる。
サンドラは言う。
「『ニッポン』というのがあなたの国なのね?道理で…珍しいと思っていたわ。その髪も、目の色も…。その、夜光虫のドレスを持っていたというのは誰?あなたの何?」
問われてもフォースには答えられない。
『あいつ』と自分は言ったが、その『あいつ』とは誰だ?
―あの珊瑚色の髪の娘だ―
そのくらいは思い当たった。
顔はわからぬが、珊瑚色の髪を結い上げて夜光虫のドレスを着ていた姿がぼんやりと浮かんでくる。
一体、あの娘は?
「でも変ね。夜光虫のドレスなんてなかなか持てるものじゃないわ。よほど身分があるか高い地位にある人でなければ手の届かないほど高価なものなのよ」
サンドラの言うことが嘘や誇張でないこともフォースにはわかる。一着仕立てるのにタカラガイ何個分が入り用になるのかも、大体見当がついた。
(なぜだ?)
自分はそういう境遇にいたのだろうか?サンドラの言うように、身分か地位が高かったのか?
―ありえない―
と、フォースは思った。そんなものは自分の生国には存在しなかった。カラスの光景と共に徐々に広がる漁村の風景―砂に塗れ、海水でびしょ濡れになりながらふざけ合う海パンの少年たちの姿―それらがフォースに教えてくれる。自分は誰も皆等しく生まれ、物質的には豊かで恵まれた国で育ったのだと。
だが、それでは辻褄が合わない。あの夜光虫のドレスの少女と共に思い出せるのはここと同じような海中の景色なのだ。何と呼んでいるのかわからない、あの珊瑚色の髪の少女の声は、海の水を通して伝わってくる音質で響いてくる。
貴重な記憶の断片は、繋がったかと思った途切れてしまい、フォースをますます混乱させてくれる。
「わからない…」
思い出そうとするときりきりと頭が傷んでくる。
「…わからない…。わからないんだ…」
フォースは再び頭を抱え込んでしまった。
「無理に思い出さない方がいいわ。ごめんなさい。あなたを追い詰めるつもりなんかじゃなかったのに…」
サンドラはそっとフォースの頭を抱え込み、小さな子どもにするように軽くその背を叩き続けた。
サンドラには以前は婚約者がいた。
三年ほど前の話だ。クレインという名の、やはり年下の男性と付き合い、婚約まで至った。
サンドラは今もそうだがなかなかの美人で気っ風もいいので華がある。仕事も有能だから自信家でもあった。
そんなサンドラを狙っている男は沢山いたが、その中からサンドラが恋人に選んだクレインは、甘え上手の三男坊だった。サンドラの方が率先して引き回し、楽しい時を過ごしたが、政治家志望のクレインはやがて野望のためにコネを大事にするようになり、オクタリアの政治家の娘と懇ろになってしまった。もっと淑やかな女性がいい、というのがクレインの捨て台詞だったが、事実でもあるだけにサンドラの心は深く傷ついたのだった。
姉さん気質のサンドラにはクレインはそれなりに気持ちよく過ごせる相手ではあった。捨てられた、というか、愛想を尽かされたという出来事に激しく反応してしまい、克服するのに二年もかかってしまった。
そのクレインのこともやっと頭から離れて、昔のように若い男の子を揶揄うくらいには気持ちも軽くなっていた頃、サンドラはフォースに出会ったのだった。
男が住み着いて三週間経った頃、事件は起きた。
サンドラは美人だ。そしてプロポーションもいい。こういう点に惹かれる男は世の中には多いもので、海主の息子がこれだった。
オクタリアには領主制度がある。領地(領海)を国から預かって自治をするので海主と言う。
サンドラの村にも海主がいて、村人はこれに税金を納めなければならない。
海主には子どもが六人いて、一番下の息子が放蕩息子だった。酒と女に目がなくて金は使い放題。いずれはこの息子が海主の身代を食い尽くすのではないかと人々の口に上っている。海主夫妻は一応十人並みの容貌をしているが、素材はともかく育ち方で人の顔はいやらしく不細工になるものだという見本のような顔をしている。
この息子、キャロがサンドラに懸想を始めたのが半年ほど前の話になる。ああいう性格のサンドラはキャロのことなど相手にしないが、わがままに育ったキャロはしつこい。断っても断っても嫁にしてやると迫ってくるのだ。
仕事の付き合いぐらいしかないとサンドラは言ったが、それがあれば十分噂は広まるもので、キャロの耳にも当然サンドラの家に若い男が居候していて、しかも婚約者だ、と入ってくる。
早速キャロはやってきた。
いつものようにサンドラに迫り、男の存在を遠回しに探っている。
「おれは信じちゃいないが、村のもんが変なことを言ってたな。サンドラが男と同棲してるってな。若い男で、ミュートのことも母親のように甲斐甲斐しく世話をしてるとか」
「ええ。その通りよ」
「何だと!?」
即答されてキャロは目を剥いた。
「同棲っていうのとはちょっと違うと思うけど、うちには母さんもいるし」
「そんなの、言葉の問題じゃないか。肝腎なのは一緒に暮らしてるかどうかっていう…」
「だから一緒に住んでるわよ。婚約者なんだからいいでしょ」
「婚約者だあ!?!」
キャロは声を荒げて伸び上がった。「今まで一度だって聞いたことねえぞ」
「そうよ。言わなかったもの。遠くにいたからずっと心に秘めてたの。でも帰ってきてくれた。嬉しいわ」
ちょっとわざとらしいかな、と思いながらもサンドラは幸せを装った。
「…お…お…おれが、結婚しようっていくら言っても無視してたのはそのせいか?」
「それもあるけど…。あなたあたしの好みじゃないんだもの。ごめんなさい」
「くーーっ…」
キャロは悉く軽くあしらわれて怒り心頭に発している。噴火の如くに口から火を噴いた。
「会わせろっ!!どんな奴だかこの目で見てやるっ!!ついでにぶん殴ってやるっ!!」
「あら。殴られるのがわかってて会わせるわけにはいかないわ」
「そんなことを言って本当はいないんだろう?婚約者なんていうのもおれを断るための口実だろう?えっ!?」
「ほんっとうに失礼な人ね。あなたって」
サンドラが両手を腰に当てて憤慨を露わにしたところへちょうどフォースが買い物から帰ってきた。




