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第十一章 海浜独唱

 その後もフォースはちょくちょく街へ出る機会を得た。

 主に仕入れの品の調達を頼まれたためだが、街中の様子を見聞きすることはなかなか興味深く、よい気晴らしになった。

 サンドラの見立てによるとフォースはここオクタリアの人間である可能性が薄い。彼女の言う通り、フォースと同じ黒髪は滅多に見かけることがなかったし、目の色ときては皆無だった。髪も目も、圧倒的に薄めの色が多い。いろんな色があるものだ、と思うのは、やはりオクタリアの出ではないからなのか。

 時間があるので広場の岩に腰を下ろし、面白半分に広場で寛ぐ人々を観察していた。


 子どもが数ヶ所で固まって集団遊びをしていた。まだ尻尾や鰭のある幼魚ばかりだ。男の子も女の子も混ざっているが、女の子の方が多いようだ。

 している遊びは鬼ごっこのようなもので、わっと散った子どもたちを一人の子どもが後から追いかけていく。素早い子、もたもたしている子、鬼になりたくてわざとゆっくり逃げる子。追いかけて欲しくて鬼の周りをうろちょろする子、捕まるのが怖くてひとところから動けない子、と様々だ。

 だが、子どもたちは皆元気であどけない。よく笑い、よくはしゃぎ、歓声が途絶えることがない。たまに不注意で岩肌にぶつかったり逃げ損ねて怪我をしたりして泣く子の姿もある。


 今も、そうして腕に傷を作り、姉と思しき少女に慰めてもらっている少年がいた。怪我をした方の手を少女にらとられ、空いた方の手でしきりと涙を拭っている。

 少女は少年の傷を調べ、消毒だと言って傷口を舐めてやった。それから、痛くなくなるおまじないだよ、と、少年の頬に愛らしいキスをした。

 ―おまじないだよ―

 少女の声に被って、もう一人の声がフォースの耳に谺する。

 既視感、というのか。こういうことがあったような気がした。

 同じように頬だったか、腕にだったか、あるいは、足や胸や尻だったか…。どこになのかは思い出せないが、その時のほんわかして少しドギマギした甘酸っぱい感覚がフォースの胸に蘇り、心臓がキュンとなった。


(何だろう?)

(なぜなんだろう?)

(どうして、あの他愛もない光景がこんなに懐かしく、切ないのだ)

 フォースの目の前で、やがて少年も少女も元の遊びへと戻って行った。

 いつの間にか日暮れも近くなっていた。フォースは立ち上がり、家路に就こうと泳ぎ出した。



 こんなこともあった。

 ある時、サンドラの元へ縫い物の依頼にきた女性がいる。

 四人目の子どもを出産したばかりで、その子を連れて服のデザインを選びに訪れた。

 子どもは元気な男の子で、まだ泳げぬ一番手のかかる時期である。しかも、人見知りが始まっているのかお腹が空いているのか、とてもよく泣く。母親である客人がおちおち話していられないほどで、見兼ねたフォースは子守りを申し出た。

 こんな小さい子を若い男になんか任せて大丈夫かしら、という顔をされたが、フォースは手慣れたものだった。赤ん坊の抱き方も危なげないし、ガタイの割に子ども好きらしく赤ん坊が喜ぶ仕草を心得ている。どう見ても託児関係の人間には見えない体格ゆえ、とても意外な感じがする。

 

 フォースはひとしきり赤ん坊をあやすと外に連れ出した。ミップモップの森の自然を眺めさせ、優しくどうでもいい事を話しかける。口が利けなくても、自分で思うように動けなくても、今は周りの者がすることを見聞きし、吸収してゆく時期だということを知っている者の対応だった。しかも心がこもっている。


 フォースはただ自分の心の赴くままに赤ん坊と接していた。

 この間の少年と少女のように、何か心に引っ掛かるものをこの赤ん坊に感じたのだ。それが元気な泣き声と円らな青い瞳にあることをフォースは後になって確信する。その子の瞳はオクタリア一般の人よりも青みが強かった。自分を抱いてくれる者に向かってまっすぐに注がれる深く青い視線…。

 これと似た眼差しをどこかで見たような気がする。

 それもひどく身近で。何度も何度も、数限りなく。

 それなのに、それが誰から発せられているのかわからない。

 眼差しは思い出せるのに、顔も姿も思い出せないのだ。客人とサンドラのやりとりが終わるまでの間、フォースは、幸せでかつもどかしいひとときを堪能した。



 祭りもあった。

 新女王即位に伴い、あちこちで祝いの会が催されている。

 その全てに女王が顔を出すわけではないが、お祭り好きなオクタリアの人民のこと、何にでもかこつけて飲めや歌えに繋がる会合を開いてしまうのだ。

 ウミユリが咲いたといっては花見の会を開き、サンゴが産卵したと聞いては生命の宴を催す。新女王即位という格好の餌をただ眺めていることで満足できる人々ではなかった。

 今回は勿論、女王(クイーン)祭りである。女性中心の祭りだ。

 色々な分野に秀でた女性を集め、優勝者を選んで『女王』と称する。

 製石女王、医師女王、剣術女王、体術女王、宿屋女王、雑貨屋女王、建築女王、掃除屋女王、縫い子女王、細工女王、エトセトラ…。

 勿論、国の象徴たる真の女王がいるので、これらの『女王』はその日限りの命名であるが、名誉であるには違いない。

 サンドラなどは縫い子女王に選ばれてもおかしくない腕だ。


 村も街のように活気づく。

 催しのステージが整えられ、我こそはと思う参加者がそれぞれの得意を披露するために思い思いの道具や品物を持って集まってくる。

 観客はそれ以上だ。

 老いも若きも男も女も。本来なら職を持つものは全員参加が盛り上がるのだが、一日限りとあっては制約を設けぬことにはどうしようもない。希望者の中でも選び抜かれた者だけが決勝を競う、という内容にまでまとめられていた。


 フォースも一見の価値あり、と会場に足を運んでいた。

 サンドラは出場するので別行動である。せっかくだからとミュートも連れ出してよさそうな席を確保し、フォースも並んで見物席に腰を下ろした。

 男の祭りであればフォースこそ一番になれそうな腕なのにと、サンドラは悔しそうに言ったものだが、そういう競争に当のフォースは関心がなかった。

 一番になったからと言って、それが一体何になるのだろう?というのがフォースの素朴な疑問である。名誉など、人が生きていく上で何の役にも立たないではないか。実力があるのであればそれでよし。何も一番だ二番だと順番をつけなくとも、必要があった時に役立てばそれが何よりなのでは、と。

 思いはしたが、口には出さない。決勝に出られる事を晴れ舞台と思えるサンドラやミュートの晴れがましい喜びに水を差したくなかったのだ。



 途中のアトラクションで、今月成人したばかりの少女たちの舞が披露された。

 群舞である。

 揃いの衣装を着て一糸乱れずに踊る。その姿はさすがに華やかで、人々の感嘆のため息を誘うものであった。

 フォースもそれを見ながら感心はする。

 が、途中から険しい顔になった。

 頭痛がするのだ。

 彼はこの頃時々こうなる。

 何かを思い出せそうな時になるようだ。

 この少女たちの踊りが、フォースの記憶の一部を引き出そうと脳を刺激しているのだ。


 断片的に映像が浮かぶ。曲が浮かぶ。

 今の目の前の映像ではない。今鳴り響いている音楽ではない。

 もっと遥かな昔に、初めて見た少女たちの群舞の記憶だ。

 衣装もまるきり違う。もっとエキゾチックなパンツスタイルの少女たちが、長い領巾(ひれ)を纏わりつかせてひらひらと舞う。

 ―ほんとにいいなあ。二人とも。…あの子たちも羨ましいな―

 あどけない少女の声が思い浮かぶ。

 この光景を話題にしているようだがなぜだろう?

 ―みんなでやるから下手なのが目立つんだよ―

 まただ。

 

 この中にいるのか?この声の主は?

 とても懐かしい。

 聞いていて、心が暖かくなる声だ。

 ―ラーラルーラルー…―

 歌が聞こえる。優しい歌が。心を蕩けさせ、眠りを誘う真珠色に輝く歌が。

 ひどくうまいが稚拙な部分もある。今の少女の声に似てはいまいか。

「フォース!?」

 具合でも悪いのか、と呼び掛けるミュートの声に我に返った。

「あ…。大丈夫です。ちょっと頭痛がしたもので…」

「まあ、また?一度お医師さまに診ていただいた方がよくはなくて?」

「ええ。まあ、いつもすぐに治りますから心配ないとは思いますが」

 それは事実だ。長引くことはない。

「あなたのおかげで私もずいぶん助かっているのよ。大事にしてちょうだいね」

 思いやり深い労いの言葉をもらってフォースは微笑み返す。

 若い娘にとどまらず、ミュートのような年増女性にも好感度抜群の笑みだった。

 

 視線をステージに戻すともう群舞は終焉を迎えていた。

 フォースは用足しのために席を離れた。

 エチケット室に向かう途中でフォースは驚愕する。

「…!!…」

 何にそんなに驚いたのか、自分でもわからない。

 ただ、その女性の後ろ姿を見た時に激しく心臓が跳ねたのだ。

(○○○!!)

(待ってくれ。…行かないで…こちらを向いて、顔を見せてくれ)

 何を見たかったのか。何を確認したかったのか。わからないままに、フォースはその女性を追いかけ、腕を掴んで振り向かせていた。

(…違う…)

 不意に腕を掴まれた女性は目を瞠いて驚いたが、フォースの爽やかな容貌を見ると遠慮がちに尋ねた。

「何を…なさいますの?」

「あ…」

 フォースは急に我に返る。

「申し訳ありません。‥人違いでした…」



 深々と頭を下げる姿は大柄な身体を可愛く見せていた。

 怪訝そうにそそくさと去ってゆく女性を見送り、フォースは反芻する。

(誰と間違えたというのだ…)

(オレは…あの娘を、誰だと思ったのだ?)

 後ろ姿しか見てはいなかった。長く垂らした髪の色は珊瑚色。細く柔らかな髪質がまっすぐに潮に靡いていた。

(あの髪型に見覚えがあるのか?)

(ああいう髪を持つ娘を、オレは知っているのだろうか?)

 そうだ。知っている。確かに知っている。

 フォースは自問してそういう答えを見出した。

(だがそれは誰だ?オレの何だ?)

 近しい人のようではある。顔を思い出そうとするが出てこない。

 雰囲気だけが辺りをもやもやと漂う。

 笑っているに違いないという変な確信がある。

 それもかなり無邪気に。あどけなく。


(見たい!!)

 不意に痛切に、その思いはやってきた。

 あの珊瑚色をした長い髪の娘の顔を思い出したい。

 大事なキーポイントである気がした。あの娘の顔を思い出せば…名前がわかれば…、自分が誰なのかがわかるような気が無性にするのである。

(教えてくれ!誰か!あの娘は誰なんだ?そしてこのオレは…)

 ―○○○○○―

 その娘が呼んでいる。

 声音だけがわかる。

 自分のことを呼んでいる。

 深く広い愛を込めて呼んでいるのがフォースにはわかる。だが何と言っているのかがわからない。

(ああっ!!…)

 こんなに知りたいと切望したことはないと思うくらい、フォースの胸は締め付けられ、ジレンマに苛まれ始めていた。



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