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第十章 忘れられた調べ

 男のサンドラの家での生活は順調に進んでいた。

 男は物覚えもよく、素直で礼儀正しい。その上気は優しくて力持ちだ。

 力があるので、サンドラは男にフォースという名を付けた。

 サンドラが仕事で忙しい分、家のことが疎かになるため、主にその方面の雑用をしてもらっている。サンドラの母の世話もそのひとつである。

 サンドラは足腰が弱って…と言ったが、それは表向きの表現で、実際はほとんど寝たきり状態だった。年寄りとはいえ女性なので男性が世話をするには限りがあるが、それまではろくに表へも出られなかったサンドラの母―ミュート―が気晴らしや買い物に出られるようになったのは大きな収穫だった。


 自炊経験があるのか、フォースは包丁さばきも上手で、その辺の心配は全くなかった。

 一つ難があるとすれば、婚約者のふり、という芝居である。赤くなったりどもったりと、すぐ顔に出てしまうのだ。普段は恥ずかしがり屋、ということにして客が来てもなるべく引っ込んでいるようにすることにした。


 だがフォースは用心棒としては優秀であった。

 その体つきや身のこなしを見ればただものではないことは明白だ。あれだけの筋肉や敏捷性、そして剛力は、何もせずに身につくものではない。本人の相当な努力がなければ達成できないに違いない。

 ただミュートの介護をする、というような次元の仕事においてもそれらは生かされていた。抱いて運ぶのは朝飯前だし、危ない時にはサッと機敏に動いて介助することができる。

 しかし本来の使い方ではない。そんなことでは持て余すほどに、フォースの技倆は優れていた。

 


 それはすぐ明らかになった。

 まだこの辺りに不案内な男に付いて街中へ買い物に行った時のことである。

 フォースはガタイがよく見目もいいので、道ゆく人の目を引いた。特に若い女性には大きく惹かれるものがあるらしい。わざとフォースの前で粗相をし、大丈夫かと声を掛けてもらうことで気を引く娘はひとりやふたりではなかった。

 一緒に泳いでいたサンドラは同性なので、そういった振る舞いの真意を敏感に察してしまう。


「今の()、あなたに気があるみたいね」

「ん!?そうか!?…思い過ごしだろう。すれ違いざまぶつかっただけではないか」

 フォースは大真面目で否定した。

「ばかね。わざとよ、わざと。あなたの気を引きたくてとろいふりをしたのよ。あなたにぶつかってきたのはみんなそうだわ。みんな。わからないの?ホントに男の人って鈍いんだから。困っちゃう…」 

 鈍い、と言われてフォースは情けない顔をした。

「そうは言っても…。ここへ来るまでに三人はぶつかったぞ。それが皆オレに気がある、というのは少々無理がある」

「あなたは素敵だもの。目の前で行き倒れる娘が出ないのが不思議なくらいだわ」

「ばかな…」

 フォースは一笑に付す。本当に自分がどれだけ魅力的かを自覚していないのだ。まあ、自覚があればあったで、見るからに鼻持ちならない嫌味というものが滲み出てくるものだが。

 自覚がない方がいい。とサンドラは思った。思って、この話を終わりにした。


 

 が、あちらの方が終わりにしてくれない。

 どうやら今し方ぶつかって行った娘に気がある男が、状況に気づいて因縁をつけてきたのである。短絡的な行動の示すごとく早とちりで、人数を頼みに物言わせる類の若者であるらしかった。

 布地の束を抱えて家路を急ぐ二人の前を、わらわらと五、六人の男達が群がってきて道を塞いだ。

「何?あんたたち?…」

 ものものしさに眉を顰め、サンドラが誰何する。

(スケ)にゃ用はない。そこの兄さん、ちょっと顔を貸してもらおうか」


 リーダー格の男はサンドラに一瞥をくれてフォースの方に顎をしゃくった。

「…オレに用か?知り人とは思えぬが…」

「あたぼうよ。おめえさんの顔が気に入らねえからちょっと好みの顔に変えてやろうってんだ」

「それは…ご親切に…」

 不快も怒りも含まぬ声でそう応えるフォースを、サンドラは意外な面持ちで見上げた。

「てめえ、なめてんのか?」

 親切からの申し出でないことなど明らかなのに平然と言われたために、リーダー格の男は顔を歪めている。


「オレもそちらの顔は好みではないので舐めたくはないが…。こんな顔でよければいつでもお貸ししよう。但し、身体つきでな」

「ナニ!?」

 どういう意味だと男は鼻白らむ。

「何が気に入らないのか知らぬが、その方たちの言い分甚だ無礼であろう。初対面の者に対する礼儀を親からは教えてもらわなかったのか」

「わかったような口を利くんじゃねえ!」

 フォースの対応に頭に血が上り始めた男たちには、フォースの言葉遣いに違和感を覚える余裕がない。むしろばかにしやがって、と敵意を剥き出しにしてくる。

「気に入らねえんだよ!そのたらしの顔も、でかい態度もよ!」

 ひとりが拳固を振り上げて突進してきた。



 フォースは難なく躱した。それを合図にしたかのように残りの五人の男たちが時間差で躍りかかってくる。

 闘い慣れている―いや、暴れ慣れていると言った方がいいか―それなりに力も強く、技も掛けられる一団だった。だが、フォースには効き目がない。

 襲いかかってくる男たちを次々と躱し、当て身を入れては飛び退る。最小限の蹴りと殴打であっという間に六人をのした。


 手も口も出す暇もなく、サンドラはぼーっと戦闘とも言えない戦闘を眺めていた。戦闘どころか喧嘩とも言えぬ。対等にやり合えていないのだ。六人が一人を攻撃するのなら暴行というものだろうが、ひとりが六人をやっつけたのではなんと表現すればいいのだろう?

 ちんぴらを一瞬で片付けた男はと言えば、攻撃が途絶えて我に返り、ぽりぽりと頭を掻いている。

「…手加減…しそこなったな、…」


 戦闘中のきびきびとした動作と鋭いものを見切った目つきはどこへ行ったかと思わせるようなのんびりとした口調だった。闘い慣れているというのはこちらの男にこそ当てはまる言葉であった。

「…凄い!凄いわ、フォース!あなたって…武道家なんじゃないの?それとも軍人さんかしら?言葉遣いも礼儀正しいし。ねえ。それは一体、何流なの?」

 サンドラの興奮した褒め言葉もフォースの耳には快く響かない。何流かと訊かれて答えられない自分を再び歯痒く感じたのだ。


「身体で覚えたことは年をとっても忘れないって言うものね。でもこれはかなり凄いわよ。あなた大剣を所持していたけれど、あれもきっと見事に使いこなせるんでしょうね」

 その大剣は、物騒だからとサンドラが取り上げて自宅の隠しにしまってある。

「わからん。…いや、あれは確かにオレのものだ。それはわかる。背負っていても手元に下ろしても全く違和感はなかった」

 吸い付くような柄の感触がまざまざとフォースの右掌に蘇った。あれを持てば剣の型をさらいたくなる。それもわかる。

 たが何流かと訊かれても、これと思い当たる言葉が浮かんでこない。使い方はわかるのに、身体はそれを覚えているのに、そこへ至るまでの過程をさっぱり思い出すことができない。

 一体自分はいつ頃からこの大剣と共にあるのか。剣は、武道は、誰に習ったのか。どこで、どのような生活をしていたのか…。


 フォースの戸惑いをよそにサンドラは続ける。

「そうね。似合っていたもの、あの姿。きっと、あの剣でたつきを立てていたのよ。誰か偉い人の部下だったのかもしれないわね。…あ、もしかしたらどこかで指南役でもしてたんじゃないの?それだけの腕があればどこの国でもすぐに雇ってくれるだろうし、用心棒としてもお買い得だわ」

「…お褒めの言葉、感謝する。確かにあの剣はオレにとってとても大切なもの、なくてはならないものだと自分でも思う。が、しかし…」

 何か、微妙に違うような気がするのだ。何かもっと大切なことを忘れているような…。忘れているのは確かなのだが、それが非常に重大なことのような気がして仕方がない。



「ね。用心棒をしてみたらどうかしら?この辺りは妖物も多いし、今のチンピラよりももっとタチの悪いならず者連中も出没するわ。あなたのそのガタイで年寄りの世話などやらせておくのはとても勿体無いとあたしは思うのよ」

 サンドラの提案にフォースは首を傾げる。

「だが用心棒だとすると、年中雇い主の元に張り付いていなければならなくなる。サンドラの家から通うというのもおかしなものだし、助けてもらったのにまだ何のお返しもしていないのは心苦しい」


「そんなものはどうでもいいのだけど…」

 お返しのことを指してサンドラは言う。

「じゃあ警備隊はどう?勤務時間は決まっているし、村から通っている人もいるわ。うちは村外れだから多少時間がかかるけど、あなた、泳ぎも早そうだし…」

「サンドラ…」話を進めようとするサンドラをフォースは遮った。「オレはこのままで構わないのだ。オレのことを考えて言ってくれるのはありがたいが、まだオレは自分を持て余している。今の状況に慣れるまでの間でいいから今まで通りそなたの家に置いてはもらえまいか。迷惑は重々承知している。だがオレは…」


 迂闊に動くわけにはいかない、と続けようとしてフォースは躊躇った。なぜ、そう思うのだろう?警備隊などに入ってはいけないような気がするのは何故なのだろう?

「…わかったわ」フォースが言い渋ったのを見てサンドラは決定を下す。「要はあたしのそはにいたい、ということね。そんなにあたしの婚約者役が気に入った?」

「オレは…」

 サンドラの冗談を真に受けて赤くなる背の高い男は妙にあどけなく見えた。二十歳を少し過ぎたくらいかと思っていたが、意外やもっと若いのかもしれない。軽くいなして返せばいいのに、否というのは失礼な気がして違うという言葉を飲み込んでいる。

「ふふ…。冗談よ。真面目ね、フォースって…。言い寄る女の子なんていっぱいいたでしょうに、案外奥手なんだわ」

「そのような…」

 サンドラが言う通りなのかどうか、それすらフォースにはわからない。

「あたしは好きだけどなあ、そういうの。…ま、いいや。外へ出たくないというのなら、わが家の用心棒をして頂戴。うちこそ、ミップモップの森に一番近いんだから用心棒が必要なのよ」



 そう呟いたサンドラの顔が少し暗く見えた。不意に心配になり、フォースは尋ねた。

「襲われたことがあるのか?妖物に」

「勘もいいのね。そうよ、あるわ。十年ほど前だけれど。父と兄をその時亡くしたわ」

「それは…」

 フォースには慰めの言葉もない。

「でも、それ以来は一度もないわ。父と兄が影から守ってくれているのだとあたしは思っているけれど。むしろ危険なのは生きている人間よ」

「どういう…ことだ?」

「こちらが好むと好まざるとに関わらず、一方的にちょっかいを出してくる輩がいるのよ、世の中には。…住んでいる土地を取り上げようとか、法外な額の利子の返済を迫る金貸しとか、望まない結婚を強いようとする権力者とかね」

「そのどれかひとつにでも狙われているのか?」

「ひとつというのか、ひとりというのか…」


 訳のわからぬ返答に男は目を白黒させる。

「いずれわかるでしょうけれど、コテンパンにのしてくれて構わないから。そういう虫唾の走る連中は」

「……」

「でも、命はとらないでね」

 暗に、大剣は使うなと言っている。人間相手には。

 フォースは頷いた。

 サンドラの抱える問題を自分の力で一つでも解決できたなら恩返しになるかもしれないと、ぼんやり考えた。


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